2018年2月25日日曜日

「バテレンの世紀」渡辺京二 著 を読んだ

 読後感、ガレオン船の帆をいっぱいにふくらませる風が体を吹き抜けまこと気持ち良い。
今までのもやもやを吹き飛ばし一気に晴れた感じだな。

 「エピローグ ファースト・コンタクト再考」と「あとがき」も素晴らしい。
氏は「なぜ書いたか。私はただキリシタンの事跡に心ひかれて、それを詳しく物語りたかったのである。」と語る。
随所に豊富なエピソードがからみ、自分自身の不確かな記憶を確認しながら読み進める。

 イエズス会と共産主義者の酷似についての指摘はうなったな。
右派の右派つまり極右派と同様に極左派は両腕をぐるっと輪にすればくっついて同じだぞ、とは
大正3年生まれの亡き父がよく言っていた。
手前味噌ながら、父の名言の1つである。

 一神教の思想は根深く、現代でもこれからも確固たるものだろうが、
偏見というものの、源泉であるような気がしてならない。
prejudiceはそのままのことば、善悪を判断する前にある心情だからな。
解決するには、絶やすことのない交流しかあるまい。

 もうジジイなので、本はたくさん読んだ。
そして、そのほとんど全ては処分した。
それでも、出会ったそれらのなかでもとびっきりの本だったな。
幸せなめぐりあわせでした。

 あとがきのおしまいで、編集部にお礼を述べ、
さらに「またお読み下さった方々にもよくぞお付き合いいただいたと御礼申し上げたい。」と続ける。
 お礼を申し上げたいのは、わたくしの方である。

 そして、「私たちの社会はいま急速な転機を迎えつつあるのだろうが、「歴史」はその際つねに最良の教師であると思う。」と氏は控えめに述べる。
肝に銘じておこう、と誓うぞ。


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