2019年5月31日金曜日

Mathematica12 upgradeした

 ウルフラムからアップグレードのメールがきた。
数年前にver8にアップグレードして、もうすることもないだろうとおもっていたのだが
してしまいました。

 ver2の3.5インチのフロッピーディスク何十枚もインストールしたのはずいぶん昔のことだ。
それ以来、アップグレードし続け、ずっとこれで遊んでいる。

 で、今回ははじめてのダウンロード版。
日本の代理店に振り込んで数日後、Wolframからダウンロードのメールがきた。
アクセスするurlにはパスワードも挟んであるのだな。

 最初にダウンロードするためのマネージャーをダウンロードする。



 マネージャーを起動させると、Mathematica12 の圧縮ファイルのダウンロードが開始する
約6GBだが、10分もかからない。
表示される時間はいい加減です。





 検証の時間がそこそこかかります。



 指示にしたがって、アプリをドラッグしてアプリケーションフォルダーに入れる。
この過程が一番時間がかかった。
40分くらいかな。




 しかし、失敗。

 今度はファインダーのアプリケーションフォルダーへ直接ドラッグしてうまくいきました。

 ver8を削除しないでそのままいきなりver12インストールしました。
以前のノートブックで試したけど、問題はなさそう。

 これでまた遊べそう。
メデタシメデタシ♪


2019年5月30日木曜日

アマリリス

 いっぱい咲きました。



 短かった茎もそれなりに伸びたみたいだけど、やはり例年より短く感じます。
でも花がいっぱい。



 きれいだね。


2019年5月29日水曜日

「ジャポニスム」宮崎克己 を読んだ

 おもしろい。
現在、アニメやラーメンなど日本礼賛がうるさいが、
当時19世紀後半に始まった、日本からの堰を切ったような異文化の流入はとてもじゃないけど
現在のそれとは比較にならないくらい衝撃的であったようだ。

 たくさんの流入物で一番多かったものが扇子・団扇であったとは愉快だ。
パリのデパートでは粗品としてそれらを一人ひとりに引換券で手渡し、家でそれらは壁に飾られた。

 それらの影響はほぼ文化全般に及んだという。
そしてそれらは巡り巡って今度は日本へ影響を与えた。

 ジジイはほそぼそと江戸時代頃の古文書の学習を続けている。
なかなかやっかいである。
時制がはっきりしていなかったり、誰が誰に話しているのか、ある出来事の内容が記されてはいるが、それらがいつどこでどんなふうに起こったのかがよくわからないことが多い。

 自然や人物の配置などの捉え方が全く異なる絵は新鮮を通り越して衝撃だったこととおもう。
同じように、当時の日本の文芸作品も西欧流の文法にあてはまらず、切り口も全く異なった表現方法だったのではなかろうか。

 文化が流れ込み、それらが混じって今度は様々なところへ還流してゆく。
結構なことではないか。
それならば、異なった文化の壁が低くなるなり、なくなってゆき、交流が頻繁になりお互いの理解が深まってゆくはずなのだが、現実はそうではないのだな。

 ある自己完結していた国の文化がプチンと針で突かれ破裂した。一突きされた小さな穴は決壊して当時先進国と天狗になっていた国々へ流れ込んだ。彼らの想像を絶する一つの文化がそこにはあった。天狗になってはいたが、流れ込んだ文化の価値に気づくだけの度量はあった。吸収しこなされたものは今度は還流となって破裂してしまった国へ流れ込んだ。自己完結していた国が日本だったのでそれら一連の有り様をジャポニスムと言われるようになった。

 まぁ、こんなことなのだが。
ジジイは先程にも書いたとおり、それからの百年間、争いばっかりがあったことがどうしようもなく腹立たしい。結局何にもなってねぇじゃねぇか。
短気は損気。
啖呵を切ってもしょうがない。

