2018年2月22日木曜日

家康と宣教師たち

 1588年スペインの無敵艦隊はネルソン提督率いるイギリス艦隊に敗れた。
イギリス・オランダはそれ以降ポルトガル・スペインに取って代わってゆく。

 そのような世界情勢の中、ウイリアム・アダムスは日本に漂着した。
家康は何度となく彼を尋問する。
通訳は宣教師たち。

 その宣教師たち、てんでデタラメに自分たちの都合のようように通訳した。
彼は海賊ですぐに殺せ。
これが神に仕える宣教師の実態なんだろうな。
そもそも、彼らが使えている神に国境なんてなかろうに、なんてざまだ。

 家康はすぐに見破る。
難破した船もわざわざ関東まで回航させている。
船には当時の最先端の武器弾薬が積まれていた。
これらの出来事は関が原の合戦前後の流れと同時進行なのが
また驚くところ。

 家康の周りを取り巻く各会派は入り乱れていたが、
その姿はとても聖職者とはおもえない。

 家康の対応が、
(信長+秀吉)÷2であることが愉快だな。
世界情勢にすっごく関心があるし、金儲けのための貿易にもヨダレが出るほだ。

 家康との謁見の様子を「ドン・ロドリゴ日本渡航記」に見てみる。
(ドン・ロドリゴと日本との関わりがこれまた興味尽きることがない)

 「皇帝はとても大きな部屋にいて、その建物の精巧なことは言語に尽くせず、その中央より向こうに階段があり、そこを上がりきると黄金の綱があった。部屋の両側に沿ってその端、即ち皇帝の居る場所より約四歩の所に進んだ。その高さ1.6メートルにして多数の小さな戸があった。家臣等は時々皇帝に招かれこの戸より出入りした」
ここまでは、時代劇そのままだ、続いて家康の様子が描かれている。

 「彼は60歳(実際は67)の中背の老人で、尊敬すべく愉快な容貌をしており、太子(秀忠のこと)のように色が黒くなく、また彼より肥満していた。私は、あらかじめ、握手を求めたり手に接吻しないようにと注意を受けていたので、椅子のところに行くと最敬礼をした。彼はそれまで容貌を変えなかったが、少し頭を下げ私に対して大いに好意を示して微笑し、手を挙げて着座せよという合図をした」
普段、このような様子は映画やテレビでしか見ることはできないが、
これこそが本物、家康を活写しているではないか。

 なお、家康については下記HPに詳しくまとめられ、大変に参考になる
http://www.visit-shizuoka.com/t/oogosho400/index.htm


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