2018年4月30日月曜日

SketchUp 都道府県別立体グラフ  その2

 日本の白地図はフリーのを探せばすぐに見つかります。
わたしはこれをダウンロードしました。
http://www.amano-tec.com/data/blankmap.html

 作り方の流れは、日本の白地図を読み込み、地図の線をフリーハンド鉛筆でなぞるという
いたって原始的な方法です。
正しい方法は、レイヤーを幾つか使って、地方ごとに線をなぞってゆけば一度に



地方ごとと全国とが完成できるわけですが、ここでは全国だけをレイヤーも使わずに行います。

 すべてなぞったあとに、原図のpdfを削除します。
ここからはめんどくさいですが、都道府県別にひとつずつグループ化してできあがりです。


1. SketchUpのインポートでpdfで読み込みます。



2. 真上から見るように座標を動かします。



3. フリーハンドの鉛筆を選択して、日本地図の線をなぞります。



4. このあたりはデザイン的なセンスで仕上がりに差がつくところです。
 ジジイのわたしにはセンスなど皆無の上、手の震えを抑えるのに必死です。
   なぞった線が気に入らなかったり失敗してしまったら、「元に戻す」でもう一度頑張る。



5. ほぼすべてなぞり終わったところ。



6. pdfの原図を選択する。



7. それを削除。



8. 都道府県別にグループ化して完成。




 以上で都道府県別立体地図は出来たのですが
これに色を付けると、おかしなことがおこるのです。
つづく




2018年4月29日日曜日

SketchUp 都道府県別立体グラフ その1

 すでに開発されていて、
https://3dwarehouse.sketchup.com/model.html?id=5006db031c77443c3ed8ddfcc26103



ここからダウンロードすれば、すぐに使えます。

 たとえば、速水融 著「江戸の農民生活史」の「近世後期の人口趨勢1721-1846」を立体グラフにしてみました。



 人口の趨勢が西高東低であることなど、一見して明解であります。
この例は大雑把にいろいろ試しながら作りましたので、北方領土に色がついてますがこれはペイントの練習の名残です。無視して下さい。

 しかし、この都道府県別立体グラフ白地図は細かすぎて、やや使いづらい。
こんな風にしたらなんとなくデザインぽくって見やすいかもと試してみると。



 うん、イイ感じ。
これで、試作してみます。
つづく。



2018年4月28日土曜日

今日のニトリの全面広告驚いた

 2018年4月28日連休初日の全面広告、デザインもよく爽やかです。
ニトリは「お値段以上」の宣伝で親しんでますが、
ジジイは先日、ベッドシーツ2枚をお値段以上で購入し気に入って使用しております。

 今日の木工品の価格は驚きました。
ニトリがまさか生産国の人々を過酷な状況のもと虐げる同然のことをして、端材や削りカスや粉にまみれて作業させているとはおもいませんが、それにしても「おねだんいじょう」なのでなんか
う~んってうなってしまうんだな。