 第二のジャポニスム「平和の還流」をつくらねばならぬとおもう。



2019年5月28日火曜日

崎陽軒シュウマイ弁当 その5


 雨が上がって、ホームのコンクリートはもう乾き始めていた。
そういえばこの駅は、ボクの実家の最寄り駅の一つだった。
高校通学のときに毎日使っていた駅だ。

 勝手知ったるマイプラットホーム。
OH! My Platform。
雨上がりの少し冷たい湿気たっぷりの空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
こんなことはなんにも予定していなかったことだったのに、なんかうれしかった。
近くのベンチに腰掛け、ザックからシュウマイ弁当を出し、紐といた。
おもいかけずちょっとでかけた行楽地で弁当をひろげた気分になった。

 外でこうして食うシュウマイ弁当も旨い。
辛子も醤油もつけなかった。
ビールがほしかったけど我慢した。

 眼の前で何本も上り下りの通過列車が通っていった。
その合間に各停が止まったが、別段気にならぬ。
車両の帰宅途中の人たちもこれといって奇異な表情でボクを見ていない。
見てないはずだ。
我関せず。

 駅の向こうには須賀線や東海道線、踊り子号などが通過していく。
そういえば、小さい頃母親にひとりでいっちゃだめだよときつく言われていたけど、よくここまで電車や汽車を見に来ていたな。先頭列車に丸い標識で背景が青で「つばめ」って白でかいてある列車なんかにであったときはもうウットリだったな。いつか必ずあれに乗るんだっておもった。

 この駅の脇にはこんなに主要な幹線が頻繁に走っているというのに、踏切があって
開かずの踏切だったんだよな。それが跨線橋みたいになって、駅舎にはエレベーターがついて。
そうそう、この駅のすぐ前の通りは国道1号線で、正月は箱根の駅伝の花の2区なんだよ。今じゃ信じられないけど、選手のすぐ後ろに走っている車から檄を飛ばすんじゃなくて、鞭打つみたいにガラの悪い人が拡声器で怒鳴り散らしていたな、街宣車みたいだったよ。
いろんなことが次々によみがえってきた。

 うん、なんか腹が一杯になった。
胸も気持ちもいっぱいになった。
実家によって母に会ってこようかともおもったが、なんか歩くのもかったるい。

 そのまま、我が家へ直帰した。
その日の夕食にシュウマイがでた。
内心、ひどく驚いたがそんなことはおくびにも出さない。
それくらいの修行は積んでいる。
しかし、からだは正直でいつものように箸がすすまない。

 おとうさん、食べないなら僕たちでたべちゃうよぉーと小学生の息子達はうれしそうだ。
こっくりとうなずくと、あっとうまにセイロは空っぽになった。
実は今日の昼の弁当、シュウマイ弁当だったんだ。
4ツ食った。
そんなこと言えるわけがない。
それくらいの分別は持っている。


 午前中はあたふたと忙しく仕事を中途半端に片付け、1時間以上かけて大会に出席し
会場の座席についていたのは約1時間、どんな議論をしていたのかもよくおもいだせない。
往復の電車をのぞいた時間はシュウマイ弁当を食っていたことになる。
4箱食った。
4箱とも旨かった。
そういう一日だった。
幸せな一日だったような気がした。

(おわり)


2019年5月27日月曜日

崎陽軒シュウマイ弁当 その4


 この会場の最寄り駅から各停で3つ目が終点の横浜駅だ。
10分もかからない。
空いている車両を選んで座り、ザックを膝の上に置く。
あれっ、いつもよりなんか重いぞ。
ザックのチャックを開けかけてすぐにおもいだした。
そ、そうだった、彼に無理やり持たされたんだっけ、恥ずかしかったけど。
目顔でことわったんだけどなぁ、しょうがないなぁ彼は。

 なんか急に食べてしまいたくなった。
ボックス席ならなんのためらいもなく、そんなことをおもった瞬間に弁当を食べ始めている。
しかし、今座っているのは通勤車両の典型的な長椅子である。
それにすぐに横浜駅についてしまう。
そんなことを考えていたらもうひとつ目の駅に電車は大きなカーブをキィキィときしみながら曲がり終えて停車しようとしていた。
なんせこの区間は20秒もかからないという短さなのだ。


