2020年2月29日土曜日

「゛」「゜」が見分けられぬ

 「゛」を濁点、「゜」を半濁点といいます。
は行だけに両方がつき、濁点はか行・さ行・た行だけです。

 新聞でコロナウイルスの薬にアビガン(一般名:ファビピラビル)というのがでてました。
ジジイは老眼鏡がないと文字は読めません。
なくても目を細めればなんとかなりますが、疲れるし長続きしない。

 濁点と半濁点の区別がわからないのです。
は行以外は、右上に何かが付いていればそれは濁点です。
ところがは行がやっかい。


 新聞にコロナウイルスの薬品名がありました。
まずアビガンなのかアピガン、そこから読めません。自信があるのはガンだけ。
一般名となっては???、ヒが3つも出てくる。

 ジジイがこのBlogで何度も提案してますが、濁点と半濁点の位置をかえてくれないかなぁ。
は行だけですむんだからさ。


 よく昔の人がアパートのことをアバートと発音している人がたくさんいたけど、
あれって、濁点と半濁点を読み違えて覚えちゃったからに決まってるな。


2020年2月28日金曜日

孫が今春から幼稚園入園する

 早いものだ。もう幼稚園とは。
ジジイは幼稚園は通わなかったので、入園の時の心持ちはわからぬ。
しかし子ども二人が幼稚園に入園したときは、自分が入園したかのような気持ちになったな。
子どもの緊張がヒシヒシと伝わってきた。
なんか緊張してしまい、そしてうれしかった。

 孫が入園準備している写真を見た。
幼稚園の制服。体操着。室内着。名札もある。
うれしそうだ。
かわゆい。

2020年2月27日木曜日

太陽系の未知惑星を発見!

 昨日から観測を始めた。
画像も苦労して撮った。



巨大な運河のようなものがはりめぐらされいるようだ。

 少し引いてみると、



 avocadoの種でした。
楊枝を3本下に挿して持ち上げました。

 うまくいくと1週間くらいで芽が出てくるらしいが・・・
そして地植えするとあっという間に30mにもなるという。

 なんか恐ろしいな。

2020年2月26日水曜日

春近し

 空気がぬるんできて、ようやく雨も降った。
あまり冷たくはなさそうな雨。

 紅梅も白梅も濡れそぼっている。
春雨じゃ濡れてまいろうにはチト早すぎる。

 ジジイは月桂樹地植えの穴を掘って、デカイ岩にあたり中断しているのだが
この雨で緩んでくれぬかと願っている。


2020年2月25日火曜日

Type-C の接続コードと充電器を買った

 コードはDAISOの「高速充電・通信ケーブル」。



 充電はできたが高速充電なのかどうかはわからない。
通信は試していない。

 充電器は「Anker PowerPort 2 Elite (USB 充電器 24W 2ポート)【PSE認証済/PowerIQ搭載/折りたたみ式プラグ搭載】 iPhone/iPad/Galaxy/Xperia,その他Android各種対応 (ホワイト)」

 似たようなそっくりなものがDAISOで500円で売っていた。


 携帯を買い換えたり、デジタルカメラ、デジタルビデオ、電子辞書、パソコンetc 
これらのようなものを購入するたびに充電器がゴロゴロ増えてゆく。

 充電できなければそれらの機器は使えないのだから、必要不可欠なのは理解できる。
でもなんかなぁ・・・

 どんな機器にも対応できる充電器一つあればすむようにしてくんないかなぁ。


2020年2月24日月曜日

月桂樹 地植えの穴掘り

 場所は宅地の北西山側にした。



 たったこれだけの大きさの穴掘りなのに、ゼイゼイハアハア、心臓バクバクでした。



5,6回スコップで掘ったら、休んでの繰り返し。
心臓の発作が起こらないうちに、ほどほど掘ったところで、後日また掘ります。

 この穴は、7年前にミカンの木をいただいて、根付かないかもしれないけどということで職人さんに植え付けてもらいました。
残念ながら、根付いたかにおもえたのですが、2014年の記録的な大雪に耐えられませんでした。

 ここの土地は岩盤も固く地震にも強いといわれています。
だからではないとおもうのですが、地面を掘ることがかなり困難なのです。
瓦礫のような石ころではなく小さな岩がたくさん出てきます。
この地域一帯がそんな土壌です。