 まずは、スプーン&フォークとオードブルプレート。



 価格がこれ。



 これと同じようなものは実店舗でも販売していて、手にして見たことがあります。
丈夫そうで手にした感触もよかったです。

 ジジイのわたしもこういった木工小物制作販売していますが、
わたしが作るとすると、
スプーンとフォークはひとつ500円だな。
プレートは100円〜200円。


 次は、お盆というか、お皿。



 価格です。



 やはり、う~んってうなってしまう。
プレートが1200円で仕切り入が700円。
わたしの価格は、
プレートが2000円、仕切り入が1500円ってとこかな。

 わたしの販売価格は安い方です。
もっと上手で本格的な木工屋さんではこの3、4倍位が普通です。


 次の木台、鍋敷きで少しホッとした。



 価格は500円。





 うちでは、300円か400円。
やっと太刀打ちできた。

 送料が下の方に小さくかいてあって、これ。



 注文の品物より高いんだな。
お店へ出かけ、手にして感触を確かめ購入するのがいいね。

 全面広告のどこにも、生産国と木工品の材質がかいてないのが気になるけど
きっとベトナムとかラオスとか東南アジアのどこか、
材質はゴムやそれにちかい南洋材だろうな。

 ちなみにわたしが販売しているのは、
国産材のけやきや栗であります。

 あ~、朝から隅々まで見入ってしまったニトリの全面広告でした。
確かにおねだんいじょう♪ですね。




2018年4月27日金曜日

「江戸の農民生活史」速水 融 を読んだ

 高々300戸の濃尾西条村を宗門改帳から、農民の生活を浮かび上がらせ、分析した本。
この手の本は大好きです。

 「第六章人々の多彩な生涯」がジンと来る。
医師をめざした地主の末っ子とその家族、小作農伊蔵の一家、道がわかれた三人娘の人生、生活史の語るもの、これらの小題を見ただけでもそれぞれの家族史、生活史、村の変遷におもいをはせてしまう。
農村を舞台にした時代小説が3本かけそうだ。

 それまでの江戸時代の農村の姿をこわしてくれるのは快感だな。
・都会への奉公により、農村でも都会の話題が日常的にあった
・支配階級である武士とそれ以外の身分差は厳然としていたが、農民との人的交流が多かった
・農民相互間で頻繁な養子の慣行が想像以上に広く行われていた

 「第7章西条村人口史と江戸」はダイナミックである。
現在では人口の増減が諸文化の発展衰亡などと必ずしも関連しないらしい。
西条村の興亡が近在に大都市が隣接したこともあるかもしれないが、
わずか300にみたない村が江戸期の日本にスポットライトをあて、
その存在を際立たせているのは楽しい。


2018年4月26日木曜日

昨日は母の誕生日

 2018年4月25日は母98歳の誕生日でした。

往復142.8km 燃費17.9km/L
行 約2時間40分 大雨 気温15℃
帰 約2時間10分 曇からの晴れ 気温25℃

 16号相模原の真っ直ぐな道路両脇の欅がもうすっかり緑々で新緑がきれいでした。
あれだけの交通量の街路樹なのに、たくましい。
枝ぶりはひょろ長かったり、元気なさそうなのが目立ったけど、葉っぱは排気ガスに負けずしっかりしてたな。

 母は食欲もあり、手もモチモチして、顔の色ツヤもよく
元気そうなので、うれしかったな。


2018年4月25日水曜日

今日は母の誕生日

 2018年4月25日は母98歳の誕生日。
簡単な介護を市にお願いしているが、そばに住む兄のもと一人暮らしをしている。

 誕生日プレゼントに何をするかと悩んだが、地元野菜にした。
少しでもめがねにかなわないと受け付けないし食べない。

 まとまった雨がめずらしく降っている。
横浜まで順調なら2,3時間。
雨で渋滞が心配だな。


2018年4月24日火曜日

労働時間のこと

 20180420朝日新聞「安心新聞」で神里達博氏が速水融氏の『勤勉革命』を紹介している。
浅学のジジイは知らんかった。
『産業革命』は知って(いるつもりで)いた。

 詳しくは調べていただくことにして、簡単にいうと
江戸時代18世紀後半頃、農村で家畜(馬)の代わりに人がせっせ、せっせと働き
生産性を向上させ、豊かになった、とまことに明快な革命です。

 その時代、農民は人口の85%程度でしたから、「せっせ、せっせ」が其後の日本人の勤勉性を培った、と考えても何の不思議もありません。

 今、「江戸の農民生活史」速水融 を読んでいるが、
P.71「この地帯で、他所では牛馬の行っていた作業を、人間自身が行わなければならなかったこと、つまり農耕に激しい人間の労働が必要であったことを物語っているのである。」と美濃国輪中地帯四郡のことを分析している。
 この本の中では、牛馬が減り人力が増えていることに触れているのはこの箇所だけである。

 フランスのバカンス制度だって古いものではなく、つい最近できた制度だ。
日本の勤勉革命による、骨の髄まで染み込んでしまったその精神を作り直すには
あらたな革命が必要なのだろうけど、それは何だろう。

