2016年6月28日火曜日

さくらんぼ 佐藤錦 を買った

 スーパーでさくらんぼを試食した。
うまい。
姿も美しい。
キラキラしている。



 たまには贅沢してみよう数年ぶりにかごに入れた。
普段そんなことは決してしないのだが
店を出るとき
はしたないとはおもいつつ
出口を通るときに
もう一つさくらんぼを口にした
やはり
うまい。

 昼飯のデザートに
パックの3分の1くらいを食べた。
うまい。



 なんでこんなにいろつやよく
きれいなんだろう
見てるだけでも
ウキウキする

2016年6月27日月曜日

ユニクロ・ジーユー オンラインストアお客様窓口へメールした

 午前中メールしたら、12時過ぎにはもう返信があった。
3時間もかかってない。

 内容は、このブログでふれたことです。
ユニクロからの返信内容は、お詫びなど丁寧な内容でした。
返信が早かったこともプラス評価です。

 6月23日木曜日、夕方前に発注し、お客様窓口へメールしたのは26日の日曜日。
品物は今日27日月曜日午前中に届いた。
注文してから納品までも、速い。

 実店舗では大きいサイズを扱ってなかったり、品揃えがなかったりで脚が遠のいているが
ネットではチョコチョコお世話になっている。
現在価格面で苦闘しているらしいが、このような対応ができているところを見ていると
まぁ好印象をもってしまう。

 店舗数拡大をめざすのではなく、店舗数は減っても良いから
お客との対応に力を入れ、気持よく買い物ができる接客教育や
パンツ類の即裾上やちょっとした直しができるなど
商品数の多さを追求するだけではない、サービスの量から質への充実に比重を移して
他店との差別化をはかればよい。

 中身の無いUNIQLOの看板だけを増やしても、お客は入らない。
入店して
あっ、やっぱりUNIQLOはいいな
と感じることができれば、少々品物が高くても
自然とお客は集まるはずです。

 今回のネット購入で考えたことでした。
届いた揃いの上下は着やすくってグッド。
めでたしめでたし。

2016年6月26日日曜日

UNIQLOのネットショッピングでセミオーダージャケットを注文した

 健康上の理由で、参列できるかどうか怪しいのだけれど、準備だけはしておこうとおもい
黒の上下を注文した。

 最近、とはいっても数年前だが Eddie Bauer で Tallsize のジャケットを購入した。
袖なおしなど、どこの修正もなく吊るしのままでピッタシなのです。
ここで注文すれば、サイズもわかっているので手間はないのだが
結構なお値段になってしまう。

 真夏に揃えで着る上下がなく、手頃な価格で買えるものを検索した。
お店に見本があって、セミオーダーではあるが、サイズをとってくれるのでUNIQLOに決定。
車で40分位のところがその方式に対応しているということなのででかけた。



 実際に見本でも試着できるというのが一番です。
上下ともに、見本のサイズそのままで調度良いということがわかり、
その見本のサイズ、身幅・着丈・袖丈を測ってもらいました。

 スマホがあれば、その場で店員さんと一緒にUNIQLOでネットオーダーをするらしいが
わたしは普通の携帯電話なので、自宅でそうすることにした。
何でお店の機械を使うなりして、その場で注文できないのだろうか。
不満だね。

 帰宅して注文開始。
自分でサイズを測る方法が丁寧に説明されていて上記の3サイズなどを入力していく。
ところがすべてを入力しても、次の注文画面に進めない。
うーん

 どうやら袖丈のところの入力した数字が受けつけてくれないからのようだ。
お店で店員さんが測ってくれた数字は67で、入力はできているのだが、すべてを入力し終わった画面では
そこの袖丈を入力できる数字が66までで、それが原因のようだった。
しょうがなく66に直したら、次に進めた。
UNIQLOさん、これはバグですよ。

 ついでにエアリズム肌着を2着購入したが
帰宅後に見たUNIQLOからのメールに
翌日から大売り出しとあり、1着200円も安く
400円も損した。
トホホ。



2016年6月25日土曜日

参院選候補者 重視する政策に原発廃止がないのはナゼ

 今年の参院選から満18才以上が投票する。
よいことです。



 一票の重みの最高裁判決などいろいろでているが、
20才前後の若者の投票には二倍くらいの重みを持たせても良いかもしれない。
わたしもふくめて年寄りは、国造りの力にはもうそれほど役には立たない。
これからの日本を背負って立つのはやはり若者であることに誰も異論はあるまい。
人口の世代別分布グラフからみても、そうしたほうが良さそうに見えるんだけどね。
 