 あぁー食いたい、さっき食ったばかりなのに、エ〜っとっ、いくつ食ったんだっけ。
ザックの中でシュウマイ弁当を握っているボクは、焦燥感に汗が吹き出していた。
そこの帰宅途中の女学生たちよ、ボクがザックの中でシュウマイ弁当を握っているなんておもってもいないだろう、ははは。
反対側の席でバカでかい声でくっちゃべっている男子学生諸君、
ボクが昼飯にシュウマイ弁当をもう3箱も食ってきたことなんかしらんだろ。ひひひ。

 しかし、ここで食いだしたら、終点の横浜駅までに食い終わることができるかどうか微妙なところだ。大好きなシュウマイ弁当をかっくらって味わうことなしに食いたくはない。
そんなことは決してあってはならぬ。

 あんなことやそんなことを電車が停車してドアが空いているあいだ、ふっと考えていた。
閉まる寸前、ボクは飛び降りた。
しっかりとザックの中でシュウマイ弁当を握りしめたまま。


(つづく)


2019年5月26日日曜日

崎陽軒シュウマイ弁当 その3


 先ほどと同じように、丁寧に紐をとき蓋をあけ、同じように蓋裏の米粒から食う。
ちょっと悩んだが、辛子と醤油も同じようにした。
うぅ〜ん、筍煮は飽きない味だなとおもいつつ、またたくまに完食してしまった。
いつも杏は最後にとっておいて、デザート代わりにして食す。
この杏がなくなったら、ボクはシュウマイ弁当は買わない。
もしそうしたら、崎陽軒は潰れるだろうとおもう。
ボクは潰したくなくても、世の中は許さない。

 弁当番の知人の目つきがちょっと変わったようにおもった。
なんだこいつはというふうにいぶかるのではなく、こいつはいったいこの定期大会に何しにやってきたのだという目だ。
そんな目線にボクは負けない。
4つ目をどうしようかと、少しは低くなった弁当の残りの山を見ていた。
どうだ、こんなオレでも少しは役に立つことができるんだ。

 ハッとして、気づくと、弁当番の知人がボクに呼びかけていた。
もう人も来ないし、残ってももったいないから、無理じゃなかったらどうぉ〜ぞ。
なんでそんなに語尾をのばすんだよ。
それに少し声がでかいよ、あなたは人の気持ちてぇーもんを考えないのですか。

 あっ、えぇー、オッとぉー、でもいぃーんですか。「う」で始まる感嘆の言葉を忘れていることにも気づかないくらい、ちょっと恥ずかしかかった。

 遠慮なくいただいた。しかしその場では食わなかった。
別に食えなかったわけでもシウマイ弁当に飽きたわけでもない。飽きるわけがない。
ザックの中にありがたくしまった。

 大会の会場へ入る。
喧々諤々熱気が立ち込めている。
静かに集中してシュウマイ弁当を食っていたホンノ少し前のひとときを噛みしめた。

 小一時間もいたろうか。
不まじめな組合員であるボクは、なんのためらいもなく、会場を後にした。
夕方のラッシュが始まる前でちょうどよかったや。
来るときには結構強く降っていた雨も今は止んで、少し肌寒くなっていた。


(つづく)


2019年5月25日土曜日

崎陽軒シュウマイ弁当 その2

 そんなふうに湧き出す記憶は、二口目三口目と箸をすすめるともうどこかに消えてしまっていた。
シウマイ弁当の中身は一体どれくらい変わっていないのだろう。
筍煮のあの味と歯ごたえが好きだ。
鮪の照り焼き、鶏のから揚げ、毎回同じものに箸をつけ、同じように旨いなとおもい、切り昆布や生姜で口の中をシャキッとさせる。

 シュウマイ弁当はあっという間に完食した。
脇にはまだ十数個残っていた。
目でもう一つよいかと、弁当番をしている人にきく。
個人的に知っている人だ。
残ってもしょうがないから食ってくれと持ってきてくれた。
もうちょっと、アイソヨクしろよ。