 遅刻はしないさせないと労働時間の入り口は極めて厳重なのに、
勤務の終了時間という出口は、無いも同様。
ずっとずっとず~~~っと働き続ける、明日の朝がまた来るというのに。

 あれだけ時間厳守をどこでも唱えているのだが、
労働については全くなし。
その原因をたどってゆくと、江戸時代の勤勉革命かと、ひどく納得させられるな。

 原因は勤務時間を守らないという単純なことと、勤労は美徳という厄介な道徳倫理観。
解決の糸口さえ見つからぬ暗〜い話になってなってしまった。
ちっともめでたしめでたしじゃないな。



2018年4月23日月曜日

トカゲが今年もでてきたぞ

 数日前、急に初夏の日差しになった。
雑草が目立ってきた庭をみていると、トカゲが走り回っていた。

 追っかけっこをしている。
縄張り争いか、それとも求婚か。
おや、もう一匹いる。
しっぽがないぞ。

 三匹でじゃれるかのように目まぐるしく動き回っている。
写真を撮ろうにもじっとしてないので無理だな。

 疲れたかどうかはわからぬが、ときたまそれなりの距離を保って
休んでいる。

 しばらくして、一匹がちょっかいをだすと、また鬼ごっこ再開だ。
猫や鳥に食われるなよ。


2018年4月22日日曜日

日高市横手台グランド

 一昨日散歩に行ったら、結構な人たちがまとまって何か手入れをしている。



 駐車場には見慣れたシルバーさんたちの車がこれまた結構ある。
画像をアップしてみると



 そのシルバーさん総動員で雑草取りでした。
ご苦労様です。

 シロツメグサを採っている。
繁殖力が強いので、芝がやられてしまうんだろうな。
シロツメグサだけの野原も好きだけど、グランドは芝だから二種類の手入れは大変だもんな。



2018年4月21日土曜日

飯能博物館リニューアル

 2018年4月1日にリニューアル会館しました。
昨日4月20日図書館帰りに立ち寄りました。



 飯能は関東平野の西のヘリにあるんですね。



 なので、飯能から秩父への山々が始まります。
入間狭山方面から車や電車で走ってくると、飯能から急に山間に入り
その変化は際立っています。

 地形的にヘリから山間部に線で引いたような地域なので、
気象の変化も此処が境界になります。
この境界から山側が雨や霧でも、平らな方はなんともないなどしょっちゅうです。

 古文書もありました。






 この「ぶっこうしの顛末を記した文書」なんか、借りて読んでみたいな。



 博物館の主催で地元の古老を講師に、
こういった古文書を読む会を開催してくれると楽しそうだ。


2018年4月20日金曜日

ツバメだ 20180420

 今朝早朝燕初見参。

 声で気づいた。

 電線にとまっている燕は写真で簡単に撮れるが、
飛んでいるのは難しい。
速い。

 佐々木小次郎は必殺剣「燕返し」をあみだすまで
一体何羽の燕を切り撃ち殺したのだろう。

 燕が幸せをはこぶことを知らなかったんだな。
哀れ小次郎、燕の怨念もあったのかなかったのか、武蔵に負けてしまった。




2018年4月19日木曜日

「小栗忠順従者の記録―幕末遣米使節」を読んだ

 おもな内容は、小栗忠順従者 佐藤藤七の記録、「渡海日記」と「諸用留」が読める。
1860年遣米使節団としてポーハタン号に乗船し、いざアメリカへ。



 護衛艦として咸臨丸が従う。
咸臨丸艦長勝海舟、出発前から体調を崩し、航海中はまったく役立たず、
米国へ往く舟を待っていたブルック中尉を助太刀にやっとこさサンフランシスコへ入港した。
このあたりのことは此の本にはなく、此の本の著者のホームページに詳しい。