 この穴は植木職人さんが掘ってくれていた跡なのでやわらかです。
なのに、ゼイゼイハァハァ。



4月に植え付けるつもりなので、今から少しずつ掘り下げているというわけ。
ゲソ痕(足跡約30cm)があるので穴の大きさの参考にしてください。

 穴掘り途中で自分の墓穴にならないように気をつけなくちゃな。

 手持ちは大きなシャベルしかないのでそれでセッセと掘りました。
しかし、穴掘りはシャベルではなく鍬(くわ)やツルハシで行うのが常識です。

 また野球のバットぐらいの長さの鉄の棒状のもの(工具名は不明)や同じ大きさくらいの釘抜きみたいな工具が地中の岩を動かすときに便利です。

 退職する前は職場や同僚から借りることができました。
今住んでる町内会や自治会にもありませんでした。
残念。

 あれば、すごく楽なんだけどな。

2020年2月23日日曜日

「クレットマン日記」を読んだ その6

 おもしろそうなところを抜書きしてみる。

1878年5月14日
 日本歴史上、大変重大な事件が起こった。今朝8時、大久保[利通]氏が仮皇居に向かう途中、暗殺されたのである。卿は、出羽屋敷と皇居の前に出る門の間の城壁の内側に沿った、人出のない通りで追い詰められたのだ。
 暗殺者は6人で、日本刀で馬と御者を斬りつけた。彼らは仮皇居内に逃走したようで、加賀藩のサムライだという。大きな動揺。城の周辺は見張りが二倍に敷かれた。日本人はヨーロッパ人に比べ、全然驚いていない。
 ド・ローゼン氏は遺体を見たが、西郷[従道]中将と野津大佐が遺体を大久保邸に移した。暗殺者は車中にいた大久保氏の腹を刀の先端で突き刺した。卿は車から外に飛び降りようとし、左手をドアの外に出して肘まで斬り裂かれ、同時に刀で喉を突かれ、頭には多くの傷を負った。遺体は首、手、額が覆われて安置された。暗殺者は遺体を通りに置き去りにし、暗殺に使った刀は地面に残されていた。別当は命が助かり、宮中にこのニュースを伝えに走った。暗殺者は徒歩で、斬奸状を携えて、非常に落ち着いて、裁判にかけられるよう自首した。真の日本人がするように、何も感動の表情を表さず、暗殺の成功に満足の様子を呈していた。彼らは祝祭の日のように、羽織を身に着け、礼服を着ていた。そして、刀を背に背負い、人力車に繋がれて、刑務所に連れて行かれた。翌日、7人目の謀反者が自首してきた。


5月16日
 大久保氏の葬儀。神道による儀式。遺体は長い棺に水平に安置されていたのが注目された。外交官は式服で参列するようにと指示があった。私は用事でどうしても横浜に行かなければならず、列席できなかった。上野のレストランで和食のディナー。概してまずかった。・・・。


P.354 幕末維新期の軍事改革とフランスの役割 保谷徹(東京大学史料編纂所)
・・・
P.375
 体操術は仏式調練の中に明確に位置づけられていた。1873年に国民徴兵制度ができると、日本人の身体を兵士の身体に変えていくために、フランス式の体操調練は重要な役割を果たしていくことになった。田辺は『新兵体術教練』を子ども向けに書き直し、1874(明治7)年、『小学必携体操図解』として刊行した。これを新政府が兵式体操として学校教育に持ち込んだため、フランス顧問団が導入したこの体操訓練は、現代に至るまで初等中等学校の体育教育に大きな影響を与えているのである。


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 「仮皇居」とあるのは「赤坂仮御所」のこと。
5年前の1873(明治6)年5月5日に皇居が焼失したため、明治11年頃に赤坂仮御所に移っていました。
大久保利通暗殺の生々しい当時のニュースとなってます。

 葬儀は実質国葬扱いのようでした。座棺が普通でしたが「長い棺に水平に」とありますから、西洋流にしたのでしょう。

 上野のディナーは相変わらずまずかったようです。和食とありますけど・・・

 巻末の「幕末維新期の軍事改革とフランスの役割 保谷徹(東京大学史料編纂所)」が大変に興味深かった。この部分だけを新書にして再編して出版してほしいくらい。おもしろい。


 当時の訓練の様子3。




(おわり)

2020年2月22日土曜日

「クレットマン日記」を読んだ その5

 おもしろそうなところを抜書きしてみる。

3月13日
 私の犬は馬の足を舐めて中毒を起こした。馬の足には、ネズミにかじられないようにヒ素化合物をこすりつけている。酸化マグネシウムで治してやった。門番は、その効き目に驚いて、マグネシウムの残りを食べさせてくれと頼んできた!!!


3月23日
[江戸]城の非公開の庭園を初めて訪問する。さすがに美しい。池、竹、東屋、屋根の下で風雨から守られた帝室用小舟、鉄の線で作られた橋など。


3月25日
 ミカドと皇后陛下が日比谷練兵所における近衛隊の練兵訓練をご覧になる。
・・・
電信開業式がこの日に行われた記念に、夜は、エンジニアリングホール(工部大学校中堂)で工部卿主催の祝宴が催された。・・・、中国の使節団も招待され、大声で笑い、いたるところで唾を吐いていた。。食事はイギリス料理、つまりとてもまずかった。ワインの選択は失敗であった、というかコルク栓の臭いがした。・・・。


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 馬の脚にヒ素化合物をこすりつけていたなんて本当のことだろうか?
眉唾なような気もしないではないが・・・