 1つ目のときと同じように丁寧に紐をほどく。
シュウマイ弁当は昔も今も人の手で包装しているときく。
蓋についたご飯粒から食う。

 2つ目は、シュウマイひとつひとつにチョコチョコと辛子をつけ、醤油の口をシュウマイに押し付け、中に醤油が入るように押す。押しているときに失敗すると廻りに飛び散るので熟練者の技である。手間が掛かるがこうしておくと、辛子と醤油をいちいち付けることもないし、弁当箱が醤油で汚れることもない。
2個目のシュウマイ弁当もあっけなく完食してしまった。

 ボクが食べているあいだ、誰も食べに来る人はいなかった。
ボク一人で食っている。
弁当番の知人は、チラチラこちらを見るともなく視線をながしていたが、
いい食いっぷりだねぇ、と声に出すまでもなく、何も言わないのにもう一つ持ってきてくれた。
ホントはどうおもってるんだい、そんな目でみるなよ。

 ボクはありがとうと何のこだわりもなく手にした。
3つめになる。


(つづく)

2019年5月24日金曜日

崎陽軒シュウマイ弁当 その1

 定年退職して今年で6年目、ちょうどこの時期だっただと思い出す。
職場の組合の定期大会が例年、この頃に行われていた。
定期大会の昼食は毎回必ず、シュウマイ弁当ときまっていた。
誰も毎年同じじゃねえかと文句をいうものもいない。
もし変えてしまったら、逆にたくさんの苦情が押し寄せること請け合いの雰囲気があった。
それこそ、定期大会の議題のひとつにあがってしまう。

 ボクの都合で、昼食は14時過ぎになってしまった。
もう午後の大会は始まっていたので、弁当のおいてある部屋は数人しか人がいない。

 一口頬張ってふぅ~とため息をつく。
弁当が温かいこともあったが、冷めていても旨さはかわらない。
なぜか定期大会でシュウマイ弁当を食うたびに、子どもの頃を思い出してしまう。

 家の都合で父は他県で働いていた。
ボクが物心つくずっと前からだ。
だからボクは父と3日以上ひとつ屋根の下で暮らしたことがない。

 父は横浜生まれの横浜育ち、生粋の浜っ子だ。
週末帰宅するときに、駅で横浜駅だろう、崎陽軒のシュウマイをよく買ってきていた。
それを母が蒸す。
週末の夕食の定番であることが多かった。

 小学校入学前、シュウマイ弁当の瀬戸物の醤油入れの人形で遊んでいて叱られた記憶がある。
男の子がままごと遊びなんかするもんじゃありません。
ままごと遊びができるものをセットにして箱に入れて、隠れてボクは一人遊びをした。
母の実家にしばらくあずけられたとき、父が職場に帰るついでに遠回りをして自家用車で送ってくれたことがあった。途中必ず横田飛行場の向かいにあるドライブインで休憩をした。そこでオレンジジュースを飲むのが楽しみだった。

 そのときに、そのセットを持ち、車の後ろでこっそり出して遊んでいたら、
父に見咎められたが、父は「ヒャッヒャッひゃぁ」と奇妙な声で笑うだけだった。

(つづく)


2019年5月23日木曜日

入れ歯を入れた

 ブリッジデンチャーという方式らしい。
左上犬歯が割れてしまっていて、さらに根っこがまずいことになっているとの診断。
レントゲンを見ても納得。
抜歯した歯の割れていた面は真っ黒だった。

 抜歯してから入れ歯完成までの経過です。

20190118 左上犬歯割れていたのを抜歯&翌日消毒 ¥1240
20190219 左上奥橋脚作成1 ¥3010
20190305 左上奥橋脚作成2メタル ¥6490
20190320 左上前歯2本橋脚作成加工1 ¥6100
20190412 左上前歯2本橋脚作成加工2メタル ¥10920
20190508 入れ歯のための型取り ¥930
20190522 ブリッジデンチャー ¥313200

 最後の一つを除いては保険がきいていますが、その最後の一つは大変に高額。
しかしながら、実によくできていて、その日の夕食はチキンカツだったのだけれど
何の違和感もなく、ちゃんと噛むことができました。