 艦長としての勝の情けなさ、乗船した日本人たちのやる気のなさ、いい加減さ、身分差に安住している様など、とにかくひどいもんだ。

 咸臨丸で往復した勝の大ぼら吹きと、小栗の日本自身で造船するという構想を頭から批判する先見性のなさが際立つ。
洋行して同じものを見てきたはずなのに、小栗はとにかく先進諸国に追いつけとあれもこれもと構想し奔走するが、一方、勝といえば何のことはない、のらりくらりしているだけ。
これからの日本などどうでも良かった感じだな。
勝の不甲斐なさは此のへんでおしまいにして、此の本のことへ戻ります。

 日記は事実を淡々と記しているだけ。
藤七の考察とか感想はない。
なので、タイムマシンにのり1860年のアメリカ東海岸の様子を見ている感じがしておもしろい。
ドキュメンタリー映画みたいだな。

 当時西海岸や内陸ではまだまだ、バキュンバキュンやっているところもたくさんあって無法地帯なんていっぱいあった。今では全米でそうだけど。
藤七が訪れたところは、米国でももっとも文化文明科学技術その他すべてにおいて最高な地域だった。158年前とはいえ、宿泊した旅館に驚く。蛇口をひねれば流れ出る水道施設、水洗便所が各部屋にあり、内線電話だってある。
街路にはガス灯があり、ほとんど現代と変わらない。

 後に遣欧使節団に随行した福沢諭吉が一緒に行った殿様が水洗便所を使うさまを日誌に記している。
洋式便所の周りの縁に両足をのせまたがり、和式スタイルでなおかつこちらを向いて、さらに
刀持ちのお小姓を便所前に侍らせていたらしい。当然ドアは開けっ放し。
これを見た諭吉、腹立ちまぎれにドアを蹴飛ばし閉めたらしい。

 ホラを吹いたかどうかはわからぬが、
遣米使節団の皆さん、どんなふうに洋式水洗便所を使ったのだろう。
使い方の説明は必ずあったはずだ。
ジジイにはこんなことしか興味がわかぬ。

 小栗と米国の役人との外貨交換率の交渉場面は有名だが、
懐から取り出したそろばんに驚き、その他も詳しく書かれ興味深い。
小栗の風采が記され、なんか身近に感じられる。

 随行した者に、肥前藩の出が多いのだがなぜなのだろう。
藩が先々のことを考え、多額の出資をしたのだろうか。

 藤七を含め、70名ほどの日本人が世界一周をして帰国したが、
其後の彼らはどのように生きたのだろう。
この経験を生かして活躍したのだろうか。

 帰国に際して乗船したナイアガラ号は、其後の活躍がこれまた興味深い。
話がどうもどんどん膨らんできた。
此のへんでおしまい。

2018年4月18日水曜日

大本営発表イラク日報  怒りはおさまらず

 歴史書というものは勝者の歴史とは古今東西例外がありません。
日本書紀から始まり徳川実紀へと延々と続きます。

 これらの歴史書に共通しているのは、
事実や出来事がはじめにあって、
それらを時の為政者が都合のようように記したということです。

 ところがイラク日報だけでなく連日の改竄文書は、
事実や出来事を国会で都合のいいように答弁したその内容にすりあわせて、
文書を作成しているということです。

 出来事などはおいておいて、首相の国会答弁にあわせ公文書を作成するなんて
歴史書の鉄則を打ち破った画期的なものといえるでしょう。

 いや、待てよ、なんか変だな。
やっぱ、なんにも変わってないのか。
権力者がやりやすいように、下僕の書紀たちは忖度して記録していったのだから、
彼ら官僚たちは、歴史書の鉄則・伝統をしっかりと守っている
ということになるのだな。

 こんな仕事しかできない一部の官僚たち、
もともとのこういった倫理観が欠如しているのだから、
転職してもらうしかないような気がするな。


 上記一日おいて、読んでみたが、なんだかわからなくなってきた。

 今日の朝刊で問題のイラク日報を読んだ。
心身ともに辛い現場の様子が伝わる。
自衛隊活動をありのままに伝えたほうが国民への理解は深まるとおもうんだけどな。
隠す必要がどこにあったのだろう。

