このアルバムに父の母の母の母の写真があります。
わたしの祖母が父の母ですから、その母はわたしからは曾祖母(そうそぼ)で、その母はわたしからは高祖母(こうそぼ)となり、わたしからみて4世代上、4親等の直系尊属となります。
父方の祖母は1885ー1962、その母はおそらく1855年前後の生まれです。そしてその母、この写真のおばあさんは90才で元旦に亡くなっています(生まれたのも元旦)。ですので、1820年前後に生まれたはずです。
このおばあさんは彦根藩の武家の生まれで、奥勤務であったと伝わっています。桜田門外の変は安政7年3月3日(1860年3月24日)でしたから、高祖母が40才の頃、御城づとめでしたから、その事件をどんなおもいできいたことでしょうか。
藩主が殺され御家断絶はまぬがれたものの、彦根藩は幕府より石高を30万石から20万石に減封され、それにともない高祖母の家も藩から退いたとのことでした。そして、しばらくして、その娘(わたしの曾祖母)は横須賀に一家あげて移住したのでした。父はその横須賀のおばあさんにとても可愛がられたとよく話してくれました。またこのおばあさんは彦根からこしてくるときに、三間柄(さんげんづか)の槍を持参しそれをしごいたり、厚い将棋盤を片手で挟み持ち上げたりと、さすが武家の家の娘であったとは父の話。
昨日常野の本のはなしをしましたが、高祖母は常野とほぼ時代を生き、より長生きしたことになります。常野は親族とのやりとりのたくさんの手紙をかき、偶然にもそれらは残されてしまいましたが、高祖母は一枚の写真を残しました。
わたし自身は、連綿とご先祖様と血でつながっているような家系図めいたものに関心はあまりないのですが、この写真を見ていると、うーむと黙ってうなり、たくさんのご先祖様におもいをはせてしまっているわたしがいるのでありました。