 今朝はトーストもU型の歯型を付けてさくさくおいしく食せました。
入れ歯が入ってないときは、歯茎にトーストがあたって痛かったのだけれど、それもなし。

 入れ歯の装着も簡単です。
もっと異物感や違和感や圧迫感があるかとおもったけど、なんにもないね。
 それに院長先生、腕がいいよ、うん。
スタッフもキビキビよく働くし、いいね。


 年金生活者にとっては治療費は痛いけど、これから年配者の割合は高くなる。
Quolity Of Life. QOLを保証して行けるようにしていくのがこれからの医療の一つの
大切なことなのだから、こういった歯科治療でも保険が効くようにすべきだよ。

 消費税さっさと上げればいいんだよ。
他の税金も必要なら上げればよろしい。
表と裏でさぁ、上げたら医療費なんかでも保険のきく範囲を増やさなきゃ。

 しばらくは、めざしの生活が続くことになる。
快適になった歯でポリポリかじって暮らします。


2019年5月22日水曜日

庭のハーブ

 いや、昨日の雨は台風並みでした。
すごい吹き降り。
でもおかげで、縁側の黄色っぽくなっていた花粉がすっかり流されました。
窓もきれいになって、車も洗車したみたいになった。

 ローズマリー。



 レモンバーム。



 ラベンダー。



 ミント。よもぎが混じっちゃっているけど。



 ルッコラ。この種の袋にはルッコラセルバティカとなっている。
イタリアで買ってきた種。
ピリッと胡麻風味がする。



 しそもでてきた。



 これらのハーブは庭の訳のわからん雑草を駆逐するであろうとの期待で、それらの花が咲き終えたあとにできる種をばらまいた。
レモンバームはもうあちこちに根付いたようだ。
ルッコラが予想を超えて、拡散しどこもかしこもルッコラだらけになってしまってきた。

 他人お庭に、ラベンダーやミントの種を蒔くという、迷惑千万な嫌がらせがあるというがなるほど、これらのハーブはたくましい。
アイスクリーにミントのせるとうまいんだよな。

あぁ、今年はスイートバジルを育てるの忘れていました。




2019年5月21日火曜日

主と従

 新聞紙面やテレビ・ラジオなどマスコミのニュースで毎日目にする耳にする。
日本にやってくる外国の技能労働者を奴隷のように扱う。
学校で教員が生徒に罵声を浴びせる、猥褻行為をする。
会社で上役が部下にパワハラをする。
細かく上げたらキリがないが、殆どの場合、自分の立場や地位を利用して自分より下の者へ好き勝手な振る舞いをする。

 江戸時代の前からある主従関係がこの島国では、先の大戦ですべて焼け野原になっても国体が滅びても根深く残っているようだ。

 自分の地位や立場に与えられた役割を理解せず、主にあるもの何をしてもよいのだとすぐに、お殿様意識を持ってしまう。

 お金を払う立場にあれば、もうお殿様に成りはて、はては自分のことを神様と勘違いする。
成金ならぬ成殿(なりとの)だな。辞書には登録されてないようで変換ができぬ。

 主従の関係が現在では奴隷と同一ということが意識され改められなければ、政府がどんなことを法令で決めても、なくなるわけがないではないか。

 カネさえ払えばナニをしても良い。主であれば従には何をしてもよい。
奴隷制度は開放されたんじゃなかったっけ。


2019年5月20日月曜日

今日の庭

 午後からは雨になるようだ。
植木たちに水をやってから気がついた。

 どうやらアマリリスはこのまま咲く気らしい。



 ルッコラセルバティカの花が咲くのはこんなに早かったっけ?!