 工部大学校は東京大学工学部の前身。明治大正昭和で活躍したほとんどの人がここで学んだ。
中国使節団、やはり唾をどこでもぺっぺっってやってたんだな。
当時からイギリス料理はまずかったのだ、イギリス料理の深い伝統。


 日比谷練兵所の図。



2020年2月21日金曜日

「クレットマン日記」を読んだ その4

 おもしろそうなところを抜書きしてみる。

12月10日
 ・・・
ヤシキと麹町を結ぶ通りの地下の木製下水管の洗浄。つまり、あちらこちらで下水管の上部に穴を開け、竹の薄片の端を次から次へと結び付けて作られた非常に長い細紐をそこに通していた。この紐はとても柔軟性があり、上方下方交互に引っ張り、詰まった下水管を通すのである。


12月24日
 士官学校の歩兵科と騎兵科の卒業生が、士官学校の校庭で、我々列席のもと、曾我少将から卒業証書を受け取った。証書は大きな字で書かれているのは、非常に丁重である。生徒たちは各人、お辞儀をしてそれを受け取り、読むふりをする。これもまた非常に礼儀正しい。


12月29日
 一年以上前に我々と別れて長崎に行っていたプーセ氏が戻ってきた。
陸軍卿が今年もまた我が家の家の門前に竹と稲の藁でできた凱旋門のようなものを、真ん中に大きなザリガニをつけて立ててくださった。


1878年1月1日
 正午45分、ミカドに謁見。謁見者は昨年より少ない。政府は雇われているヨーロッパ人の数が減っている。それに、300円以下の俸給を受けている者は外されたようだ。式典は昨年と同じ広間で行われた。ただ、今年は皇后陛下も伝統的な髪を結ってご臨席なさった。数人の女官と宮廷の高官たちが背景を成していた。


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 木製下水管の内側洗浄の工事の様子が興味深い。
チェーンの丸長い部分が竹薄片でそれを麻か木綿の編んだものにくくりつけたのだろう。
貴重な記録です。

 クレットマンが勤務してはずの頃の学校。(1874年撮影)



 正月飾りの門松を陸軍卿が気をきかすほどの人でした。
ザリガニはもちろん伊勢海老。


 そして1878年の新年、天皇陛下に謁見するのだから、やはりその地位待遇は別格だった。
ちょっと詳しく調べてみる。
明治7年の官員録を調べると、前年11月5日に会食した時の伊藤博文、大久保利通がのっている。



 俸給も調べてみると、伊藤博文が500円。
お雇い外国人のクレットマンは400円くらいだったはずです。

 一旦フランスへ帰ったのですが、再来日の希望があったのもうなずけます。
本国ではその何十分の1だったでしょうから。
しかし、彼はのちにエコール・ポリテクニークの学長になっている。


(つづく)

2020年2月20日木曜日

「クレットマン日記」を読んだ その3

 おもしろそうなところを抜書きしてみる。

12月8日
 ジョールダン大尉帰国に際し、曾我少将と士官学校士官主催の夕食を兼ねた正式昼食会が上野の精養軒で行われた。冷ややかな雰囲気で、食事もまずく、ワインはひどいものであった。
・・・
我々の横では、近衛歩兵隊の士官たちが九州で戦死した仲間たちの追悼の食事をしていた。音楽、白緑黒の服装の僧侶による葬儀、庭にあつらえた即席の祭壇。軍隊の会合で行われた宗教儀式を始めて見た。
・・・

12月9日
 前日と同じ理由の夕食を兼ねた昼食会が、工兵士官たちと行われた。まず、上級士官たちが築地の精養軒で昼食をとったが、昨日よりずっとサービスが良く、誠意をもって迎えられた。そこから、一斉に、人力車で、両国橋の近くの大きな御茶屋中村屋に駆けつけた。そこでは、日本料理の大宴会が開かれていた。
・・・
大広間に、小さなテーブルを二列に並べ、端に我々のため、小さな布団[座布団]が敷いてあった。全く東洋風である。中央には芸者の一団がいて、非常に踊りのうまい頭丸刈りの老婦人に指図されていた。我々は、出席者全員と次から次へと盃を交じわさなければならなかった。確かに五〇杯以上飲んだ。酒酔いにつられ、全員が踊りに加わった。小菅氏は兼松氏のオペラハットを被り、大塚大尉は年取った芸者のスカーフを被った。目隠し鬼ごっこをしたり、ある人は頭で、他の人は足で格闘した。夜になってから解散したが、笑いすぎて頭が少しおかしくなった。日本でこんなに楽しんだことはかつてない。仲間は午前零時まで居残った。


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「九州で戦死した」とあるのは西南戦争のこと。
上野の精養軒はいまでも営業してますが、ますいとあり、築地のほうはよかったとあります。
築地の方も現在営業中のようです。
ネットで錦絵や写真でお店を見ることができます。

 芸者をあげての上品などんちゃん騒ぎ。謹厳な顔立ちのクレットマンですが大いに楽しんだようです。


 当時の訓練の様子2。



(つづく)