 候補者の主張にざっと目を通した。
全員にあきれてイライラした。
怒りでメラメラした。

 雇用・就職・年金・医療・憲法・外交・安全保障・教育・子育て・デフレ脱却などなど
震災復興・防災がいくらかましなくらい。
それぞれが大切なことは理解できますが、これらの事柄は、
生命の安全が保証されてこそのものだとおもうのです。

 それを脅かす一番のものは、原発だと考えます。
福島原発がもう喉元を過ぎてしまっているのなら、
もう、こう、なんというか、言葉がありません。

 今この一瞬も放射能とたくさんの人達が戦っているわけです。
メルトダウンした放射性物質の状態さえ今でもわからないのに、
のんきに参院選なんてやってて、いいのかとさえ頭のなかはぐるぐる回っています。

 今はなんとか押さえ込んでいるようですが、
ひょんなことから福島原発の放射能が拡散しだしたら
日本の半分は生活できなくなってしまうことを
片時も忘れてはいけません。
わたしが心配性なんですか。

 日本の国土の上で生活できて初めて
候補者の皆さんの主張ができるのだとおもいます。
候補者の皆さんに原発廃止のこと、ききたいな。
原発廃止は政策ではないのでしょうか。


2016年6月24日金曜日

英国の国民投票

 テレビで残留か離脱かで、現地報道がにぎやかです。



 ここでは、その内容のコメントではなく、それぞれの立場で訴えている人たちの服装についてです。

 英国は夏でしょうけど、うつっている人たちの中には、
えっ その格好、冬じゃないの
という人たちがたくさんです。

 若いころ、バックパックで欧州を旅しました。
まだ、地球の歩き方 なんていう便利なガイド本がない時代のことです。
フランスに滞在することが多かったのですが、その他の国でも
夏はこれでもかというくらい肌を露出させ、
お日様をたくさん浴びている人たちが大勢でした。

 一方、いくらかお年を召された方々だけでなく、
冬物のコートを羽織っている人たちが普通に街を歩いている光景をたくさん見かけました。
日はあっても、肌寒いときがあり
わたしも、夏でもセーターはいつも持ち歩いていました。

 緯度の高い国の夏はこうなんだということを学びました。
冬にも旅をしましたが、やはり寒い。
みなさんしっかりと防寒対策されている。
空はどんより、空気は乾燥して痛い。
太陽と青空を求めるわけだ。

 離脱or残留について少しだけ・・・
現首相はなぜ、国民投票なんていう方法を選んだんだろう?
よくわからん。

 首相は残留派だけど、それならそのことを国民に訴え続ければ良いだけではないですか。
国民の反発をくらい、立ちゆかなくなったら
それこそ解散して総選挙、という流れならそれはそれでよく理解できるんです。
その選択肢があるのに、国民が二分される危険を犯してまで国民投票をする利益は何なんだんだろう。
よくわからん。



2016年6月23日木曜日

6月23日 月桃の花

 ちょうど20年前くらいのことかもしれない。
あわただしく仕事を終えて、上演開始時間滑り込みセーフで間に合った。
しかし、腹ペコ。



 映画の挿入歌が身にしみた。
『六月二十三日 またず
月桃の花 散りました
・・・
・・・』
終演後、ステージで主催者の挨拶後、この歌を皆で歌った。

 その後しばらくして、地元で
小学校高学年の息子と一緒に
この映画をみた。

 息子は関心がなかったようで
お父さんの目がキラキラしていた、としか言わなかった。

 その年の夏休みだったか
沖縄戦跡ツアーにその息子と一緒に行った。
旅行中に困ることもあるかもしれないと
腕時計を出発する前に買ってあげた。
自分専用の腕時計は、初めてで喜んでいた。
長針と短針に蛍光塗料が塗ってあり、暗いところで光るのが
気に入っていたようだ。

 現地で 月桃の花を見た。
房になって咲く白い花はきれいだった。

 ツアーの中で、ガマに入った。
ガマの出入り口からすぼむように狭くなり、体をかがめて中に進んだ。
急に広くなり、ガマに逃れた人たちが暮らした空間に着いた。
しかし、光はない。