 今まで花が咲いたことはなかった(とおもう)ローズマリーがきれいに咲いている。
肥料を与えたせいだろうか。



 ブルーベリーは白い花が咲きおわり、ハチくんたちの活躍で、実が膨らんできた。



 ラベンダーの花も咲いている。
写真撮り忘れた。



2019年5月19日日曜日

アマリリスの首が短い

 今年のアマリリスはなんとなくいつもと違う。
ちょっと小ぶりだし、首が短い



 花も小さいのかもしれないな。


2019年5月18日土曜日

「お客様は神様です」改「お客様はワガママです」

 クレジットカードの手数料はお店側の負担で3%前後だという。
高額である。
10000円のものを購入すると、300円も負担することになる。

 現金とカードなどの支払い方法の○✕をお店とお客の立場で箇条書きにしてみたが
すべて削除して、書き直している。

 カード支払いって、もとは客の方からの働きかけだろう。
偽札が蔓延していたら、お店側から是非ともカードでってなるはず。

 お客さんがお願いしてカード支払いするのなら、その手数料ってお願いしたほうが
払うのが、道理ってもんじゃないの。

 それに、国が推進しているけど、あれは税金徴収のためだよ。
ネットでやり取りすれば、すべて正確に金の動きがつかめる。

まぁ、いろいろ考えるけど、三波春夫さんみたいに誰かやってくれんかね。
「お客様は、ワガママです」。


2019年5月17日金曜日

携帯電話料金4割安云々

 毎回同じことを投稿しまうけど、こんなんことはどうやらジジイのたわごとのようだ。

 昔の固定電話のように簡単な料金体系をどうして提供しないのだろう。
当時は加入と同時に電話債券なる高額料金(ジジイは若かりし頃、約8万円支払った)のものが付帯されていた。
 
 噺がそれるがこの債権は電電公社がNTTに名義返したときに結局うやむやにされてしまった。
ジジイはビッグバンほどではないが今でも怒りの爆発が静まってはおらぬ。

 今回の4割安になる云々の記事を見て、しっかりと理解できるこれからの購入者はどれほどいるのだろうかとおもう。なぜ電話を購入するのにこんな図式が必要なのだ。
あれだけ複雑な機械の塊の車だって、購入するのにこんなに難しくはない。

 一種の公認された詐欺ではないのかとおもう。
購入者を煙に巻くという点では同じではないか。

 ジジイはPCを使っている。
それ相応の金額を支払って必要な機械を購入した。
インターネットをするのは接続業者のプロバイダーに加入せねばならない。
たくさんある業者から適当なものを選んだ。
月々一定額のお金を支払っている。
使わなくても、常時接続で使いまくっても料金は同じだ。

 とてもわかりやす仕組みではないか。
これがスマホや携帯になると、どうして奇妙珍妙摩訶不思議なことになってしまうのだ。
言葉は悪いが、やはりボレるところからボッて煙に巻き騙しているとしかおもえぬのだ。
許認可で国が絡んでいるから、張本人は国か?

 業者からの明快な説明がほしい。


2019年5月16日木曜日

NHK受信料 カーナビワンセグでも義務

 なんだと。なんとも乱暴なことだ。

 判決理由は単純で「受信できるものを設置」してあるかどうか。
放送法の法文が乱暴で間違っているのだから、勝ち目はないよ。

 どんな家にでも、NHKの職員でもさ、家には買ったけど使ってないもんなんてたくさんあるでしょ。
ホント腹立つ。

 NHKの言い分は間違っている放送法は脇においておいて、TV番組企画制作には金がかかってんだから視聴するなら払えだよね。

 ならさ、どうしてラジオ番組からはお金請求しないのですか。ラジオだって相当お金かかっているとおもいますよ。テレビに出てくるアナウンサーだってラジオに出てくるじゃん。

 NHKは良い番組、たくさん制作している。
そういった番組を視聴したらその対価を支払うのは当然のことだよ。
お店で品物買うのと同じこと。

 今の時代、そんなこと簡単にできるのにしないのは、NHKの商売に対する怠慢で押し売り以下だよ。みっともないやら、職員は恥ずかしくないのかね。

ホント腹立つ。


2019年5月15日水曜日

百舌鳥・古市古墳群の世界遺産

 なんかどうも、なんでもかんでも世界遺産になるということに
ジジイはとても疑問をもっておる。

 「仁徳天皇陵」のことがあまりふれられてないけど、どうしてなんだろう。
この古墳は宮内庁が厳しく管理している。天皇家の祖先のお墓だからだろうけど。
学者の発掘もほとんどできないというか、させない。