 国民の誰一人だって、
戦争のあるところへ自衛隊が派遣されて、戦闘行為に巻き込まれる云々がないなんて
おもってなんかいないよ。

 派遣された時点で、もうそんな問題は終わってる。
派遣されてしまったらもう次のことを考えなくっちゃ。


2018年4月17日火曜日

大本営発表 イラク日報

 自衛隊内部だけでしか把握してなかった、
これじゃ、大本営発表よりひどいじゃないか。

 大東亜戦争で国が亡くなるかもしれないほどの経験をして
何にも生かされてないなんて、兵隊さんや空襲で亡くなった人たちに
あの世に行ってあわせる顔がない。

 人は食うだけに生きるにあらずや。


2018年4月16日月曜日

釜久 飯能市

 何度か紹介している、飯能市美杉台にあるお煎餅屋さん&工場です。
ここに工場ができてから数年がたちました。
口コミでお客さんもたくさんいるようで、結構なことであります。

 土曜日になると、こわれせんがお安く販売されます。
「久助おこげ桜えび」がジジイのお気に入りです。



 一袋190円也。
画像の発色が悪くてすいません。
包装が簡素化され簡単パッチンも付きました。

 シンガポール・香港・タイ・インド等々、東南アジアなどで
さくっと揚げた軽い煎餅みたいなものに、海鮮や八宝菜などのあんかけなどをかけて食べる料理がありますが、この「おこげ桜えび」がそれに使えるのではともくろんでいます。

 しかし、その料理を試す前にいつも食べ終わっちゃってんだな。

2018年4月15日日曜日

ブルーベリー2018

 5日前の写真。
今年は寒かったので、芽のつきが悪いなとおもってたら、
たくさんありました。



 例年ほったらかしなんだけど、今年はせめて肥料くらいはと心がけます。


2018年4月14日土曜日

植林の跡

 太平洋セメントの工場が見えます。
地元日高市の名所日和田山が新緑です。



 目を左にずらしてゆくと、新緑が続き、キレイ。



 秩父の方は、少し霞んじゃってるな。



 団地の西側の山は新緑の方が多い。



 で、ジジイのわたしが立っているところは、横手台グランド。
櫻は葉桜になって、グランドの芝の養生の時期になるな。
櫻の幼木は北風にあおられて、みな南側になびいている。
正直というか、動けないから生き抜くにはこれしか方法がない。



 飯能市の山林は8割以上が戦後の植林なんだけど、
今見てきた山並みは、もともとの広葉樹が優勢だな。
これからは混交林が植林の形態に一番適切といわれている。
その前に、戦後植林した檜・杉など針葉樹を片付けなくちゃ。

 それにしても、今年の花粉はここに引っ越してきて一番のひどさだった。
花粉症じゃないからいいんだけど、風が吹けば舞い上がるし、車は真っ黄色になるし
いやいやすごかった、というか、まだ終わってないんだな。
ふぅー。

2018年4月13日金曜日

古川古松軒と菅江真澄

 古松軒「東遊雑記」に、天明8年7月9日巡見使一行と久保田(秋田)に入るところ、
「人びとこの辺りの風俗を論じ見る所、この方のおもうよりも農業のいたしかた不調法にて、強いて地の利をとるのの心もなく、生まれながらにして鈍才愚物の百姓ゆえに、自分貧賤を招くように思われ侍ること多し。衣服のつづれしも、屋宅の見ぐるしきもいとわず、米のたくさんなるままに、平生遊び暮らしにてすむことなるによって、それに応じて心も遣うことなれば、見る体いずれにても鈍に思われ侍るなり。上方筋の人物とは大いに異なる。・・・」
と記した。

 此処まで書くかというほどに、けなしている。
それにしても、旅の紀行に「生まれながらにして鈍才愚物」はなかろう。
この手前のところで、通り過ぎてきた街をほめそやしているので、なお一層この部分が際立つ。

 東遊雑記をとおして古松軒の人柄が浮かぶのだが、
気位が高いというより面子を潰されることがなによりも嫌だった、
巡見使随行であるからその土地々々の評価をするのは仕事の役目とはいえ、
上中下、大中小、松竹梅、貧富の差などそれら言葉の端々に偏見が見える、
を感じる。

