2018年2月28日水曜日

部屋ごとのティッシュが同時期になくなるぞ

 この家に住み始めて10年目に入りました。
各部屋や台所・洗面所などにティッシュを置いてます。
今数えてみたら、5個でした。

 住み始めたときに、だいたい同時にティッシュを使い始めたわけですが、
いつもおもしろいなと思ってたことは、ほぼ一斉に無くなるときは同時期なんです。
今月はもう3箱を交換しました。

 そういったことって、思い返すと結構あるんです。
職場にPCを導入しだしたときのこと。
一部屋に約50台弱セッティングします。
そうすると必ず例外なく、1,2台が不良品なんです。
もちろん業者が作業をするわけですが、業者は承知していて納入台数+αで用意しています。
歩留まりとして約2%は多すぎると思った記憶があります。
現在はどうなんだろうね。

 また新築の建物で勤務したことが数度ありました。
天井はすべて新品の蛍光灯です。
もちろん建物すべての部屋です。
想像していたとおり、5,6年で一斉に蛍光灯がチカチカするなど不調になりだしました。
約1000本の蛍光灯を一斉に取り替える、費用が馬鹿になりません。
現在はLEDなのでそんなことはないでしょうね。

 生活している周りにはそんなことは日常で、壊れるのが重ならないだけなんでしょう。
なのでそれほど気にならない。

 いま心配しているというか、予想しているのが
中国人が爆買いした炊飯器です(以前にも投稿しました)。
あの炊飯器のバッテリーがすぐに劣化するのです。
交換は10000円くらい。

 我が家のもそうなのですが、自分で交換しようとしてバラすと基板上に小さな部品(コンデンサーのおおきいの)がはんだ付けされていて大変です。
メーカーの設計が悪いんです。
爆買いした中国の皆さん、爆剣幕でメーカーを突き上げて下さい。



2018年2月27日火曜日

「逝きし世の面影」渡辺京二著 を読んでいる

 若い頃からずっと、フロイスをはじめ外国人が見た当時の見聞記を読むのが大好きでした。
また遣欧使節団など外国に出かけていった日本人の海外見聞録も大好きです。

 若い頃に比べるとインターネットのお陰で飛躍的にそういった記録(の原本)に触れることが簡単にできます。
数日前にはググって見つけたのがこちら。



http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k9757095j/f9.double

 当時の本がまるまる一冊読めるのですから、こんな幸せなことはありません。


 ちなみにこちらは司馬江漢の江漢西遊日記の、
戸塚、大磯、小田原と東海道を下って行くところ。



 くずし字で読みづらいですが、だいたい読める。


 渡辺京二さん、そういった資料の縦覧ぶりが半端じゃない。
注釈がこれまた実に参考になるわけです。

 農民や貧しい人たちが、陽気であり、生活は貧しくとも簡素でゆたかでであり、親和と礼節があるとしています。またこれらが豊かな生活をしている人たちにも共通していると記しています。

 そのような紀行文を書く外国人たちは、この国の人々を無理やり開国させ、新しい技術や生活様式を持ち込むことが果たして良いことなのかどうか逡巡します。

 このあたりまで読んでいて、
よくドキュメンタリーでやっている、アフリカや南米の未開地の部族の生活に密着するのがあるけど、それらとダブったな。

 ガス水道電気などの生活に必要なインフラなんて全く無い。
が、生活の様子はみんな健康そうで陽気。
部族が生活している区域は舗装なんてされているはずがないけどチリひとつなく清潔。

 こういったところに、今でも宣教師と呼ばれる人たちがガンガン入ってゆくんだから
あの人達っていうか宗派っていうか、懲りないよな。
来るもの拒まずっていうなら良いけど、
勧誘することそのものが信心を深めるっていうんだから困ったもんだ。

 ロヨラさんやザビエルさんはそんなこと言っているようじゃ
まだまだ修行が足らんと警策?でパシンパシンと叩くのかもしれないな。


2018年2月26日月曜日

ふぅ~ やっと冬季オリンピック終わった

 アイススケート新種目女子マススタート、おもしろかった。
何で今までなかったんだろう。
陸上では中距離で昔からあるのにな。
高木菜那さんお見事でした。

 ジジイのわたしは、オリンピックはもうやらなくていい派です。
わずか二週間くらいのことに、税金で巨費を投じる意味なしであります。
オリンピック開催の意義はもう役目を終わっています。
オリンピックを招致するためにオリンピック委員会の面々を招く図は
贈収賄をしている現場そのもであります。
放映権だかなんだかで、巨額の金銭が動く。
委員会は即解散。

 世界選手権があるのだからそれで十分です。
この先、オリンピック招致に手が上がらない国が続出するはずです。
旨味がないどころか、開催することによって国内が疲弊し混乱し開催後は
コンクリートの荒れ野が広がるだけ。
巨額の経費を社会福祉にまわせば、どれだけの人たちが息をつぐことができるのか。

もう止めよう、オリンピック!