 案内人から懐中電灯を消すことをうながされ、光がなくなった。
真っ暗である。
その時はただ静寂があっただけであったが、
当時は、爆弾や銃撃の音が凄まじかったかもしれない。
音だけでなく、振動も相当のものだったろう。
真っ暗の中で・・・
 同行者が抱いていた赤ん坊が泣き出した。
母親の乳房で赤ん坊の口をふさいだという話を思い出し、身につまされる。


 懐中電灯を灯してから、息子が言った。
お父さん、腕時計の針が光っていてきれいだったよ。
子どもに無理やり当時のことを想像しろといっても、
無理なものは無理なのだろう。
今一番の関心は、腕時計の蛍光塗料の光だったようだ。

 身をかがめて、出口に向かっているとき
息子が、お父さん と呼び止めた。
なんだろうと振り返ると、あそこを見てというふうに
目で合図している。
 骨があった。大腿骨あたりだろうか。
息子と一緒に手を合わせた。

 水族館へ行った。
ジンベイザメを見た。
息子は食い入るように見ていた。
想像していたより、余程大きかったのだろう。
ガラスに顔を近づけて見ることはしなかった。
でも、ずっと見ていた。

 そんな沖縄旅行
息子はもう忘れてしまっているだろう。




2016年6月21日火曜日

「40年超原発 延長を初認可」だって 怒!!!

 今朝の朝刊一面の記事、同じ日本船に乗船してる者にとって船長をつるし上げねば、
怒、怒、怒だっ!

『日本はなぜ、「基地』と「原発」を止められないのか』によると
最終的な結論は、憲法を変えることにあるようです。
しかし、ここではもっと単純な話しをします。

 地球船で生物が生きていけるのは、宇宙からやってくる放射線に対する遮蔽物が船の周りをぐるりと取り巻き、守ってくれているからです。
遮蔽物とは、厚さ約100kmの大気とその外側にある磁気圏でヴァン・アレン帯ともいいます。



 そうやってほぼ安全に守られている中に、どうしてまだコントロールもできない原子力発電施設をつくったのか。
外部からの強烈な放射線で守られている中で、自ら危険な放射線を出すのはナンセンスを通り越して、自滅への道を開拓しているようなものだ。
今、地球船に乗船している者の最低限の役目は、船が沈むことなく次の世代が安全に巡航できるようにすることだろう。
現状は、それほど大きくない木造船で、寒いから暗いからなどと言って、船上のあちこちで盛大に焚き火をしているようなものだ。

 原子力発電は、便所のない家にたとえられることがよくある。
うまいたとえだ。
汲み取り式便所が全盛のとき、糞尿は最後は海に捨てられていた。現在では水洗便所で流されたものは汚水施設で処理されるが、それとと同じようにされ、最後に残ったものは焼却し埋められてしまうらしい。

 しかし、原子力発電の燃えカスはこの処理の流れと重ならない。
糞尿の処理と同じようにできると原発推進派は体に刷り込まれてしまっているようだ。
皆さんのうんちやおしっことは違うのですよ。
糞尿が今のように処理できなかったら、人間や生物が生きている限りどんどん貯まっていくのは誰でも理解できることだろうに、原発のカスは数百年にわたって残るだけでなく放射能という悪さを発射し続ける。

 原子力発電施設は、昔で言ういわゆる四大工業地帯にはない。
効率を一番に考えれば、工場地帯の直近に置くのが最善だ。
ところが、そうはなってない。
これが、国の答えだ。
福島原発では東日本、日本の半分がオシャカに(今のところ)ならなかったのは、その後の経緯を調べると
運が良かったという軽々しい言葉を使って申し訳ないが、
それ以外になかったらしい。
そんな状況判断もできない船長さんと仲間たちは下船していただくしかない。

 早い話まだ人間には時期尚早な道具なのだが、目先の便利さに目がくらんでしまっている。
今後の廃炉に向けて、充分な研究者を育てるためにも、最大限の予算と研究を怠りなく継続してほしい。
でも、安全に廃炉にしてゆく研究者なんているかなぁ、
ぱっとみ右下がりの研究分野になるだろうから・・・心配。

