ウイリアム・アダムス。
彼は宣教師ではないが、家康の信任を受けた。
彼がいなければ家康の外交政策はなかったと言われている。
横須賀育ちの市民ならば全員知っているはずだ。
小学校から習う。
京急線に安針塚という駅があるくらいだからな。
今回彼のことを調べなおして驚いたことがある。
彼の船が難破して日本に流れ着き、家康に重用されるも
帰国は許されず、泣く泣く日本で生活していたのかとおもっていた。
彼は本国へ何度となく手紙を書いた。
やがてそれは、国王のもとへ届くこととなる。
国王の親書をたずさえた船が日本へ着いたとき、
英国・日本両国から帰国することを認められたのだが、
彼はそれを拒否していたのだ。
つまり、様々な事情があったにせよ、彼自身の意志で日本とどまることを選択した。
やがて、家康のバテレン追放令など外国人に対して吹き荒れる排斥のなかで
彼は平戸に移り住み、そこで亡くなった。
自身で日本に住むことを選択していたなんて、知らなかったな。
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