2018年2月25日日曜日

「バテレンの世紀」渡辺京二 著 を読んだ

 読後感、ガレオン船の帆をいっぱいにふくらませる風が体を吹き抜けまこと気持ち良い。
今までのもやもやを吹き飛ばし一気に晴れた感じだな。

 「エピローグ ファースト・コンタクト再考」と「あとがき」も素晴らしい。
氏は「なぜ書いたか。私はただキリシタンの事跡に心ひかれて、それを詳しく物語りたかったのである。」と語る。
随所に豊富なエピソードがからみ、自分自身の不確かな記憶を確認しながら読み進める。

 イエズス会と共産主義者の酷似についての指摘はうなったな。
右派の右派つまり極右派と同様に極左派は両腕をぐるっと輪にすればくっついて同じだぞ、とは
大正3年生まれの亡き父がよく言っていた。
手前味噌ながら、父の名言の1つである。

 一神教の思想は根深く、現代でもこれからも確固たるものだろうが、
偏見というものの、源泉であるような気がしてならない。
prejudiceはそのままのことば、善悪を判断する前にある心情だからな。
解決するには、絶やすことのない交流しかあるまい。

 もうジジイなので、本はたくさん読んだ。
そして、そのほとんど全ては処分した。
それでも、出会ったそれらのなかでもとびっきりの本だったな。
幸せなめぐりあわせでした。

 あとがきのおしまいで、編集部にお礼を述べ、
さらに「またお読み下さった方々にもよくぞお付き合いいただいたと御礼申し上げたい。」と続ける。
 お礼を申し上げたいのは、わたくしの方である。

 そして、「私たちの社会はいま急速な転機を迎えつつあるのだろうが、「歴史」はその際つねに最良の教師であると思う。」と氏は控えめに述べる。
肝に銘じておこう、と誓うぞ。


2018年2月24日土曜日

米国の銃乱射

 もう一体、何十年同じようなことの繰り返しなんだ。
このような状態のことを、改める気がないというんだな。

 10人、100人、いや1000人死んだって、変える気がない。
米国は今でも西部開拓時代と同じで銃が必要だ、と考えれば
「うん」とうなづきそうになる。
しかし当時の銃と比べれば、はるかに殺傷能力は高く、手に入れやすい。
開拓しているのは土地や文化だけでなく、人を殺す武器までもそうしてきてしまっているからな。

 勝手な想像だが、西部開拓時代の小学校など、
教員の脇にはつねにライフルが置いてあったのではないだろうか。
いや、もしかしたら腰にピストルをぶら下げていたのかもしれない。
身近なところに、銃のある生活がずっと続いてきてしまったのが米国なんだろうな。

 あらら、それが現実になってきそうだぞ。
今日2018年2月22日トランプがこの件に関して次のように言っている。
「arm teachers with guns」
これじゃ、銃規制じゃなくて銃拡散じゃねぇか。
バカ!


2018年2月23日金曜日

ウイリアム・アダムスのこと

 なんだか気になって少し詳しくググってみた。

まず1つ目。
 大英帝国博物館に彼の手紙の原本がある。
これはそこの原本ではないが、彼が本国に何度か書いた手紙を読むことができる。
http://anthony.sogang.ac.kr/LettersWilliamAdams.html
妻への手紙が愛情あふれるものかと想像したが、う~ん。

 ウイリアム・アダムスに関心ある人はたくさんいるようで、
このブログ(英国図書館)もそう。
http://blogs.bl.uk/untoldlives/2016/05/william-adams-from-gillingham-to-japan.html

 彼は死後、遺産をイングランドの愛する妻と子どもたちに、
そして日本の子どもたちヨゼフとスザンナに半分ずつ相続することを願っていた。
決してイングランドの妻と子どもを忘れていたわけではなかったんだな。
生前にも、イングランドの家族に東インド会社から金銭を支払うようにお願いしている。
400年以上前の単身赴任父ちゃんのハシリだったんかね。