2016年6月20日月曜日

Vermont American Dovetail Jig による隠しアリ組の製作方法

 11年前ものファイルですが、いま見ても面白いのでアップしておきます。
当時この治具はそこそこの値段でしたが好奇心がまさって購入したおぼえがあります。
買った勢いで、蟻組をつかった仕口で身の回りの品々を制作しました。
MusicStand などがそうです。
 
 しかし、熱が冷めたというわけでもなく、次第にこの治具の出番は減少しました。
同じものをたくさん正確に作るには役に立つのですが、単品で作るならコツコツ手仕事のほうが
楽しく、この治具の出番は今ではほとんどありません。
それに使ってないと使い方を忘れて、思い出すのに時間がかかるのと、治具の設定がやはりチト面倒くさい。
ちなみに、この小型キャビネットの外側の通しアリは手で、引き出しはこの治具でした。

 でも、ゴミに出すほどでもないので手元にまだあります。
引き出しを一杯作るときには活躍しそうだし・・・

 今では、WoodRat など様々な同様の治具が販売され隠し蟻組などチョチョイのチョイでできてしまうようです。(WoodRatの取説やDVDはとても勉強になりました)
おもちゃのようなVermont Americanの治具でも、工夫するとこんなこともできるんだというふうに見てもらえれば、うれしいです。






















おしまい



















2016年6月19日日曜日

翻訳小説 我が意を得たり

 三浦哲郎が随筆で語っている(恩愛)。
(初出は「朝日新聞」1984年11月18日 プーシキンの『大尉の娘』)



『プーシキンの文章といっても、ロシア語ができなければ誰かの翻訳文を読むほかはないが、翻訳
小説を読む場合、私などには、その翻訳が完璧だということよりも、その訳文が日本語の文章とし
て優れていることの方が有り難い。先日も井伏鱒二先生と、この『大尉の娘』のなんともいい場面
を競争するようにして列挙したが、先生は最初、徳田秋声の訳で読んだといっておられた。おそ
らく英訳本からの重訳だろうが、それでもなんともよかったのだから、訳文が優れていたのだろ
う。私は神西清という人の訳で読んでいるが、この人の訳文もまた秋声にも劣るまいと思われる
滋味豊かな名文である。』

 以前翻訳のことについてここに書いたが、わたしの考えを端的に表してくれていることに、嬉しくおもうととともに、自分の文章力のなさにめげる。

 トルストイ全集を読みあさった大学生の頃、特に短編の民話集が大好きだった。
翻訳の文章そのものも、とてもなじめた。
読み終わると、しばらくして、また最初から読んだ。
数度それを繰り返すと、短編映画のように
脳裏のスクリーンに映像化されてくる。
もう小説を手にしなくても、その映画を見ることができるようになったものだ。


2016年6月18日土曜日

最後にコンサートに行ったのはいつだろう?

 コンサートにはよく行った。
横浜に住んでいた頃は、神奈川県立音楽堂や県民ホールに歩いて行けるところに住んでいたので足しげく通った。
 特に音楽堂は千円前後のコンサートが多く、中学3年のときから大学生頃までホントによく聴きに行ったものだ。現在の音楽感をつちかったと言っても大げさではないくらい、根深く染み付いている。

 どれもこれも印象的であり記憶に残っているのだが、それらの中で一番の演奏は
大学生の頃だったであろうか、
ライプツィヒ聖トーマス教会合唱団&ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団による
マタイ受難曲であった。








 その後社会人となり、給料をためステレオセットをそろえ、そのLPを買った。
全曲は約3時間にも及ぶが、一体何度繰り返し聴いたことだろう。

 引っ越してからも、◯◯文化会館や◯◯芸術ホールといった施設に、でかけたものだ。
もちろん、足を伸ばして神奈川県民ホールにも聴きに行っていた。

 しかし、ある時からパタッと脚が向かわなくなった。
その理由ははっきり憶えている。

 神奈川県民ホールの演奏会での事だった。
休憩時間になり階段を降り、ホールに向かうときのこと、
ホールの喫煙場所になっている付近から全体に、紫煙が濃く立ち込め、また匂いもひどかった。
目は涙目になり、匂いや煙で頭がクラクラした。