 わかりやすくいうと、
当時、家の屋根は西国では瓦、東国では藁が多かったわけだが
藁の屋根→貧しい→卑しい、と
古松軒の見方は単純なのだ。

 「東遊雑記」が世に出て30年ほど後に、菅江真澄がこれを読む機会を得た。
そしてこう批判し、嘆く。
「天明のころ、御巡見使にやしたがい来りけむ、備中の国の古松吉辰が記し『東遊記』といふものを見れば、久保田をあしざまに言ひ、亀田をことごとほめたり。何か心にかなはぬ事ありしにや。さりけれど、ふみは千歳に残るものなり。心にかなはぬとて、いかりのまにまに筆にしたがふものかは」

 なんと的を得て、相手を思いやりながらも、あんな風にかくことはしないほうがよいのにと
静かだが言うべきことはしっかりと記している。

 真澄は随筆集「久保田の落穂」に上記の文章を認めたが、
それを読んだ古松軒の感想が気になる。
うーん、残念ながら古松軒1807年に亡くなってしまっていた。


2018年4月12日木曜日

「日本近世の起源」渡辺京二著 を読んだ

 ふぅ〜、ため息です。
ようやくひと通り読み終わった。
読みごたえあり、充実した内容でした。

 バテレンの世紀、近代の呪い、黒船前夜、日本近世の起源、逝きし世の面影、江戸という幻影
今のところ此の6冊。

 読み終わってふとおもったのは、社会科で学ぶ歴史の授業のこと。
渡辺氏のような、挿話をたくさんはさんで歴史を語ってゆくという歴史の学び方、
特別講義のような形でも良いから、学んでみたかった。

 年金生活者のわたしのようなジジイでも、一冊一冊を読み終わると
目見開かれ、感動があるのだから、若い時分ならそれからの歴史感が変わったことは
間違いがないことで、こういった方法の歴史の学び方が世に広まればと願うな。

 此の本の内容、題名通り「日本近世の起源」が説得力あふれ丁寧に書かれている。
この内容の議論が、何十年もの間、研究者たちとその周辺だけでされていたと感じるのは
ジジイの教養レベルの低さだけが原因だろうか。

 17世紀当初前後に来日していた宣教師・商人などや江戸後期に訪れた外国人たちは一様に、
日本の農村の美しさ、農民たちの温和で満ち足りた表情に驚き感激している。

 なぜ当時の百姓たちはそうだったのかの理由を此の本は明らかにしてくれた。
そのことだけでも、ジジイにとっては感動大巨編なのでありました。

2018年4月11日水曜日

司馬「江漢西遊日記」の旅 その16

 江漢はどうして、北斎のほの字も日記にも手紙にも他の書物などにも残さなかったのだろう。
江漢生存中に北斎が単純に有名でなかったことだけなのだろうか。

 江漢先生、銅版画に成功したし、油絵だって先駆的に取り組み、
その作品だって上手でたくさん残っている。

 北斎も油絵に関心高くみずから描いているし、西洋画の陰影法だって、
あっさり描ききっている。

 ふたりの接点は十分すぎるほどあるとおもうんだけれど、
何も記録が残ってないのが不思議で変なんだよな。


 江漢1747〜1818、北斎1760〜1849 なので
北斎生まれてから江漢亡くなるまで、58年も重なっているのだから
お互いが名前くらい知っていて、どこかに記録が残っていてもよさそうなものだが
なさそうなのだ。

 もっとも一説として、北斎が江漢の冨士の画を見ていただろうというのがある。
証拠はないが、江漢があれだけ冨士を描いたのだから、
北斎がそれを見ていたってなんら不自然ではない。
それをもって、影響を受けたかどうかなんてわからんけどね。

 江漢はあんな性格で人付き合いも苦手だったが、良いものは良いと認めることができる人だった。
北斎も江漢以上に世間との付き合いはヘタで気位の高い人だった。
でも、二人ともひとの能力を妬むような人ではなかったようにおもう。