 このブログでは彼の子どもたちのその後も調べているが、
イングランドの子どもたちについても、日本の子どもたちについても
彼らの後半生は不明になってしまっている。


もう1つ。
 彼は家康に命じられて船を2艘作ることになってしまった。
その2艘目にドラマが仕込まれていたなんて。

 タイミングよく朝日新聞朝刊千葉版にこの件に絡む記事があった。



 400年前なんて昔のようで昔でなく、つい最近のことのような気もするな。


2018年2月22日木曜日

家康と宣教師たち

 1588年スペインの無敵艦隊はネルソン提督率いるイギリス艦隊に敗れた。
イギリス・オランダはそれ以降ポルトガル・スペインに取って代わってゆく。

 そのような世界情勢の中、ウイリアム・アダムスは日本に漂着した。
家康は何度となく彼を尋問する。
通訳は宣教師たち。

 その宣教師たち、てんでデタラメに自分たちの都合のようように通訳した。
彼は海賊ですぐに殺せ。
これが神に仕える宣教師の実態なんだろうな。
そもそも、彼らが使えている神に国境なんてなかろうに、なんてざまだ。

 家康はすぐに見破る。
難破した船もわざわざ関東まで回航させている。
船には当時の最先端の武器弾薬が積まれていた。
これらの出来事は関が原の合戦前後の流れと同時進行なのが
また驚くところ。

 家康の周りを取り巻く各会派は入り乱れていたが、
その姿はとても聖職者とはおもえない。

 家康の対応が、
(信長+秀吉)÷2であることが愉快だな。
世界情勢にすっごく関心があるし、金儲けのための貿易にもヨダレが出るほだ。

 家康との謁見の様子を「ドン・ロドリゴ日本渡航記」に見てみる。
(ドン・ロドリゴと日本との関わりがこれまた興味尽きることがない)

 「皇帝はとても大きな部屋にいて、その建物の精巧なことは言語に尽くせず、その中央より向こうに階段があり、そこを上がりきると黄金の綱があった。部屋の両側に沿ってその端、即ち皇帝の居る場所より約四歩の所に進んだ。その高さ1.6メートルにして多数の小さな戸があった。家臣等は時々皇帝に招かれこの戸より出入りした」
ここまでは、時代劇そのままだ、続いて家康の様子が描かれている。

 「彼は60歳(実際は67)の中背の老人で、尊敬すべく愉快な容貌をしており、太子(秀忠のこと)のように色が黒くなく、また彼より肥満していた。私は、あらかじめ、握手を求めたり手に接吻しないようにと注意を受けていたので、椅子のところに行くと最敬礼をした。彼はそれまで容貌を変えなかったが、少し頭を下げ私に対して大いに好意を示して微笑し、手を挙げて着座せよという合図をした」
普段、このような様子は映画やテレビでしか見ることはできないが、
これこそが本物、家康を活写しているではないか。

 なお、家康については下記HPに詳しくまとめられ、大変に参考になる
http://www.visit-shizuoka.com/t/oogosho400/index.htm


2018年2月21日水曜日

家康とウイリアム・アダムス

 ウイリアム・アダムス。
彼は宣教師ではないが、家康の信任を受けた。
彼がいなければ家康の外交政策はなかったと言われている。

 横須賀育ちの市民ならば全員知っているはずだ。
小学校から習う。
京急線に安針塚という駅があるくらいだからな。

 今回彼のことを調べなおして驚いたことがある。
彼の船が難破して日本に流れ着き、家康に重用されるも
帰国は許されず、泣く泣く日本で生活していたのかとおもっていた。

 彼は本国へ何度となく手紙を書いた。
やがてそれは、国王のもとへ届くこととなる。
国王の親書をたずさえた船が日本へ着いたとき、
英国・日本両国から帰国することを認められたのだが、
彼はそれを拒否していたのだ。

 つまり、様々な事情があったにせよ、彼自身の意志で日本とどまることを選択した。
やがて、家康のバテレン追放令など外国人に対して吹き荒れる排斥のなかで
彼は平戸に移り住み、そこで亡くなった。

 自身で日本に住むことを選択していたなんて、知らなかったな。


2018年2月20日火曜日

秀吉とフロイス

 信長亡き後の秀吉についてもフロイスは克明に記している。
信長以上の我々の理解者だと持ち上げたりしているが、一方で戸惑ったりもしている。

 どうやら秀吉はフロイスたち宣教師がもたらす富と船に興味があったようだな。
信長は宣教師を世界の窓として彼らがもたらす知的情報を欲した。
秀吉はポルトガル船がもたらす物資と船そのものを欲した。
信長と秀吉、水と油だ。
だからこそ、信長は秀吉を取り立て重用したのだな。