 なんで、誰もが必ず通らなければならない通路途中に喫煙場所をもうけたのか、腹が立った。
当時としては、分煙しているだけでもまだ良かったかもしれないが、
あのけぶりにけぶった、ボヤ騒ぎ以上のホールの光景は忘れられるものではない。

 それ以降、どこのコンサートホールにも行かなくなった。





2016年6月16日木曜日

MacBook Pro 15-inch, 2.4/2.2GHz(2007)のWiFiがやっとつながった♪ その4

 いろいろネットで巡り巡って、基本に立ち返りました。
Unofficial Qualcomm Atheros drivers website からドライバーをダウンロードして試みると・・・






 一応最新のモノのようなので、まずは Windows8_64bit 対応のドライバー。
インストールできましたがダメ。
ダウングレードすべく、Windows7_64bit 対応のドライバーの中で2011.11.11のものをダウンロードしインストール。



 たくさんのバージョンの中からこれを選んだのは、
BootCamp4バージョンの日付に近いものを選択しただけです。
試してはいませんが、この日付近辺のものを選んでもうまくいくとおもいます。

 再起動して、やっとやっとやぁーーーーとっ つながった。ふぅー。
ずいぶん、いろいろなことを試みましたが、
やはりポイントは、適切なドラーバーをインストールすることですね。



 速度もカタログ値だし、途中で切れることもなし、大丈夫そうかな。
めでたしめでたし。


 電源を落とそうとしたら、更新プログラムが入っていた。



WiFiでダウンロードできたっていうことだ。
スケジュールではなく、手動でインストールし再起動。
デスクトップ画面になるとともに、WiFiも同時につながっている。
これでよし。


 そうそう、Qualcomm Atheros driver のインストール方法も忘れないうちに記しておきましょう。

インストールするファイル上で右クリックして出てくるメニュウからは、インストールは進んで完了するのですが、何故かインストールできてませんでした。

 なので、デバイスマネージャーメニューのヘルプの下にある
「ドライバーソフトの更新」アイコンを選び



後はメニューに従い、頑張ってインストールするドライバーシステムファイルにたどり着き、選択すればOKです。






2016年6月15日水曜日

BootCamp領域のWin7を10にアップグレード その3

 MacBookPro2011のアップグレード再開です。

 次の記事を見つけた。  
「Build 10565の注目は、Windows 7/8/8.1のプロダクトキーが利用できるようになった点だ。Windows 7/8/8.1からのアップグレード時に、元のWindowsでアクティベーションがされていなくても、Windows 10をインストールした後で、設定→更新とセキュリティ→ライセンス認証の画面でWindows 7/8/8.1のプロダクトキーを入力すれば、Windows 10のアクティベーションができるようになる。

 また、同じデバイスにWindows 10のメディアを用いてクリーンインストールする際も、インストーラでWindows 7/8/8.1のプロダクトキーを受け付けるようになった。これにより、Windows 7/8/8.1のライセンスを用いたアップグレードでも、一旦旧Windowsをインストールする必要がなくなった。」

 文面通り、インストーラーからWin7のプロダクトキーを入力するも、はじかれました。


 気を取り直して、なるべく今までとは異なった方法でアップグレードしようと、
エクスプローラー11でMSN JapanのHPに行くと、一番上に
Windows10アップグレードの案内があり、そこからインストールを始めた。
無事完了。
すぐにライセンス認証です。
ついでに、プロダクトキーを読み取ると
もう1台のと同じではないですか!

 ググったらアップグレードのプロダクトキーはみな同じらしい。
プロダクトIDは最後の4桁?が異なってはいました。

 他の雑多な設定をして、システムイメージバックアップをとろうとしたが
例の 「Windowsバックアップでソースボリュームに共有保護ポイントを作成できませんでした」
のエラーが出てだめ。
easeUS Todo Backupのフリー版に頼ることにしてシステムイメージはよし。



 BootCampドラーバーが不安定で、その設定や、Fnキーで明るさ調節をすると
出ました。
何度も出ている BAD POOL HEADER です。

 エラーの出るたびに再起動を繰り返し
なんとか立ち上がったところで
設定から回復を使ってもとのWin7に戻しました。
戻すのに10分もかからず、すんなりいって
なんか狐に包まれたみたい。
これくらいスゥーッとシステムイメージのバックアップもとってくれよ。