 祖先を敬うということと、物事の成り立ちを科学的に明らかにするということは
天秤の皿にのせて比べることのできない事柄だとおもう。
はっきりさせると、なにか祖先を敬うことに障害が生ずるのだろうか。



2019年5月14日火曜日

プラスティック製品が目の敵に

 されているけど、まぁもっともなことだな。
でも、どうして製造者に回収の責任を負わせないのだろう。

 車のタイヤだって、あれって使用済みのものは、タイヤ会社が廃棄の責任はないのかなぁ。

 24時間休み無しに、工場でバンバン生産されて、まぁその分安価に手に入るのだけれど
入り口はいろいろ制限がかかっているけど、出口は野放しが現状だから
なるべくしてなっているんだな。

 原発だっておんなじ。


2019年5月13日月曜日

宮部みゆき 「ブレイブ・ストーリー」を読んだ

 ジジイが読んでも、面白かった。
なんか、ジンときた。

「ICO」もそうだったけど、これも宮崎駿のアニメで見てみたい。

 ファミコン、プレステ世代の息子にこの事をメールしたら、
すでに映画や漫画になっているそうだ。
知らんかった。

2019年5月12日日曜日

トカゲの子どものたち

 うん?、これどうなってんだ?



 ふざけっこをしていたら、一匹の方の尾っぽがとれちゃったのかもしれない。



 庭にはトカゲが3家族くらい縄張り別に住んでます。
あと、ヤモリも住んでる。



2019年5月11日土曜日

町内会の回覧板

 ジジイの自治会では班ごとに分けられ、班長さんは一年交代で順繰りに務めることになっている。
ジジイのわたしは、その班長さんを務めねばならぬときに、心臓手術を2度もせねばならなかった。
さらに術後の回復もよくなく、その班長業務をパスさせていただいている。
申し訳ないことであるが、努力しようにもどうにもできることではなく、ただただ頭を下げるしかない。

 その班長さんの順番がジジイを過ぎて、班名簿最後のところまでまわり、本年度より最初の方になった。
当然、回覧板の流れた方が変わる。
今までは、我が家に来たら左側のお宅へ廻していたものが、本年度からは右側に廻さねば班長さんのお宅には戻らない。

 4月当初からすでに何度か回覧板が廻ってきていたが、ちゃんとその流れの変化に対応できていた。

 ところが、長年の習慣は強力である。
その習慣にフッと身をまかせてしまった。
これを「モウロクシタ」というなら、または「ボケタ」というなら、
情けぬことであるが、うなずくしかあるまい。

 お隣さんが優しく回覧板の流れの向きが変わったことを、教えてくれた。
心よりゴメンナサイ。
そして、ありがとうございました。

 次回からは決して間違えません。
間違えたならば、村八分をまつことなく、
このジジイの腹かっさばいてお詫びいたします。


2019年5月10日金曜日

シロツメクサ 横手台グラウンド

 シロツメクサもこんだけあるとなかなか壮観。





 観光地になりそうかも、ならないか。
羊でも放牧して。




 
これは色が紫っぽい、ムラサキツユクサってのあるけど



ムラサキツメクサなんていうのはあるのかしらん。


2019年5月9日木曜日

サルココッカ

 二本植えて、1本は草刈りのときにうっかり抜いてしまったか切り取ってしまった。
残り1本はそんなことがないように大事に育ていると言うか、ほっぽってある。

 こんな黒い実がたくさんついた。



 心配なのでネットで調べると、このような黒い実ができるそうなので問題はなさそう。
ネット情報によるとこのサルココッカは良いことばかりが記されていて、
とてもとてもおすすめの庭の低木なのだそうだ。

 白い小さな花が咲く時もあり、香りが良い。
種が落ちて、そのまま育つこともあるそうだから、それらの芽を見つけて育ててみるか。


2019年5月8日水曜日

黄色い花

小さな小さな黄色い花です。



 アップにして撮るとそれなりにきれい。


2019年5月7日火曜日

2019年の春は寒かった?