 それにしても、フロイスをはじめ彼らの布教の仕方といったら、ひどい。
信者になった民衆に神社仏閣の破壊命じ、徹底的に打ち壊し焼いた。
日本の神は悪魔であると、こともなげにけなす。
日本人は礼儀正しく謙虚であり正直であると持ち上げ、自分たちの権威的で尊大で横柄な態度は当然だと思っているし、平気で二枚舌を使う。

 イエズス会の実態は、武器を持たぬ軍事集団か。
なんせ、会の創始者ロヨラは軍人だったというからな。

 あの有名な遣欧使節団が宣教師ヴァリニャーノの思いつきであり、
日本からの親書は自分たちでこしらえた偽物で花押さえ偽造したとはな。
まぁ、彼らの目的は達せられたのだが。

 遣欧使節団の少年たちがローマ法王グレゴリオ13世と謁見する場面は感動的だ。
茶番とも言うが、教会内の情景が眼前に浮かぶ。

 このグレゴリウス法王、それまでのユリウス暦の改良を命じ、
1582年10月15日から実施させた人だぞ。
現在でも使われている太陽暦だな。

 それにしても、当時の宣教師たちの年次報告書等は研究者たちの宝庫であることだけは確実だな。
そのことだけは、彼らはよい仕事をした。


2018年2月19日月曜日

信長とフロイス

 「のぶながとふろいす」と入力し変換したら
「信長と風呂椅子」になった。
信長が風呂に入っている姿、なんか想像できんな。

 「湯がぬるい!!!」と逆鱗にふれ、湯守はバッサリかな。


 フロイスの日本史は、どこからどう読んでも興味が尽きない。
室町時代の西日本、ドキュメンタリー番組を見ているようだ。

 信長の知的好奇心の高さ、得た知識を理解し受け入れる度量の大きさ、大したもんだ。
宣教師フロイスが世界の窓であり、
そこから吹き込んでくる風がたまらなく新鮮であったのだろうな。

 あるとき城にフロイスを招き、数時間歓談したときのことだ。
信長は、元素のこと・日月星辰など天文に関することなどを尋ねたという。
食事時には信長自らが、フロイスに食膳を運んできたというのだから驚く。

 紅毛黒衣のフロイスに、信長が食膳を片手で持ち、やや大股で運んでくる。
なんか絵になるぞ。


2018年2月18日日曜日

「バテレンの世紀」渡辺京二 著 を読んでいる

 本を開いてすぐに、
種子島にポルトガル人が銃を伝えたことの背景から始まる。



その背景の広さ深さに、昼寝の誘惑がすっ飛んだ。

 読み進めるうちに、この時代の世界をどこかで見てきたような読んだような・・・
すぐに思い出した。
飯嶋 和一 著 「黄金旅風」だ。
これは小説だが、活字の世界以上の出来事が、
インド洋・南シナ海・東シナ海圏ではあったのだろうな。

 種子島に銃が渡来した西暦年とそれらに関わる周辺事情を少々、が当時学んだこと。
これらの背後にはとんでもない世界の動きがあったのに、それすらも感じ取ることができなかったことは、もったいない。いや情けない。

 バナナが伝わったのは、この時期だそうだ。
当時の武将たちに献上されている記録が残っている。
信長もうまいうまいと皮をむいて食ったそうな。


2018年2月17日土曜日

図書館で借りた本

 借りた本に鉛筆で書き込みがあった。

「顰蹙」ひんしゅく

 書き込んだ方はこの言葉の意味までは知らなかったようだな。


2018年2月16日金曜日

カーリング競技になじめない

 時代についていけない、ジジイのたわごとです。

 塊(ストーンっていうらしい)を放り出した後に、
「これから滑ってゆくであろう軌道上をたわしでゴシゴシこする」
これが、ズルしているとしか見ることができなくて
ダメなんです。
ゴシゴシするのはブラシっていうらしい。

 ゴルフでそんなことしたら、永久追放か
グリーン上で殴られるか、砂場に埋められるか、池に沈められるか・・・
してしまうに違いありません。

 そうされないために、芝目を命をかけて読むのです。
なので、カーリングも氷目をしっかり読んで投げればよろしい。
あろうことか、投げた後に氷を削って軌道を修正するなんてイカン。