2020年2月19日水曜日

「クレットマン日記」を読んだ その2

 おもしろそうなところを抜書きしてみる。

1877年9月13日
 芝の寺院[増上寺]で、先々代の大君[14代将軍家茂]の奥方親子内親王[和宮]の葬儀。最近、宮ノ下で逝去された。仏教による葬列。昨年見たミカドの内親王の葬儀は神道によるものであった。そもそも、昨年の葬列のほうが今回より遥かに立派であった。これは、国庫金の現在の貧窮状態によりものと思われる。白い紙の提灯を数えると42個あり、数人の僧侶が金銀の紙を載せた盆を持ち、この紙を群衆に配った。白木の棺にはミカドの紋が付いていた。旗はない。葬列の一行は薄汚れていて、うまく行進していない。・・・。車と衣服はいつものようにグロテスクである。僧侶は薄汚れたスリッパ[草履]と靴下[足袋]を履き、馭者は形をなしていないシルクハットを紙の端で固定して被っている。大僧正の馬車の鞭差しは青いフンドシで止めつけられている。その馭者はネクタイの代わりに婦人用ブローチをつけ、提灯の中にマッチ箱を置き忘れている。別当は醜い鳥打ち帽を被っている。


1877年12月5日
 フランス行使邸で夕食。よそよそしく退屈なディナー。会食者:大久保[利通]、伊藤[博文]両大臣。後者は英語を話す。私は彼の隣の席に付かされた。
・・・
東京府知事、頭のよさそうな顔をしている。
・・・



 皇女和宮が脚気で亡くなった話は有名である。
脚気に根絶については、高木兼寛(海軍)と石黒・森(鴎外)(陸軍)の対立もまた有名である。
このBlogでも以前に取り上げた。

 明治時代のいわゆるお雇い外国人の給料はべらぼうに高給であった。
高いなりにその効果があった分野も多かったのではないだろうか。
大久保・伊藤の隣に座りディナーに招待されている。
クレットマンの地位・立場がわかる。


 当時の訓練の様子。





(つづく)

2020年2月18日火曜日

「クレットマン日記」を読んだ その1

クレットマン日記_若きフランス士官の見た明治初年の日本 東洋文庫898
平凡社 2019.12
Louis Kreitmann (ルイ クレットマン)著
松崎 碩子(まつざきせきこ)訳

 1875年12月マルセイユ出発から1878年5月20(日本出航)までの日記。

 藤の花がきれいだったと記してある以外、花や草木のことはあまりふれていないのが印象的。
桜満開の時期にも目に入ったはずだが、まったくふれていない。

 東京に住居があったのだが、ほとんど毎日火事があったことが記され、また地震には敏感に反応した様子で揺れ具合を書いている。

(つづく)

2020年2月17日月曜日

携帯でauIDパスワード入力設定はWiFiを切る

 今までauIDを取得していなかったので、携帯を新しくしたついでに取ることにした。
IDは最初から携帯番号にされていて、あとはパスワードを設定すればよいだけです。
簡単さ。

 なるべくパケット料金やネットをつなぐ料金節約のために最初にした設定がWiFiでした。
WiFi On のままにして、パスワード設定画面にすると、数字しか入力できません。
パスワードは英数字を混ぜろとあるのですが、文字選択の表示もなくおかしい。
何度か繰り返しても症状は同じです。
簡単じゃないじゃないか。


 ネットで調べてみても、スマホの場合しかなく、携帯がありません。
しつこくググると、「WiFiは切っておかないとパスワード設定はできない」と記してあるのを見つけました。
なんてこった。
こんな大事なことを、どうして取説やauのHPに書いておかないんだ!

 WiFi Off にしてパスワード入力画面にいくと、今度はなるほど文字切り替えの表示がありました。
あっさりすんで、チャンチャン。

2020年2月16日日曜日

携帯機種変更した

 au GRATINAの初期のものから同シリーズのKYF39に機種変更しました。
現在の機種が2022年までしか使えないとのことで、乗り換えキャンペーンがあるので安易にそれにのっかりました。

 スマホは使わない機能が多すぎるので、ジジイの生活実態にみあった現行の携帯がベストでした。
まだ数日しか使ってないけど、いやぁよくできてます。WiFiの接続もできるし。

 しばらくしてから、イオンモバイルあたりに乗り換えようとおもっています。


2020年2月15日土曜日

月桂樹を買った

 所沢市北野南にある杉山園で購入、¥2300円也。
とても良い買い物でした。
ジジイの住んでいる近所ではうってなかった。

 11年前に越してきたときに実家から月桂樹を移植したのだが、
とても残念なことに失敗。
この画像は工事を始める前の2008年10月30日の写真で、月桂樹やオモトやいくつかのサボテン、大島なんとかという植物など。




