2019年5月29日水曜日

「ジャポニスム」宮崎克己 を読んだ

 おもしろい。
現在、アニメやラーメンなど日本礼賛がうるさいが、
当時19世紀後半に始まった、日本からの堰を切ったような異文化の流入はとてもじゃないけど
現在のそれとは比較にならないくらい衝撃的であったようだ。

 たくさんの流入物で一番多かったものが扇子・団扇であったとは愉快だ。
パリのデパートでは粗品としてそれらを一人ひとりに引換券で手渡し、家でそれらは壁に飾られた。

 それらの影響はほぼ文化全般に及んだという。
そしてそれらは巡り巡って今度は日本へ影響を与えた。

 ジジイはほそぼそと江戸時代頃の古文書の学習を続けている。
なかなかやっかいである。
時制がはっきりしていなかったり、誰が誰に話しているのか、ある出来事の内容が記されてはいるが、それらがいつどこでどんなふうに起こったのかがよくわからないことが多い。

 自然や人物の配置などの捉え方が全く異なる絵は新鮮を通り越して衝撃だったこととおもう。
同じように、当時の日本の文芸作品も西欧流の文法にあてはまらず、切り口も全く異なった表現方法だったのではなかろうか。

 文化が流れ込み、それらが混じって今度は様々なところへ還流してゆく。
結構なことではないか。
それならば、異なった文化の壁が低くなるなり、なくなってゆき、交流が頻繁になりお互いの理解が深まってゆくはずなのだが、現実はそうではないのだな。

 ある自己完結していた国の文化がプチンと針で突かれ破裂した。一突きされた小さな穴は決壊して当時先進国と天狗になっていた国々へ流れ込んだ。彼らの想像を絶する一つの文化がそこにはあった。天狗になってはいたが、流れ込んだ文化の価値に気づくだけの度量はあった。吸収しこなされたものは今度は還流となって破裂してしまった国へ流れ込んだ。自己完結していた国が日本だったのでそれら一連の有り様をジャポニスムと言われるようになった。

 まぁ、こんなことなのだが。
ジジイは先程にも書いたとおり、それからの百年間、争いばっかりがあったことがどうしようもなく腹立たしい。結局何にもなってねぇじゃねぇか。
短気は損気。
啖呵を切ってもしょうがない。

 第二のジャポニスム「平和の還流」をつくらねばならぬとおもう。



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