 室内で行う球技などは風を嫌います。
卓球だってバドミントンだって、バレーボールだって・・・。
目に光が入ることを避けるっていうこともありますが、
打ったシャトルや玉が風などで変化しないようにするためです。

 屋外の球技では、玉は風に左右されますが
それを承知で玉が手から離れるときに調整するわけです。
風を読むんだな。

 パチンコでは打ち出した玉を、磁石などで変化させると捕まります。
ビリヤードもしかり。

 ペタンクを若い頃、お年寄りに混じってフランスはプロバンスで
いっときやったことがあります。
ルールはカーリングに似てます。
地面に小石があったり凸凹があったり、それがラッキーを呼び込むこともあれば
クソーっていうこともあるんです。
マーカーの周りを掃除しようもんなら、
敵味方関係なくジジイたちの一斉集中砲火を浴びます。
「おいっ わけーの 余分なことすんじゃねぇ」

 選手たちを軽蔑する気持ちなんてまったくないです。
大好きな種目を批判されて不愉快でしょうが、
ジジイのわたしが馴染めないだけです。
野球に馴染めない人たちがいるのと同じですので
どうか気になさらずにご容赦下さい。


2018年2月15日木曜日

カジノ法案

 あれやこれや、国会で法案審議をしています。

 ラスベガスにカジノをするために約1週間滞在したことがあります。
カジノはそれなりに楽しめました。

 だけど、
朝早く散歩したときの空気の気持ちよさ、
真っ昼間の暑さ
夕方の砂漠の美しさ、
自然のほうが満喫できたな。

 お土産屋さんにいくと、岩塩の塊を売っている。
いろいろな造形にしてあるのだけれど、どれも重い。
札束は振り込めるけど、岩塩はむりか。

 街中を走っている路線バスの中のあの廃れた雰囲気と独特の臭気、
キラキラしたホテル群、メインストリートの賑わい、
一歩外れると、裏寂れた場末の酔っぱらいが濁ったうつろな目でこちらを見ている。
あー、ラスベガスだとわけもなく現地感に納得していたな。

 そんな通りのレストランとは呼べないような店に入った。
まずいのなんのって、どうやったらこれほどにできるか疑った。
ほとんど手を付けずに、紙ナプキンをかぶせて退出。

 浅田次郎さんが「カッシーノ」をかかれています。
世界中のカジノ挑戦記。
おもしろいだけでなく、カジノの文化を詳細に記しています。

 はたして今の日本にカジノが必要かどうかの回答が読み取れます。
勿論読んだ人によって○か☓かは別れるに決まってますが
どちらを選んだにせよ、カジノというものの認識が深まることだけは確かだな。

 法案原案を作成したお役人、読みましたか。


2018年2月14日水曜日

冬季オリンピックやっているけど

 点数で勝敗を決定する競技は嫌いです。
体操なんて競技の技が高度になりすぎて、審判が見切ることができなくなってんだからな。

 ジャンプは飛んだ距離で争えばよろしい。
飛型点なんていらん。
最高と最低点は外して採点しているが、点数なんていらない。

 飛んだ距離で争うとしたって、ソリやスーツの断面を飛行機の翼のそれと同じふうにしてくるだろうから、どこまでも飛んでいってしまって、競技にならんな。
ジャンプ台はカタパルトになる。

 より速くより高くより遠く、この種目が見ていて楽しい。
でもまぁ、オリンピックはもういい。
役目は終わったよ。
IOCなんてとっとと解散してくださいな。

 各種目ごとの世界選手権で争えばそれでよろしい。


2018年2月13日火曜日

シュロ縄

 シュロ縄がなくなりそうなので買ってきた。
今までのはメイドインチャイナ、今度のはスリランカ。
¥581円。



 購入したのは原材料がシュロとパームになっている。
木の上の方の襟巻上の皮を剥がしてから、全てほぐして
手でよって作っていくのだと思うけど、
きっとではなく絶対に手間暇がかかっているだろう。

 それが100mで¥581円。
作っている人たちの手取りの給料は一体いくらなんだろうな。

 シュロ縄って非常に便利なんです。
庭や園芸では必需品、何にでも使える。
一番いいのが、天然素材なので使用後は土に帰ること。

 適切な価格とは?
考え出すと深〜く、フカ〜ク、・・・
悩み深しだな。

 納屋見深志、実際にいそう。

2018年2月12日月曜日

フランスの日めくり

 見た目、何となくおしゃれな気がしないでもない。
漫画が楽しそうだし、日の出・日の入り時刻なんかもある。



 だけど、紙を引っ張り上げようとすると、すべる。
ジジイの指先はスベスベなんだな。
何日か試して失敗もしたが、やはりめくりづらい。

 曜日と日にちと何月かはすぐに読めるが、
他の字が小さい。
ジジイはちっこい字が見えないんだな。


 裏はどこかにとめることができるように
両面テープが貼ってあるが、
なんだ、この貼り方は!