 月桂樹(ローリエ)の葉は煮込み料理やカレーに必需品で、ジジイはこの香りが大好きなのです。
残りが少なくなってきて、ならばと月桂樹そのものを庭にとおもった次第。



 調べてみると植え替えは4月がよいとある。



 待つことにする。

 庭のどこに植えるかは思案中で、優柔不断悩んでます。





2020年2月14日金曜日

e-Tax確定申告しようとおもったら

 SHARP RW-5100 を購入してから一度も使ってなく、
今年使おうとおもったら、もうドライバーもダウンロードできなくなっていた。
なんだよ~、早すぎだよ。

でも、シャープではないところで windows8版をDLできる。
早速DLしてインストール。
windows10でも大丈夫。

動作確認のプログラムも付いていて、試してOK。
手書きでもう出来上がっているのだが、e-Tax確定申告をしてみよう。



2020年2月13日木曜日

里芋カレー 再び

 里芋がタンパク質分解酵素を持ってないかもしれないが、肉を柔らかくしたり、ほとんど溶かしてしまうことは以前のBlogで書きました。

 おいしいので、また作りました。
肉は豚肉ロースの薄切りではなく、ステーキを食べやすいように一口にして焦げ目を付けてます。

 豚肉はふつう煮込むにしたがって、しまって固くなってしまいますが、
里芋と一緒だと今回のステーキ状の厚さがある肉ではそうはなりません。
柔らかい。

 ただ、里芋は粘り気がでてくるので、カレーにも同じようにネットリ感がでますので、それがダメな人はおいしくないかもしれません。
まぁひとそれぞれ、致し方ない。

 また里芋はじゃがいもほど煮崩れないのもよい。
ただ、里芋の皮を剥くのがヌルヌルすべるので、注意が必要です。
近所の煮物屋の社長は、軍手をして里芋がすべるのを防いでいました。

 しばらく、はまりそうというか、すでにはまってます。
おいしいですよ。


2020年2月12日水曜日

ダブルクリップ

 このクリップ、おもに袋物の食品などを閉じておくときに重宝しています。



 ブラスティックのパッチンと止めるものも販売してますが、あれは使っていると力が弱くなります。



 しか〜し、この金属のクリップは乱暴に使っても締める力は衰えません。
塩・砂糖・小麦粉・片栗粉などや冷凍食品類・菓子類でけっこうな数を使っているので、買い足しました。木工作業のミニミニクランプにも使えます。



 もっと高いかと思ったら、24個で300円弱。
費用対効果を考えたらとても安い。



2020年2月11日火曜日

内股すかし

 昨日のYahoo!Japanニュースで影浦心がテディ・リネールを破り大大大大金星と見出しにあった。

 内容を見て驚いた。
見事な内股すかしだ。
映像があったので何度も繰り返し見たり、またコマ送りにしてみた。
完璧な内股すかしだ。

 今から20年前のシドニーオリンピックで篠原信一がダビド・ドイエに同じ技できりかえした。
テレビの前で勝ったとおもって、よしっと大声を出した。
直後審判はドイエに一本、未熟な審判の誤審で負けてしまった。
頭が沸騰し眼の前のテレビを蹴飛ばしかけて壊しそうになった。
それ以来、柔道はあまり見なくなった、といってもチョコチョコ見ていたが。

 それが今日の画像を見て、20年ぶりにスッキリした。
快感だった。
影浦心はその後の決勝では負けてしまったようだが、そんなことはどうでもよい。
今回は同じ技で有効だったが、今度は誤審されることなく勝った。

 影浦心、よくやった。
ジジイの無念をはらしてくれた。
ありがとう。



2020年2月10日月曜日

Blogはじめて満4年

 2016年2月から初めたので2020年2月で丸4年たったことになる。
備忘録の性格は全く変わってなく、むしろその傾向は強くなっているはず。

 世間に何かを訴えたいとか、誰かと交流したいなどのおもいは全然ない。
些末などうでもよい、くだらぬことがほとんどだし、自分の中での様々な雑多な考えや思いつきなどを吐き出しておきたいだけ。
それらを記すとスッキリする。
まぁ一種の頭に溜まった事柄の排泄行為といってもいいかもしれない。

 まぁ、そんな欲求がある限り続けるつもりです。


2020年2月9日日曜日

安物の(でなくても)金網ザルは危険

 金網ざるで指のけがをこれまで3回した。
結構深く傷つけてしまう。

 最初はこの左側の小さいザルで2回。



 右側の丈夫そうなものに買い換えて、いまのところ怪我はしてない。


 先日、中指を深く怪我したのが、下のこの左側の大きいざる。
危ないのですぐに右側のザルに買い換えた。



 同じ金網ザルではまた劣化したときに怪我するかもしれないと、
パンチングボールざるにした。
価格は金網型の約、倍する。

 以前からこの型があることは知っていたが、値段が1800円くらいするのでやめていた。
怪我の心配はなくなったが、パンチングの穴の大きさが今度は心配になった。
素麺の太さより大きそうなのだ、抜け出てしまうのではないか。

