2016年8月31日水曜日

父が帰ってくるとき  その5

 ボクの家には風呂がなかった。
歩いて1分のところの銭湯が、うちの風呂だった。
銭湯は同級生の友達の家でもあったので、
営業前の銭湯の脱衣場や材木のまき置き場などで、よく遊んだが
おばさんに叱られることも多かった。

 ボクはたらいの中で産湯を使った。
使ったのはボクだけではない。
父方の祖母が、一緒に生活しているとき、銭湯代ももったいないと惜しみ
風呂代わりの行水にずっと使っていたと、
母がさすが明治生まれの武家の血筋は
たいしたもんだねとよく言っていた。

 このたらいは、その後ずっとあったのだが、
アパートの建て替えの引っ越しのときに、捨ててしまった。
そしてボクが赤ちゃんのときから結婚して家をでるときまで、
何十年も自分ちの風呂のようにお世話になったのが、銭湯である。

 それほどに親しんだ自分ちのような銭湯に
ボクは一生、心の傷になるようなひどいことをしてしまった。

 銭湯の裏にある、薪になる材木置場で遊んでいるときのことだった。
ボクはマッチを手にしていた。
一体どこで手に入れたのだろう。今でもわからない。
材木の隙間に入り込み、材木の切れ端を集めてボクは火をつけた。
いきよいよく燃え出して、慌てて消した。
手のひらでバンバンたたいてけした。
心臓がドキドキして、立てかけてある材木の隙間からあちこちぶつけながら出た。
汚れた手のひらを立てかけてある材木でぬぐい、走ってその場所から逃げた。

 しばらくして、ボヤで大騒ぎとなり、
消火器でなんとか消し止められた。
銭湯のおじさんが見つけてくれて、火事一歩手前ですんだのだった。
ボクは、母に連れられてあやまりにいった。
母は、菓子折りと消火器の代金を持っていった。

 いつもなら、厳しくしかられたあとは必ず、手の甲の親指と人差し指の間に
お灸をすえられていたのだが、このときは叱られたものの、
静かな能面のような母親であった。
それは、こわいを通り越し恐怖であった。

 その日の夕方、いつものように一人で銭湯にいった。
ついさっき母と謝りに来た同じ脱衣場で、
そんなことはなかったかのような顔をして衣服を脱ぎ、
湯船につかり手足を伸ばしていた。

 そのときのボクは、少しでも反省しているような表情や態度があったのだろうか。
いくら小学校低学年のときの事とはいえ、今でも恥じ入ることをしたものだとおもう。
この歳になっても、ときたま思い出すほどに悔い、今でも頑張って営業している幼馴染のHちゃんに、申し訳ない気持ちでいっぱいである。



2016年8月30日火曜日

父が帰ってくるとき  その4

 パン屋さんにいった。
2斤が1本になった食パンを2本買った。
そんなに買ってどうするのかとおもった。

 今歩いてきた商店街のアーケードを戻り、パチンコ屋の前を通り交差点の信号を渡った。
肉屋へ向かった。
この肉屋さんは地元の有名店で、値段も良いが味も良い。
緑色のストライプの包装紙をわざわざ見せびらかすように、
商店街を歩くおばさんがいるくらいだ。

 そのお店お手製で自慢のハムをスライスしてもらい、半斤位の量を買った。
お正月やお客さんが来たときしか、食べることのできない高級ハムをこんなに買って
ドキドキしていた。
買ったからには、家でボクも食べることになるのだろうと想像するだけで
口の中でジワッとくるものが抑えられなかった。

 家に帰るには、急坂を登らなくてはならないのだが
父もボクも足取りは軽かった。
両手に持ったパンとハムの袋のひもが指にくいこんでいた。

 帰宅してすぐ、父はサンドイッチを作るぞと張り切っていた。
父が口に入るものを作ったのは、このときの1回っきりであった。
4斤ぶんの食パンにバターを塗り、ハムをはさむ作業が延々と続いた。

 途中、ハムが余りそうになったので2枚ずつはさむようにした。
それでもハムは余った。
ボクはあとでこのハムを楽しめるのが嬉しかった。

 どこかにでかけていた、母が帰宅した。
うず高く積まれたサンドイッチタワーを見て、ボクの方に
一瞬きつい視線を放った。
が、すぐに そうかい、そうかい、今日の夕飯はサンドイッチかい と
頭を上下に振りながら、無理に自分を納得させている様子であった。

 家族で頑張って食べても、残った。
ボクもたくさん食べたが、途中で飽きてきたので、和芥子をといてペーストにし
ハムにぬって食べ続けた。
日持ちがしないので心配したが、母は近所に配っていた。