ラテン系だから許してなんぞ甘い!
ジジイはこういうのにうるさいんだな。

 もらったは、いいが
日めくりは日本のがよさそうだな。


2018年2月11日日曜日

雪がまだ残っている

 日の当たらないところに、雪がまだ結構残っている。
屋根の北側にも。

 今日は2月11日、降ったのが2日。
気温が低いんだな。

 でも今朝の屋外気温は2℃だった。


2018年2月10日土曜日

渡辺京二さんのこと

 「ノンフィクションライター・三宅玲子/Yahoo!ニュース 特集編集部」の記事で
初めて知りました。

 御歳87歳、思想家です。
インタビューの中で、枝葉を落とし幹の核心だけを淡々と語る。
黒光りする大黒柱が無駄なことは言わずに、囲炉裏の周りで語り合う人たちに
もっと顔を上げろ、自身を持てと叱咤しているようでもある。

 なんの修飾もなく、簡潔に一行で記す。
とても気持ち良い。

○日本は70年余前の敗戦でナショナリズムから卒業し、成熟した国になった

○明治維新の実質を言えば、西洋という外圧による外発的な変化

○情勢に迫られてやっただけのこと。ウェスタン・インパクトによる緊急避難が明治維新

○日本人はナショナリズムを乗り越え、卒業した。つまり、日本人は国家を超える感覚をもった

○87年という時間を生きてきて思うのは、人生とはどういう人間と出会うかに尽きる

○傷つくことを恐れず、世間や人の言うことなどいちいち気にせず、自分の好きなように生きればいい。そしていまはそれができる時代

○明治などに幻想を抱くのではなく、いまはもっといい時代になっている、そう認識することが大事

 一行一行が胸にズンとしみる。


2018年2月9日金曜日

テレビ画面設置の適切な高さ

 視線がやや下がり気味で画面を見るのが一番最適です。
床に座って、ソファーで、椅子に座ってといろいろな場面がありますが、
共通するのは同じで、目線を上にしない位置に画面を設定するのがよいです。

 映画館などで画面を見上げるようにして見ると、目玉も首も疲れます。
映画館の中段かそれより上の段の椅子で見ると、目線は上になりませんので楽ちんです。

 リビングルームの施工をデザインしている工務店や木工屋さんのHPを見るのが好きですが、
薄型テレビを壁に取り付けている位置がほとんど全て高すぎます。
デザインした方、施工した方が実際に何日もその位置の高さでテレビを見続ければ、
見にくいということが必ずわかると思うのですが、してないのでしょうね。

 ベッドや布団の中から見ることを除いて、
目線を上げる位置に画面を設置しない、
施工する中で考慮して下さい。

 全く個人的な「テレビ画面の適切な高さ」のお話でした。
ちなみに我が家はこんな感じ。



 テレビ台の高さ30cm、テレビは32型です。
障子の下端までの高さは約83cm。
見やすく疲れません。


2018年2月8日木曜日

野鳥で思い出した話

 大学生の時、バイト仲間から聞いた話。
彼は鹿児島県人、実家で生活していたとき庭先の柵に中型の野鳥が皆、
背を向けて数羽止まっていた。
追い払おうと石を投げつけた。

 ところが投げた本人もびっくり、そのうちの1羽に当たり、ドンと地面に落下した。
縁側から一部始終を見ていた母親が、脱兎のごとく裸足で駆け出し、
あっと今に捕まえた。

 母親は、捕まえると同時に絞めて殺していた。
友人は普段見ない母親の素早さと、ためらわずに絞めてしまった手際良さに
ポカンとしてしまったそうだ。

 晩飯は鶏めしと相成り、うまかったそうな。


2018年2月7日水曜日

庭に来る野鳥

 いろいろ野鳥がやってくる。
ホオジロだろうか。
夫婦でしょう。




 雀に似ている種類は多くて調べないとわからん

 でも、これだけは間違えない。


 
 ジョウビタキです。
自己主張が強く、縄張り意識も相当なもの。
家の車のバックミラーに映る自分を、敵だと思って攻撃する。
傷が心配だし、糞もつく。
レジ袋をミラーに被せて防いだ。