 裏から見ると、穴の大きさが実感できる。



すぐに素麺を食べて確かめることにする。

 商品の説明はこれだけ。



 使って具合がよかったら、小さいざるもこれと同じものにするつもり。




2020年2月8日土曜日

大型トラックがあおってるけど

 先日朝9時前くらいに秩父路はR299を正丸トンネル方面へ向かっているときのこと。
ジジイの車の前は大型トラックが走っているだけ、快調です。

 しかしそのうちに前方の車に追いついてしまいました。



ノロノロ運転です。
誰でもイライラするくらい。
制限速度の40km近くで走ってはいるのですが、カーブの多い山路です。
上りでブレーキを多用するところをみると運転は苦手そうで、制限速度以下になることもたびたび。

 トラックの運ちゃん、だんだんイライラしてきたのがわかります。
トラックは一定の速度で走っているのですが、前の車が減速するので、近づいてしまう。



 後続のトラックに気づいた運転手、速度を上げはじめました。
しかし、どこか危うい。

 なにもなければと心配したり、どこかで脇によって先に行かせれば良いのにとおもっていたら、



左脇に車を止めて、トラックとジジイの車を先にやり過ごしました。



で、そのあとすぐに戻って走り始めましたが、どんどんジジイの車から離れて、見えなくなりました。ちなみにこの大型トラックは秩父市街地手前の太平洋セメント工場のところで左折しましたが、ずっと安全運転でした。

 あおり運転はもちろんしてはいけませんが、高速道路で追い抜き車線を後続車がいるのを承知で我が物顔でずっと走っているおバカがたくさんいます。
どうやって知らせたらよいのしょう。


2020年2月7日金曜日

冷え込んだ 外は−5℃

 寝室のエアコンで毎朝起床すると、外気温をエアコンのリモコンで確かめるのだが、
ここに住み始めての最低気温更新した。
−5℃。

 東側部屋の窓際の寒暖計は3℃だった。
居間はタイマーで23℃、朝5時にオンの設定で7時時点で17.7℃。

 ここのところ乾燥しきった空気なので、霜柱はたたず、家々の屋根も白くならない。
車も普段なら真っ白に霜で覆われるのだが、ご覧のとおり。



 そばによってみると、雪の結晶のよう。
気温によっては、きれいな六角形の結晶❄もできる。



 でも、昼間は暖かくなるらしい。
近所の紅白の梅は満開です。


2020年2月6日木曜日

「炎の中の図書館」スーザン・オーリアン を読んだ

炎の中の図書館_110万冊を焼いた大火 (原題 The library Book)
早川書房 ¥2600E 2019.11
スーザン・オーリアン 著
羽田 誌津子 訳

 ロサンゼルス中央図書館のおはなし。
放火犯の被疑者、歴代公立図書館統括長、何十人もの司書さんたちなど沢山の興味深いはなしを著者が語ります。

 米国の図書館が、日本で言うところの本の貸出を中心とする図書館をはるかにこえ、50年以上前からホームレスの居場所の提供などコミュニティーセンターとしての役割をしてきていることに驚かされます。

 また、黒人差別で1960年以前は黒人は図書館で貸出ができなかったという事実も知りませんでした。ネットで調べると「公立図書館史研究における黒人-人種隔離を中心として」という論文がありました。話はそれますが、第二次世界大戦のとき米国の軍隊の中では黒人差別は一体どのような状態だったのか関心が高まりました。

 米国の2010年調査では、約3億のアメリカ人は1万7078館の公立図書館や移動図書館のどれかを使ったとあり、公共図書館はマグドナルドの店舗数よりも多い。書店と比較しても2対1で多い。
また図書館は旧式だが、最近、30歳以下の人々のあいだで人気が高く、若い世代の方が年配者よりも頻繁に図書館を利用している。などなど普段マスコミが取り上げないであろう事柄が記されてます。

 図書館は今後どのような活動をしてゆくかという命題に対しては、日米の社会構造が異なれば、その参画の方法も異なるのは当然のことですから、日米のどちらが進んでいるかどうかという視点ではなく、米国の市民社会という歯車にしっかりとくいこんで図書館活動がそれを回し、また回される取り組みを半世紀以上前から行ってきているということは、おおいに学ばなければならないところだと考えます。

 羽田誌津子さんの翻訳はたいへんに読みやすく、訳者あとがきのご本人の文章を読むと、文章の流れや息継ぎがスーザン・オーリアンさんと同じような感じなので、なるほどなと感じた次第。

 本の題名について。
洋画の原題と邦題名についてもほぼ同様なことがいつも気になります。
「ザ・ライブラリー・ブック_110万冊を焼いた大火」とわたしならしました。


2020年2月5日水曜日

秩父 武蔵中川駅前小林製材所へ材木仕入れ その2

 製材風景。

 桜材で厚さは55mmで両耳近辺がひび割れて使えないので落としました。
巾が40〜60cmある一枚板でしたが、両耳落としたので巾は23cmくらい。


 その後、厚さがあるので半分に挽きました。


 これは楓材。これも厚さがあるので半分に挽いてもらったたのですが、
材がねじれているので、挽いても厚さは均一になりませんが、かまいません。
挽き終わってから気づいたのですが、ねじれが小さくなるので、半分にしてから挽けばよかった。