 BAD POOL HEADER のエラーの原因は
BootCamp4だったので、これを5にしました。
このWin7ではシステムイメージ作成でエラーは出ずにできました。
あとは、ここからWin10アップグレードを実行すればうまくいくはず・・・

 Win7+BootCamp4 でWin10にアップグレードしてからでは
BootCamp5にアップデートできないのです。
なので一旦、Win7にしてからBootCamp5にする必要があるのです。
最初にそのことを知らなかったので
遠回りをしてしまった訳でした。

 ですが、しばらくこのままWin7を使うことにします。
機械はやはり安定しているのが一番だなぁ、とつくづく思います。

 何も調べないでいきなり2台のMacBookProにWin10アップグレードしました。
それもWin10アップグレード対象外の2007と2011です。
2011は今のところWin7に戻してありますが。

 2007(Yosemite+Win10(BootCamp4)、メモリ2GB)の方は
アップグレード一直線と言った感じで、何も問題なくできて
さらに、アプリも以前と同様にプリンターも10年前のが使えているという
文句ない状態です。
(追記)2016.06.15現在
WiFiの接続に時間がかかっていたので、設定しなおしていたら、接続できなくなりました。
有線LANはOK。

 一方2011(Yosemite+Lion+Win7(BootCamp5)+空き領域、メモリ16GB)の方は
高さの異なるハードルが次から次へとあらわれては
誰かがまたその先に新たなハードルを立てるという始末。
なんとかクリアーしたとおもうけど、大変だわーこりゃー。


2016年6月14日火曜日

BootCamp領域のWin7を10にアップグレード その2

 しかし、すんなりアップグレードできたWin7から、同じようにしてアップグレードを進めると
99%で止まってしまい、完了できなかったのです。
うーん、残念・・・


 この機種でのアップグレードは一時中断して、もう1台の MacBook Pro 15-inch, 2.4/2.2GHz(2007) + BootCamp4 のアップグレードをしてみることにします。

 今まで試みたアップグレードの方法は取らずに、タスクバーに現れている通知バーから行いました。
3時間弱でインストール完了し、以前のWin7のアプリや様々な設定はほとんど引き継がれていますが、日本語変換のかなキー、英数キーが今のところおかしいくらいです。
これは、capsキーで代用できるのでそれほど困りません。

 BootCampのドライバーの再インストールも必要ありませんでした。
約9年前の機種で、ほぼ完璧にインストールできています。
Office2007も動いている。
CanonPixus865Rで印刷もOK。
うまくいったようなのでよいのですが、一体どうなっているのでしょうね?!

 Win10が動いているうちにとおもい、
システムイメージのバックアップをとろうとしたのですが、エラーが・・・
「Windowsバックアップでソースボリュームに共有保護ポイントを作成できませんでした」
検索すると対処法があるのですが、どれもダメ。

 アップデート前にインストールされていたWin7のシステムイメージは保存できているので、PCや外付けHDの問題ではなくOSが原因だとおもいます。
次々に困難なハードルがあらわれますなぁ。
復元ポイントも同じようなエラーで作成することができません。
フリーソフトでインストールしたWin10のプロダクトキーを読み取っておくことにしました。


2016年6月13日月曜日

BootCamp領域のWin7を10にアップグレード その1

 アップグレード実行前にはバックアップをしなければなりません。
Win7のシステムイメージのバックアップをとり、次にアップグレード。
MacbookPro Early2011 はこのアップグレード対象外だがネットを調べるとできている人もいるようだ。
アップグレード自体はすんなりいった。

 不具合を調節し、ドライバーを再インストールしていたら、
C:¥Boot¥bg-BG のエラーがでて、いっちもさっちもいかなくなった。
重症なエラーなようなので、あきらめて
win7に戻そうとインストールディスクから立ち上げようとしたら
この重篤なエラーが回復し、通常にWin10が立ち上がった。
理由は不明だが、まぁよかった。

 いろいろ設定し、再起動をかけたら
今度は、カーソルが左上で点滅を繰り返すだけで、立ち上がらなくなった。
これも重症で、ブートセクターが破損している可能性が大きい症状だ。
インストールディスクから修復メニューを選び、コマンドプロンプトからchkdskなどで対処したが
やはり立ち上がらない。