 色柄がきれいで好きだな。



2018年2月6日火曜日

「江戸の科学大図鑑」を読む その10

 『機巧図彙(からくりずい)』1796年寛政8年。



 からくりの大まかではあるがそこそこ細かい図を公開しているところがいいな。
半分自慢が入って、あんたは作れるかって感じがあるかもしれない。
肝心なところが図からはわからないようになっているのだろうか。

 時計の作り方・茶運び人形などの玩具、精巧だな。

 英国では産業革命が始まる時代だが、
日本でも独自にこういった機械が発明されだして公開もされているのが驚き。

それとも、中国など海外からの影響ってあったのかな。

2018年2月5日月曜日

1億年を100mとすると・・・

 100mならば感覚的にも視覚的にも、あ~あのくらいの長さとわかる。
なので、1億年という途方もない直感的にとらえどころのない時間軸を100mに置き換えて
この数年いろいろな例に当てはめて考えることが多くなった。

 地球は46億歳なので4600m、直線距離で5km弱なのでまぁ近所周辺程度。
宇宙は138億歳くらい、ということは13800m、14km弱、そんなに遠くじゃないな。

 100m=100000mmだから100000000年÷100000mm=1000年/mm、
つまり1mmが1000年となる。
両方共にミリがつくので覚えやすい。

 100mの短距離走でスタートからゴールを眺めてその長さが1億年、
1000年はたった1mm、なんかすごい。

 クフ王のピラミッドは約4600年前のことだから、5mm弱、つい最近だな。
恐竜は今から2億2500万年前から6500万年前に繁栄した爬虫類、
1億6千万年もの長きに渡って君臨したのだから、頭がクラっとする。
長さに換算すると225mあたりから65mくらいまで、様々な恐竜が闊歩していたことになる。

 恐竜に変わって霊長類が現れたのが6500万年前で、人類と類人猿が別れたのが500万年前と言われている。
そして、原人が150万年前、旧人が20万年前、ようやく新人と呼ばれる現在の人間とそれほど変わらない人類が2万年〜1万年に現れた。
日本で言うと縄文弥生時代になる。

 その縄文弥生時代は1cm〜2cm程度、旧人は20cm、原人でさえ1m50cm、
成人の平均身長よりずっと短い。

 ごくごく大雑把に言うと、人類の歴史なんて
両手を広げた範囲に入ってしまうってぇことなんだな。
まぁ1億年が100mだとするとだけど。

2018年2月4日日曜日

釜久米菓 お買い得です

 関係者ではありません。
埼玉県飯能市茜台の工場で販売しています。
道路脇に赤いのぼりがあるのですぐにわかります。



 ボクはよく買うのは、
ピーナツ揚げ小袋 ¥390円(上段2つ)
これ小袋が20袋も入ってこの価格です。

 今回は
桜えびおこげ ¥160円(下段右端)も買ってしまいました。

 土曜日には更にお徳用も販売されるようです。
お徳用つまり、割れてしまった米菓で味は変わりません、形がこわれてしまったもの。
なので、あるときとないときがあるので電話するかお店に行かなければわかりません。

 今日買ったのは、
無選別揚げ餅醤油 ¥350円(下段左から2つ目)
久助おこげ桜えび ¥190円(下段中央の3袋)
久助青さのり   ¥190円(下段左端)

 どこかのコマーシャルソングにもありましたけど
上記の米菓、食べだしたら止まりません。

 画像の米菓たち、
1ヶ月いや1.5ヶ月う~ん2ヶ月は持たせるつもり、
強い意志も育てることができる米菓です。


2018年2月3日土曜日

トラックパッドなどのフリック操作・上下カーソルキーの画像上下移動について

 表現が難しい。
タッチパッドで上下にフリック(指先でサッとなでる動き)したり、
キーボードの上下矢印キーを押したときの、画面の流れる方向についてのことです。
う~ん、なんかこれでも今一つだな。

 ちなみにmacOS システム環境>トラックパッドでは、
「指を動かす方向にコンテンツが移動」と簡潔に表現されています。



 左右見開きの本を読むとします。
日本語でもそれ以外でも、縦書きでも横書きでもなんでもいいです。
真ん中あたりで、開きます。

 左側にページを進めたかったら一つの方法として、
指先で今開いている左側のページをなでるようにして紙をめくります。
このときの指先の動きは左から右へ流れます。
指先を右から左へなでてもページをめくることは決してできません。