 さて、これでまた一年は楽しめます。


2020年2月4日火曜日

秩父 武蔵中川駅前小林製材所へ材木仕入れ その1

 昨年は2月18日に行ったので、約1年ぶりです。
このときは栗の丸太を挽いたのと、お店手持ちの栗・楓を購入しました。
栗はすべて、楓は半分使ってしまったので、山路をせっせと運転して仕入れてきました。

 飯能から正丸峠のトンネルまではずっと登りです。
冬場にもかかわらず、往は約40kmでリッターは約17kmも走りました。往復で帰りはスーパーで買い物をしましたが約84kmでリッターはなんと約21kmです。(ホンダヴェゼル2014年ガソリン車)
ハイブリッド車に遜色ありません。

 助手席を倒しても斜めにしてピッタシでしたので、すべて半分に切断してこれくらいのカサになりました。



 栗数枚、栃、楓、桜を購入しました。
栗一枚と楓、桜は半分に挽いてもらいました。


小林製材所は2019年末にホームページをリニューアルして、とても見やすくなりました。

https://kobayasiseizai.jimdofree.com

 電話で相談してから出かけたほうがよいです。


2020年2月3日月曜日

「戦艦武蔵」吉村昭 を読んだ

 戦艦大和はドック式の呉造船所、戦艦武蔵は進水式の長崎造船所。
武蔵の進水式のときの緊張がヒシヒシと伝わってくる。

 零戦は当時の最高レベルの新鋭機でその製作技術等も一級のものであった。
敗戦後、米国より日本の航空技術開発は一切禁止されてしまい、彼ら技術者はそれ以外の分野に散らばったわけだが、自動車産業にだんだん集まるようになってきてしまった。エンジン開発とボディー開発は確かに飛行機開発と似ている。飛ぶか飛ばないかの差だけだ。
日産にスカイラインという車種があったが、車なのに空へ向かっての車種名がついている。
かっての航空産業技術者の空へのこだわりなのだろう。

 皮肉なことに、米国が日本に航空産業を禁じたことにより技術者たちは自動車産業に流れ、米国は日本車により打撃を受けることになってしまった。

 造船については米国は航空産業のように足かせはなかったので、戦前当時の造船技術はそのまま数十万トンクラスの超大型タンカーに発展することができた。

 武蔵(大和も)の開発中の情報漏れについては滑稽さがつきまとうくらいに徹底していたのには驚きを通り越す。進水式のときさえ巨大なカーテンを作って隠すことに努めた。

 かって横須賀に住んでいたとき、子どもを乳母車にのせ買い物によくいった。
一家でやっている八百屋さんにお爺さんが元気に店先や配達にと働いていた。
あるとき、何かの拍子に戦争のときの話になった。
お店のおばさんが、お爺さんは戦艦武蔵の乗組員だったんだよ、と世間話のように教えてくれた。
お爺さんは野菜をもちながら動く手をハッととめ、一瞬にして表情が変化した。


あのときは・・・、船が・・・、そして・・・ちがう戦地へむかって・・・。
今は・・・、え〜っと、今は・・・・

 やだ、お爺さんたら戦争はもうとっくに終わっているんだよ、大丈夫だよ。

そうか・・・そうだよな・・・


 お爺さんの目の輝きが現在に戻ってきた。
手にしていた大根をギュッと握り震えていた。

 お爺さんの表情が変わってしまったとき、
その周りだけ、戦中に時間が戻ってしまったかのようだった。

 おばさんは、お爺さんは戦中のこと武蔵のことを思い出すと、いつもこうなっちゃうんだよ、ごめんね、びっくりさせちゃってさと、
どこか申し訳なさそうに説明してくれた。

 お爺さんのはなしを詳しく聞いてみた衝動にかられたが、そんなことをすればきっとお爺さんの人格を壊してしまうだろうとおもい、とてもじゃないができなかった。


 米軍は他の艦船には目もくれず武蔵だけを繰り返し航空機だけで攻撃し沈めた。
乗組員の半数以上は救助され助かったのだが、参謀本部は彼らを別の陸上の激戦地へ向かわせる。
武蔵が撃沈されたことの口を塞ぐためだ。

 武蔵の場合だけでなく、これは参謀本部の常套手段で、ある作戦が失敗した部隊はその部隊が消滅するまでより激戦の前線へと送られてゆく。

 八百屋のお爺さんは、そんなふうに前線をまわされて、あのとき店先で働いていた。
無謀な作戦でたくさんの兵隊さんが亡くなっているわけだが、そんなことがなければ八百屋のお爺さんと同じように、それぞれの生活をしていたはずなのにと、悔しさと悲しみがこみ上げてくる。