 ふたりのことは研究しつくされているようだが、
例えば、同時代の円山応挙については、
天明8年11月26日に
「坐しき四枚襖、京都の画師応挙なり。鯉二つ、藻也。亦たかわせみの飛びたる図なり。誠に上手なり。」
のように、ただ「上手」ではなく「誠に」と最上級の褒めようである。

 こんなふうに、江漢先生どこかに北斎のことを記したものがあることを期待するな。


2018年4月10日火曜日

司馬「江漢西遊日記」の旅 その15

 天明9年2月4日殿様と鹿狩へ出かけたときのこと、日も暮れて遅くなってしまった。

「・・・日も暮れければ、田夫田畑の間へタイ松を持ち数々出し路を照らし、田夫の家にはあんどんを門口に出し、またタイ松を持たせ、城下迄で連行は尚々ありがたく思うよし。老人は数珠を以て拝むなり。誠に愚直なる者にて、上に居る者之を憐れむべし。」

 松明や行灯の明かりが鹿狩の一行を照らす、農村風景。
江漢先生、あの独特な暗がりの色調の画で残してほしかった情景だぞ。

 其の通りすぎる殿様の一行を神様のように老人が手に数珠をまき、ひざまずいて拝んでいる。
江漢はこのことを「誠に愚直なる者にて、上に居る者之を憐れむべし」という。



 春波櫻筆記の中、阿部侯への進言の項でこんなことを記している。(現代語訳)
「領内巡見の際にどうやって小百姓たちを安撫するかということである。それには年をとった者を駕籠のそばによんで、領主みずから扇のようなものか、菓子のようなものを下されるのがよい。百姓というものはほんとうに愚直なもので、自分の国の領主を人間ではなく神様だと思いこんでおり、いちどおすがたを拝めば一生涯安穏でわざわいはなくなるものと信じている。だから老婆や老爺たちはみな出てきて数珠をもって拝むのである。・・・上にある者としては下の百姓たちをあわれむにこしたことはないのである。君主は民の父母なりということをよく心得て、あわれみをかけてやらなければならない。」

 西遊日記中にあらわれる、「愚直」「あわれむ」がここでも使われている。


 現代では「愚直」という言葉は「お馬鹿さん」の意で使われるだろうが、
当時というか、江漢はそうではなく、
愚直に仕事を成し遂げる、愚直に一心に念じ続けた、などのように、
いろいろな困難に立ち向かってただひたすらに物事をやり遂げようとする様を
表現していることに他ならない。

 江漢は、老婆や老爺、市井の人々、子どもたち、揚屋のおんなたちには
いつも暖かいまなざしを失わない人だった。


2018年4月9日月曜日

Eddie Bauer のメール

 見出しにバスケットボールの絵文字があるそ。



 米国でも絵文字が定着してるんかね。
オバマさんもなんか紹介してたな。

 漢字文化圏じゃ、漢字は絵文字そのもので
違和感なんかそれ程感じないもんな。


2018年4月8日日曜日

20180401櫻にさそわれて付近を散歩 その5

 近所のお寺、万福寺さんです。
ここも春一色。
きれいだね。





 此のお寺の駐車場の向かいに無人の地野菜が販売されてます。



 ほとんどが100円均一。
いつもお世話になってます。

 この時期は、のらぼう菜がうまい。
昨日は10束買って、兄と母へ宅配した。



2018年4月7日土曜日

「日航123便 墜落の新事実」 青山透子 を読んだ

 此の墜落事故のことは、
あの日の夕方のテレビのテロップに流れたときから、今でも鮮明に憶えている。
翌日、職場に着くとテレビで生存者がヘリコプターで引き上げられているところが
うつっていた。

