2026年10月5日月曜日

カリンの実

 毎年たくさんの実をつけます。こんなに細い幹や枝に、あの滅茶苦茶堅くて重い実がつくことに、これまた毎年驚いています。

 いまは青くまだ採ることはできません。もっと黄色くなっていい匂いがしてくるのを待ちます。

 黄色くなっても、生では決して食してはいけません。青梅と同じで青酸があって、とにかくダメダメダメダメ‼️

 梅酒のようにホワイトリカーみたいにしてシロップにして飲んだりします。のどにいいようで、おいしいです。カリンののど飴もありますからね。

 熟したものをもぎとってきて、玄関などにおいておくと、爽やかな甘い香りがしてほのぼのとします。

 

2026年10月4日日曜日

モンマルトルの丘に月昇る

 親類が送ってきました。モンマルトル (Montmartre) は、パリで一番高い丘で標高130メートル。下弦の月がどっこいしょってのぼってくるのもなんかいいもんですねぇ。丘の頂上のライトアップされているのはサクレ・クール寺院。

 エッフェル塔のサーチライトもほんのり見えて冷たい秋空にはえます。

 彼のマンションのヴァルコンからこんな感じにパリ市内が一望できます。

 

2026年10月3日土曜日

散歩百景_こうもり

 昨日早朝散歩のとき道路にころがって死んでました。

 今朝も同じところにありましたが、車にひかれていてぺちゃんこに。

 15cmくらいの大きさがあって、何かにぶつかったのでしょうか。

 以前働いていた四階建ての建物では夕方暗くなってくると建物の屋上付近ではコウモリが乱舞していて、四階の窓が開いていると、廊下にまで飛び込んで大変でした。

 このコウモリ、耳がデカイ。まさにレーダー。

『なお、野生のコウモリにはウイルスや細菌などの病原体を保有している可能性や、ノミ・ダニなどの外部寄生虫がついていることがあるため、絶対に素手で触らないようご注意ください。もし安全に移動させる、あるいは処分する必要がある場合は、お住まいの自治体の環境課や清掃事務所などに相談することをおすすめします』とありましたので、ご注意を‼️

 

2026年10月2日金曜日

鉋の手入れ

 河怡(かわよし)という替刃式の鉋です。もう30年以上使っています。大中小三台使っていて、これは小。

 切れ味悪くなりそのままずっとほったらかしにしてあったのを、手入れしました。というのもホームセンターで販売している千円程度の小さい鉋がとても良く切れるのでそればかり使っていたからです。

 左上の刃が立っている鉋は、その名前の通り「立鉋(台直し鉋)」。これも使いますが、スクレーパー、または皮スキ、こちらのほうが使いやすくて感覚的にもよいので、ほとんどがこれらです。オルハの太い方の替刃でもOK。

 刃口の下、4,5cmぐらいをこれくらい削ります。削りすぎないこと‼️試しためしです。

 刃も新しくして、試し削り。

 鉋刃と同じ幅の削りカスが出るようになりました。これくらいになれば、まだちょっと削りカスが厚いけど、まぁ十分使えます。

 あと大と中があるのでそちらも手入れします。

 

2026年10月1日木曜日

クモの狩り

 居間のサッシガラスや網戸にいつも一、二匹のクモがたいていいて、かれらの生活の場となっています。

 ふとサッシガラスをみると、クモが狩りをしてました。

 しばらく捕まえたままジッとしていたかとおもうと、獲物の真ん中にぐさっととどめを刺した感じ、

 これだけたべたら、腹一杯になりそうです。

 家の軒下にはでっかい女郎蜘蛛や他の種類のやはりでっかい蜘蛛が何匹もいてきれいな巣をはってぶら下がっています。

 蜂が巣を作らなくなるので、そのままにしてあります。


 

2026年9月30日水曜日

🍏

 きれいにまっぷたつにできるととても感激して、何度かBlogにUPしてしまっています♫


  🍏は弘前の黄王、庖丁は宮城は中新田の竹中特製。

 マジマジと真っ二つのりんごを観察すると、本当に不思議。ツルのところから実になるところ、なんでこんなにきれいに役割がかわってその様態がキッパリとしているのだろう?

 りんごはもちろんおいしくいただきました。

 朝食の果物。


 

2026年9月29日火曜日

言葉遊び_俳句短歌もどき

 資料を整理していたら、随分前の古いノートがでてきました。読んでるとそのときのことが鮮明に思い出されて、なんか不思議な気持ちになります。

『 先日、長野パラリンピックが終わりました。

番組を見て感動した視聴者が、選手達にたくさんの手紙やファンレターをよこしたそうです。

 ただでさえ字を読むことが困難な選手達は、なんとか読み進むうちにうれしさの涙のためにそれ以上読み進むことができなくなってしまったそうです。そんなとき、彼等の指先はいままで以上に敏感でした。点とも言うべき指先から世界がとびこんできたのでした。


涙する目には読めぬる字たちも指さき響くかれらの声

(一九九八年三月十八日寝る前) 』

 このノートを読んでいると、ナルシスチックでチト恥ずかしいのですけど、もうジジイなのでと、自分で許しているところがさらに気が引けます。