2020年2月2日日曜日

領土・主権展示館「北方領土紹介冊子」を読んだ

 2019年11月11日のブログで以下の内容を投稿しました。


 
『   【北方四島はあきらめよう】
 かっての島民の方々には大変申し訳ないのですが、
北方四島は諦めましょうというのがジジイのわたくしの考えです。

 無謀な戦いを仕掛けて、日本は負けました。
いつまでたっても日本全土に米軍が進駐し続けるのは日本が負けたためです。
挑まれて負けたのではなく、仕掛けて負けたのです。

 旧ソ連邦は日本が無条件降伏した日付のあとに、北方へ進行したのだから、それらは違法で無効だと述べても、そんな日ソの不可侵条約を破ることも含めて戦争なのです。
敗戦した国の領土をよってたかって奪い取るのは当然の行為なのでした。
かって日本が周りの国々にしたことをおもいだしてください。

 米軍のことも北方領土のことも、軍国主義の日本が無謀な戦争を仕掛けたことは将来回復することのできない大きな代償となってしまいました。

 固有の領土などという、都合の良い考え方や理解などないのです。
日本の中世戦国時代と同様、領土とは接する国同士の力関係かまたは奪われるか奪うかの争いの結果によるものです。
世界に目を広げてみても同様です。

 仮の話です。
ロシアが2島返還してあげるが、莫大な経済援助を求めてきたら、断りましょう。
無条件での返還以外は受け付けてはなりません。

 チラチラと相手の顔色を伺いながら、北方四島の交渉を続けるなんて、将来性などまったくありません。政治家や評論家は粘り強い交渉を引き続き行ってゆくことが大切だなんて言ってますが、
無謀な戦争を仕掛けた結果であることの自覚がありません。無責任です。戦争を行った軍部と同じではありませんか。

 スッパリと諦め、敗戦により領土を奪われたことを認め深い戒めとし、新しい日露の外交関係を築き上げることが何よりも大切だと考えるのです。』




 今でも勿論この考えに変化はありません。

 朝日新聞2020年1月20日社説「プーチン大統領 歴史をゆがめる危うさ」の末尾にこうあります。
「北方領土問題の起源は、スターリンが大戦末期に米英と結んだ密約を根拠に、千島列島を占領したことにさかのぼる。」

 領土・主権展示館「北方領土紹介冊子」にも同様のことが記されています。
様々な事柄が簡潔に記されていて理解しやすい冊子になってます。

 しかし、わたしの考えは、この問題の起源は日本が無謀な戦争を仕掛けたことによる、なのです。
新聞社説も政府広報もどうしてこの視点がないのか理解できません。

 子ども同士が喧嘩して、大切にしているものを取り上げられ、しばらく立ってから、「もういいだろう、返してよ」というのと訳が違うのです。

 北方領土問題について、旧ソ連が中立条約を破り、日本が降伏表明後に占領したことは明らかです。ですが、これらを根拠に交渉をしても現在まで進展がまったくありません。

 原因は日本にあります。
日本政府が戦争を引き起こして、敗戦し、領土を奪われたという認識がないからです。
この意味においては、日本はまったく戦争を引き起こしたことについての反省も悔恨もないことになります。

 何度も強く、「北方四島は日本固有の領土」だと主張しても、通じるわけがありません。
戦争とはその「固有の領土」の奪い合いだからです。子どもの喧嘩ではないのです。
もう敗戦後は「北方四島」は「固有の領土」ではなくなってしまったのです。

 日本は将来にわたって、取り返しのつかないとんでもないことを過去に引き起こしてしまったのです。現在、日本はそれを引きずっている。

 戦争を仕掛けたことについての、反省・悔恨・謝罪などなどしてないことと同じで、無自覚無責任です。
これではかっての戦争を引き起こした軍部と同じでしょう。

 ではどうすればよいか。
旧ソ連の戦争というどさくさに紛れての不法な侵略を認めて、北方四島は諦める。
もう少し丁寧に言い方を変えれば、あなた達は不法な侵略をして北方四島を占拠していることを認めるならば、日本は諦める、となります。

 そんな理由での領土問題解決は受け入れられないなどと言ってきたら、そんなことは万にも一つある訳がありませんが、今度は領土問題解決の原因はロシア側にあることになります。

 若い頃、根室まで出かけ、眼の前に見える島に向かって、右手の拳を握り振り上げ「北方領土を返せ!」と叫んだことがあります。

 しかし、これからは北方の島々を眺めることができるところは、「不戦の誓い」をする場所とするのが一番だとおもいます。


2020年2月1日土曜日

ドラセナ コンシンネ

 これ、もうじき13年の付き合いになります。

たいして手入れもしないで、よく伸びました。
大きくなるにしたがって、鉢を2回かえてやりました。

 枝をまとめようと編んでいたら、ポキっとやってしまった。



 すてるのもいやなんで、そのまま差し込みました。



ネットで調べたら、挿し木でも育つとありました。
もう一週間になるけど、枯れてこないな。
大丈夫だろうか。