 ボイスレコーダーまでが手を加えられてしまっている可能性。
言葉を失うな。

 いろいろ本など調べてきたが、
今回一番「そうか」とおもったのが、当時の中曽根首相の言葉。
「恐らく、防衛庁と米軍でやり取りがあったのだろう」

 中曽根元首相は真実を述べているのではないか。
日米合同委員会のことを指しているのだ。

 やり取りできるのはそこしかない。

 真実を知っている人は一部の人達、
数人ではなく、百人前後の人が知っていることになる。
米軍やボーイング社も入れればもっとずっと多いかもな。

 証拠隠滅作業に従事した者は数千人か、職務上知り得た秘密は口外せずか、
有能な人たちだな。

 日本航空は潰れてから現在でも再建中だろうけど、
真実を隠して本当に会社を立て直そうという覚悟があるのだろうか。

 事故だったとしても、そこまでは日本航空も被害者だろう。
しかし、事故原因の真実を徹底解明せず、
もし隠していることがあるなら
そこからは日本航空は加害者ではないか。

 本当に再建しようというのなら、真実の解明こそが、
亡くなられた方々の供養、残された遺族の方々へ謝罪になる。


わたしは清廉潔白矜持をもてる国民でありたい。


2018年4月6日金曜日

結局「大本営発表」なんだな

 財務省モリカケ改竄問題、
 防衛省日報問題、
 厚生労働省特別指導問題、
 日航123便墜落原因不明瞭処理問題、
他にもあるかもしれぬ。

 戦時中の大本営発表は敗戦まで国民をだまし続けた。
体質は変わらぬということか。

 引き継いではならぬことを引き継ぎ、
引き継がねばならぬことを、引き継がぬ。
新しい国造りのあらたな肝を押し付けだといって拒絶する。

 その結果がこれか。
真実を知ることが、明らかにするということが、
それほどに国を転覆させることにつながるというのか。

 米国は機会を見て全軍引き上げたかったのに、
それを引き止めなんでもするからと日本に駐留し続けてくれと懇願したのは日本政府。
「思いやり予算」と当時は言ったが、
今風に、「おもてなし予算」のほうが適切だな。

 核軍縮をすすめようという米国大統領は真っ先に日本が賛成してくれるとおもいきや、
「それはなりませぬ、核開発は必定、殿ご乱心めさるな」と、切腹覚悟で諌めたのは
これまた日本の大大名。

 経済発展まっしぐらの代償は、なんとでかいことか。
日本の誇りはどこいった。
そんなもん、もともとなかったのだな。


2018年4月5日木曜日

20180401櫻にさそわれて付近を散歩 その4

 飯能市立図書館の前にも大きな枝垂桜がある。
数日前来館した時は、満開でしたが、今日はもう遅かった。
なので写真はなしで、かわりに館内の写真。




 みなさんお花見に出かけたようで、館内はガラガラでした。





 まだ新しい図書館で、好きな場所です。

 しか〜し、栞代わりに頁を折る人がいて、とても不愉快なんです。
また、本を返す時、受付で投げ返す人がいる。
先日はあまりに頭にきたので、空手チョップが炸裂寸前でありました。

 借りる資格のない人がいることだけは確かだな。



2018年4月4日水曜日

20180401櫻にさそわれて付近を散歩 その3

 飯能市の中央公園と飯能河原では恒例の桜まつり。
朝10時過ぎで、駐車場は満杯でありました。



 昨日今日と絶好のお花見日和だな。



 鉄腕アトムの脇の枝垂れ桜も満開でした。


 この写真、アトムが見にくかった。
駐車場満杯だったんで、図書館の往き帰りに車の中から
撮りました。





2018年4月3日火曜日

20180401櫻にさそわれて付近を散歩 その2

 此のお寺のすぐ近くにある、日新木材。



 欅専門の木材屋さん。
こんなすごい梁が鎮座されておりました。



 アップしてみると、
欠点がないのもすごいことだけど、材のすなおさと力強さと目詰まり感も超特級品。



 埼玉林材市場のセリで、欅のほとんどがここの会社でおとされてしまう。
数年前、わたしも小さな欅の丸太をこのセリでおとしたけど、こんな小さな丸太まで日新さんセルんだから、あたふたしてしまいました。






 まぁそれにしても、売るほどあるはあるは・・・。





 端材は必ずでるだろうから、下さい。