 システムイメージのバックアップを戻そうとしたのだが、
修復ツールの途中で、

「ディスクをフォーマットしてパーティションに分割する」

というところでひっかかった。

内蔵HDすべてをフォーマットするわけにもいかず、BootCampのパーティションには復元できないものだと勘違いをしてしまった。

 ここから時間を費やしたが、結局win7を新規インストールした。
そこに10をアップグレードしようとするのだが、できない。
99%のところから先に進まない。
その問題の対処も試したがダメだった。
以前のWin7ではすんなりいったから、できるものばかりと考えていた。

 なんとかバックアップのシステムイメージを復元できないものか再考し、更にググった。
ヒントになるブログがあり、修復ツールの流れをもう一度確かめた。
先ほどの勘違いのところが、落とし穴でした。

 何の事はない、先ほどの勘違いしたところでは、
そのまま、「次へ」をクリックして進めばよかったのだ。
何も選ばないという選択をするのでした。(一番大きい画像の所)

で、そのまま進めるとあっけなく復元できました。
BootCampのWin7システムイメージバックアップを元の場所BootCamp領域へ復元できるのですね。
めでたしめでたし。

 以下、画像が多いですが復元する流れを貼り付けておきます。














 システムイメージバックアップの方法は次の3通りくらいでしょうか。
1。Windowsのシステム(エラーが多そう、エラーが出ると復元ポイントもできない)
2。winclone (Lionまではフリーだがそれ以降は有料)
3。easeUS Todo Backupのフリー版(Win版しかない。使い勝手がよい、安定していそう)
  日本語公式ページはこちらです。
  

その2へ続きます。



2016年6月3日金曜日

大活字本シリーズで 三浦哲郎 忍ぶ川 を読んだ

 図書館の窓口で借りて、ページをパラパラとしたとき、
でかっと
おもったが、読み始めるとすんなり目は受けつけました。

 大活字本は数十年前からあり、本屋さんでも手にしていたことはありましたが
一冊をまとまって読んだことはなく、
せいぜい、子どもの絵本やお話を読んでやったときぐらいしかありませんでした。

 大きい活字でもやはり老眼鏡(+1)は必要なのですが、読みやすい。
小説の話の展開にあわせて、活字そのものもそれらの起伏をなぞり、生き生きしているように感じます。
活字自身の字面は大活字だけあって表情があり、どのページも同じ大きさの活字を使っているだろうに
読み手の感情にそうように変化してくれます。

 大きければ良いというものではなく、それはパソコンで読む文章を拡大して読むのと比べればわかります。
風情もかすれもざらつきも翳も日向もあったもんじゃない。
匂いもないし。

 これからもたまに大活字本を選んで読書してみよう。



 で、忍ぶ川。
主人公たちの生きている時代の匂いが、とてもよかった。
日傘を相合い傘にしてデートする、志乃らしいはしゃぎかたが目にうかぶ。
深川の貯木場のちょっとドブ臭かったり、木の香りがそれらに混じったり、
足を進めて、昼下がりの娼街のけだるさと、西日の感じ、
また、志乃が働いている料亭とまではいかないお店のたたずまい、
志乃の言葉遣いが、日活の古い映画を見ているようで心地よい。

 結婚式の場面では、図書館から借りているので濡らすわけにはいかず、体から遠ざけるのだが
大活字本では離しても活字をしっかり読むことができるので助かる。

 本人たち二人、両親、姉の5人の結婚式
わたしの結婚式でも父が高砂を謡ったが、三浦哲郎の父親の高砂はこころをうつ。
「うちつづく子らの背信には静かに耐え得た父母も、こんなささやかなよろこびにはかなくも他愛なくとり乱すのである。」
 三浦は、「声をはなって泣きたいような衝動に駆られた。」
事の顛末を作品を通して読んでるわたしは、胸をかきむしられ、しめつけられる。



 三浦は「ちいさく争う三人を、ただだまってみていた。」のだが、
「ちいさく、貧しくとも、つよく、心ゆたかに生きようというのが、私たちの信条であった。」と書く。
平易な単語をならべ、なんと力強い決意と希望に満ちた言葉をくりだすことか。

 三浦哲郎は忍ぶ川を作品にし、芥川賞をもらうまでの経緯を随筆にしている。
そちらを先に読んでいたので、忍ぶ川を読みながら、その行間を深く味わうことができ
一層、この作品を重層して眺めるようにページを進めた。
名作である。