2018年2月27日火曜日

「逝きし世の面影」渡辺京二著 を読んでいる

 若い頃からずっと、フロイスをはじめ外国人が見た当時の見聞記を読むのが大好きでした。
また遣欧使節団など外国に出かけていった日本人の海外見聞録も大好きです。

 若い頃に比べるとインターネットのお陰で飛躍的にそういった記録(の原本)に触れることが簡単にできます。
数日前にはググって見つけたのがこちら。



http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k9757095j/f9.double

 当時の本がまるまる一冊読めるのですから、こんな幸せなことはありません。


 ちなみにこちらは司馬江漢の江漢西遊日記の、
戸塚、大磯、小田原と東海道を下って行くところ。



 くずし字で読みづらいですが、だいたい読める。


 渡辺京二さん、そういった資料の縦覧ぶりが半端じゃない。
注釈がこれまた実に参考になるわけです。

 農民や貧しい人たちが、陽気であり、生活は貧しくとも簡素でゆたかでであり、親和と礼節があるとしています。またこれらが豊かな生活をしている人たちにも共通していると記しています。

 そのような紀行文を書く外国人たちは、この国の人々を無理やり開国させ、新しい技術や生活様式を持ち込むことが果たして良いことなのかどうか逡巡します。

 このあたりまで読んでいて、
よくドキュメンタリーでやっている、アフリカや南米の未開地の部族の生活に密着するのがあるけど、それらとダブったな。

 ガス水道電気などの生活に必要なインフラなんて全く無い。
が、生活の様子はみんな健康そうで陽気。
部族が生活している区域は舗装なんてされているはずがないけどチリひとつなく清潔。

 こういったところに、今でも宣教師と呼ばれる人たちがガンガン入ってゆくんだから
あの人達っていうか宗派っていうか、懲りないよな。
来るもの拒まずっていうなら良いけど、
勧誘することそのものが信心を深めるっていうんだから困ったもんだ。

 ロヨラさんやザビエルさんはそんなこと言っているようじゃ
まだまだ修行が足らんと警策?でパシンパシンと叩くのかもしれないな。


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