 紫蘭がようやく咲き始めようとしだした。
この画像は5月5日のもの。



 去年の同時期にはもう咲いていた。




 今年の春は遅く寒かったようだ。
アマリリスも異様に遅く、球根が疲れてしまったかと心配した。
まだこんな具合。



 昨年はこんなに葉が出てきていた。



 そして、5月下旬にはたくさん咲いた。

 エニシダが枯れたのは、刈込すぎが原因だろうが寒かったことも関係しているかもしれないな。


2019年5月6日月曜日

エニシダ枯らしてしまった

 昨年花が咲き終わってから、ずいぶんと剪定した。
それも強剪定。
そしたら、この有様。



 枯れてしまった。

昨年はそれなりに咲いていた。



 一昨年に、あまりに大きく育ってしまったので剪定してこの状態だった。
昨年の剪定がまずかったのだな。


2019年5月5日日曜日

生け垣 アカメ

 この住宅のこのあたりの生け垣はアカメが多い。
建売や宅地販売のときの生け垣がアカメだったからだろう。



 昨年、手入れをしやすくするためにかなり短く切った。
勢いのある木なので、この半年で結構伸びるはずだ。

 もっと短くするつもり。


2019年5月4日土曜日

宮部みゆき「ICO」を読んだ

 あとがき解説によると、ゲームに「ICO」というのがあり、作者はそれに刺激されて執筆したとのこと。

 読み始めてからすぐにロールプレーイングゲームの場面展開のように話がすすむことには気づいた。またアニメを見ているような箇所もたくさん出てきた。

 読み進むうち次第に、このおはなしは是非とも、宮崎駿さんのアニメで見たいものだという気持ちが高まった。

 途中からイコもヨルダも、登場人物や背景や森や山、出てくるものすべてが宮崎駿の今までのアニメ作品の登場人物や背景と重なってしまった。

 アニメにしてくれないものだろうか。
余生わずかなジジイの願いである。
わがままであることは承知の上、許されよ。


2019年5月3日金曜日

さぁ 雑草との戦いが始まる

 いよいよ、雑草との戦いが始まる。
ジジイの心臓の病がいくらか落ち着いてきたとはいえ、無理は効かぬ。

 どこまで自力でできるかはわからぬ。
少しずつやるのが一番だ。

 できるところまでやる。
無理はしない。
かなわぬとなったら、シルバーさんに頼もう。


2019年5月2日木曜日

Jazzと年寄り

 ジジイが高校生・大学生の頃、Jazzをよく聴いた。
コンサートにもジャズバーにもでかけた。
レコードやCDも購入した。
聴いていたジャズミュージシャンはほとんど年配者やジジイだった。

 その当時にいつも、脳裏によぎっていたことがある。
ジジイが大学生の頃、同じような年齢のフォークシンガーやロックミュージシャンたちは
果たして、70代になっても同じように演奏しているのだろうかと。

 ジャズと老齢はなんとなく似合うなと感じていたのだが、
フォークやロックはどうしても加齢するにつれて、似合わなくなるのではないかとおもっていた。
年相応でない服装が似合わないのと同じような感覚だな。

 しかるに、かってのフォークシンガーたちは若い頃歌っていた歌詞の内容そのまま
70代になっても歌っている。
ジジイの若い頃の危惧はどうやら杞憂に終わったようだ。

 派手なパフォーマンスをともなうロッカーたちも、マイクスタンドを杖代わりに動き回っている。
そのうちステージ上で背骨や腰をギクリとやるだろうが、彼らは望むところなのだろう。



2019年5月1日水曜日

香箱座り

 猫が前足をおりこんでチョコナンと休んでいる姿のことのようです。
この言葉自体ジジイは知らなんだ。

 自分をモルモットとはおもってないらしいモルモットの写真を送ってきてくれました。
ジジイもこの子を人参で釣って遊んだことがある。



 安心しきっているのでしょう。
見事な置物になってます。