2016年6月3日金曜日

大活字本シリーズで 三浦哲郎 忍ぶ川 を読んだ

 図書館の窓口で借りて、ページをパラパラとしたとき、
でかっと
おもったが、読み始めるとすんなり目は受けつけました。

 大活字本は数十年前からあり、本屋さんでも手にしていたことはありましたが
一冊をまとまって読んだことはなく、
せいぜい、子どもの絵本やお話を読んでやったときぐらいしかありませんでした。

 大きい活字でもやはり老眼鏡(+1)は必要なのですが、読みやすい。
小説の話の展開にあわせて、活字そのものもそれらの起伏をなぞり、生き生きしているように感じます。
活字自身の字面は大活字だけあって表情があり、どのページも同じ大きさの活字を使っているだろうに
読み手の感情にそうように変化してくれます。

 大きければ良いというものではなく、それはパソコンで読む文章を拡大して読むのと比べればわかります。
風情もかすれもざらつきも翳も日向もあったもんじゃない。
匂いもないし。

 これからもたまに大活字本を選んで読書してみよう。



 で、忍ぶ川。
主人公たちの生きている時代の匂いが、とてもよかった。
日傘を相合い傘にしてデートする、志乃らしいはしゃぎかたが目にうかぶ。
深川の貯木場のちょっとドブ臭かったり、木の香りがそれらに混じったり、
足を進めて、昼下がりの娼街のけだるさと、西日の感じ、
また、志乃が働いている料亭とまではいかないお店のたたずまい、
志乃の言葉遣いが、日活の古い映画を見ているようで心地よい。

 結婚式の場面では、図書館から借りているので濡らすわけにはいかず、体から遠ざけるのだが
大活字本では離しても活字をしっかり読むことができるので助かる。

 本人たち二人、両親、姉の5人の結婚式
わたしの結婚式でも父が高砂を謡ったが、三浦哲郎の父親の高砂はこころをうつ。
「うちつづく子らの背信には静かに耐え得た父母も、こんなささやかなよろこびにはかなくも他愛なくとり乱すのである。」
 三浦は、「声をはなって泣きたいような衝動に駆られた。」
事の顛末を作品を通して読んでるわたしは、胸をかきむしられ、しめつけられる。



 三浦は「ちいさく争う三人を、ただだまってみていた。」のだが、
「ちいさく、貧しくとも、つよく、心ゆたかに生きようというのが、私たちの信条であった。」と書く。
平易な単語をならべ、なんと力強い決意と希望に満ちた言葉をくりだすことか。

 三浦哲郎は忍ぶ川を作品にし、芥川賞をもらうまでの経緯を随筆にしている。
そちらを先に読んでいたので、忍ぶ川を読みながら、その行間を深く味わうことができ
一層、この作品を重層して眺めるようにページを進めた。
名作である。






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