2021年3月5日金曜日

「境界線の学校史」戦後日本の学校化社会の周縁と周辺 を読んだ

木村元[編]。東京大学出版。¥3600円

 P10注に周縁を法令上の境界線あるいは拡張された境界線の内側、周辺を外側として表記するとあります。この本の英文の題名はBoundaries of Japanese Public Education:A History of Schooling Society and Borders とあり周縁と周辺を区別していません。ひととおり通読するといわんとすることはなんとなくわかりますが、言葉の定義としては不明確で専門的な議論をする土台としては失敗していると考えます。

 ここからはこの本の主題と離れます。P156(3)宮坂哲文の生活指導,(1)宮坂の特設道徳批判のなかでP157に『宮坂によれば道徳教育は、「子どもたちの日々の生活に根をおろした形で行われていかねばならない」。なぜならそもそも道徳は「日々の生活のなかで子どもたち自身によって学びとられ、獲地取られていくべき性質のもの」であって、「子どもに話してきかせるというような形で教えることのできるものではなく、子どもたちのなかに道徳を育てるという形でしか教えることのできないもの」だからである(宮坂1959:121)』とあります。

 このあとこの考え方は政治経済や時代の潮流により批判されてゆくことになりますが、わたし自身は概ねこの考え方がどのような時代になっても不変であろうとおもうしそうあってほしい。小中高さらに大という教育の中で道徳についての教育は必ずしも必要と考えませんし、するのならば折にふれて行えば十分ではないでしょうか。それを現在は教科になっていて評価までするというのですから狂っています。それが正しいこととするならば、就職試験などで使用される履歴書の項目に道徳を付け加えてほしいものです。

 この本を読みすすめるうちに、途中からアレッと感じてくることがありました、1950年代60年代の教育の動きが、そのまま現在と妙に重なる部分があり、この本はそのまま現在の教育の動きを表しているのではないかとおもいました。

 

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