 同様に右側にページを進めたかったら、
指先の動きは右から左になります。

 この動きはmacOSのタッチパッドのflick操作と同じです。
要するに紙を動かしているわけです。

 上下方向でも同様です。
画面下部に隠れているものを見るには、画像をを上に動かさないと見ることができませんから
指先の動きは下から上へとなり、
画面上部に隠れているものを見るには、上から下へと指先は動きます。

 macOSのflick操作は、
日常で書籍等のページをめくるときの指先の動きをまねていることがわかります。

 以上はフリック操作でしたが、
キーボードのカーソル上下キーはそうはなっていません。

 ブラウザーで下の方を見たいときには、下矢印キーを使います。
上の画像を見るときは上矢印キーです。
これは画面のある機械では世界共通です。
見たい方向の矢印キーを押せばいいので、間違えることはありません。

 感覚的には大きな一枚の画像を箱メガネで覗いているとおもえば納得します。
またはだだっ広い平原上をドローンを操縦しているとしてもわかりやすい。
どちらも見たい(動きたい)方向の矢印キーを押せばそちらに移動して見ることができます。
車や飛行機の操縦と矢印キーの操作は一致しているのです。

 機械の操作としてはこちらのほうが先で、世界共通の操作法として定着しています。
今後も変わることはないはずです。

 flick操作はつい最近のことです。
今までの矢印キーの操作と逆になっているのですが、
人が書籍等を扱うときの動きに一致させたものと考えれば
それはそれで合理的です。
硬く言うと人間工学的に理にかなっているとでもいうのでしょう。

 もう一歩踏み込んでこの操作の歴史を振り返ると、考えるまでもなく
書籍などのページ操作のほうがずっとずっと古くって何千年、おっとそんなにはないか、
パピルスなど巻物状の筆記物が出現したのが数千年前だから、まぁ古いことは古い。

 昔から人が学習する過程では矢印キー操作なんてあるわけなかったのですから、
脳みその奥深いところにそのページめくり操作は刷り込まれているはずです。
つまり、画面付き機械の矢印キー操作こそがつい最近のものであることがわかります。

 画面(画像)移動操作にフリック操作と矢印キー操作の2種類あります。
それらの操作を、それほど混乱なく使うことができているのは、
フリック操作が、紙の発明と活版印刷の普及により、
人類有史以来刷り込まれた極めて直感的な操作法であること、
矢印キー操作は、ブラウン管・液晶画面以来つい最近のものではあるが、
機械を扱う上ではこれまた直感的な操作法であること、
によるものであると考えます。

 ここまでははmacOSでのことです。
ところがwindowsでは矢印キー操作は同様なのですが、
トラックパッド上での操作はデフォルトではmacOSと逆になっているのです。

 Windows開発陣はトラックパッド上の操作も矢印キー操作と同じにしたかったのでしょう。
人間工学的な動きを無視したことになります。

 私自身は、windows,macの好き嫌いではなく
画面画像操作の移動方向とその操作方法に関してはmacの設定が自然で、理があるとおもいます。

 しかしどちらが使いやすいかは最終的には個人の好みでしょう。
なので、macではシステム環境の「マウス」や「トラックパッド」からどちらかを選択できます。
windowsでは残念ながら、機種によって選択画面が現れたりそうでなかったりで、まちまちです。
レジストリーをいじればほとんどの機種で変更は可能です。

 1つの機械を多人数で使うとき、
もちろん個人個人でログオンして使うのだけれど、
なんかやっかいそう。


2018年2月2日金曜日

2018年2月2日 雪だ

 昨晩から降り始めて、朝9時前、まだ降っている。
天気図を見るともうじき止むはず。



 今回の雪は湿ってる。
前回1月23日の雪はパウダースノーだった。
ソリがあれば滑ってたな。



 数日前に「銀牙」というスコップを買っておいた。



 役に立つか?!



2018年2月1日木曜日

MacBookPro2007 BootCamp windows10 Update 1709 カーソル上下 逆

 やはり気になるので、「カーソル上下の逆」を修正した。
前回でも書いたが、修正したいFlipFlopWheel と FlipFlopHScroll が該当する箇所にない。

 しょうがない。
新規にその2つを作成するしかない。
作成する場所が Apple Trackpad Enabler であることを指差確認して、



2つのDWORDを作った。



 再起動する。
うん、うまくいった。
これでよし。
めでたしめでたし。