 翌日、日曜日、父が出かけてから、
お父ちゃんは、1杯のお茶を飲むのに、やかんいっぱいに沸かす人だからねぇ
と、お茶をすすりながらひとりごとのように言っていた。
そのお湯を沸かしてくれたことも、一度だけだったらしい。


2016年8月29日月曜日

ヨコハママリンタワー

 登頂記念にもらった定規です。



小学生の時に、何度か階段を歩いて登った。
そのたびにもらったので、何本かあったのだが、これだけになってしまった。

 乱暴な普段使いだったので、結構傷んでいる。
てっぺんに行った方は、わかるだろうが、意外と揺れる。

 高校生の頃だったかもしれない。
港湾ストが大々的に行われたことがあった。
様々な船舶が、横浜港沖に集結するという。

 めったにないことなので、マリンタワーにでかけた。
大小様々な船で、海は埋め尽くされていた。
水平線まで見えるところは、船だらけであった。
統率した動きをしないと、衝突するのではないかと心配した。
写真機は忘れてしまったが、
今でもその光景は、しっかりと憶えている。

 息を切らして、その後登ったのはどこだったろう。
東京タワー、エッフェル塔か。
タワーではないが、パリの凱旋門も登りごたえがあったなぁ。

 横浜ランドマークタワーが開業して、すぐに出かけた。
列に並びながら、見上げたてっぺんは雲の中だった。
諦めて、違う日に出かけた。


 横浜駅東口にある高層ビルディングから眺望もよい。
最上部にあるお店からの眺めは絶景だった。
絵に描いたような夕焼けの中、
秩父武甲山から始まり、丹沢山系、富士山、伊豆駒ケ岳のシルエットが連なり、
いつまでも眺めていた。



2016年8月28日日曜日

父が帰ってくるとき  その3

 父の機嫌を損ねまいと、中に入ってパチンコをした。
父は
どんどんうて もっと速く どんどんうて とせかす。
そんな打ち方じゃ 玉は減らないぞっ

 父のその慌てぶりと、うてっ というその言葉で
軍艦マーチの大音響のなか、
左手で玉を込め、右手の親指でぱちんと弾きながら
兵隊で戦争に行った学校の先生が最近教えてくれたはなしを
ボクはおもいだしていた。

 敗戦まぎわ、日本はあちこちで空襲がひどくなっていた。
海沿いの山の中腹にひそんでいた十人にみたない兵隊を従えた小隊長の上空から
敵戦闘機が数機、機銃を掃射してきた。
小隊長の命令で銃剣を敵機に向け撃った。
しかし、すぐに弾を撃ち尽くし、兵隊たちは、小隊長の方をみた。

 敵は上空であるっ 貴様ら 俺の方を見て何になるっ

 小隊長は血相を変えて怒った。
何をしておるっ、弾がなくなったら、口で撃て
パン パン パンッ 
口で撃って撃って、撃ちまくれっ
そんな打ち方では敵機は撃ち落とせんぞぉ

兵隊たちは全員、大声でパンパンと言いながら
銃剣を上に向けて打ち続けた。

授業の合間にそんな話をしてくれた先生の表情は
悲しそうであったが、どこか飄然としていた。

 敵機は減らなかったが、パチンコの玉も減らなかった。
台の玉溜まりのところが盛り上がりだしてきていた。
ボクはタバコの煙が目に染みて我慢できなくなり、
充血してきた感じの両目を指差し父に見せ、外に出た。
先ほどと同じところでボクは息をととのえながら、また今川焼き屋を眺めていた。
さっきより人が増えてお店の前に人が並んでいた。

 おいっ ◯◯、
父が慌てている。
やらなくていいから、こっちへこいっ
父の台の前に行くと、さっきよりもっと箱が増えていた。
打っても打ってもちっとも減らない、
どんどん出てくる、この台、変だぞ。

 父にパチプロのおばさんから教わったことを伝えたかったが
ボクはだまって、お店のお兄さんを呼びに行った。
父はただパチンコを楽しみたかっただけだったのだろう。
もうけることなんて、これっぽっちも考えてない。

 ボクのお小遣いよりもずっと多いお金を手にした父は、店を出ると
ちょっと立ち止まって、何か思いついた様子だった。
ボクはまた悪い予感がした。
頭がまだもやもやし、喉や目もヒリヒリしていた。


2016年8月27日土曜日

父が帰ってくるとき  その2

 ボクはそのとき中学生だったとおもう。
パチンコ屋に入る父に、ボクは外で待ってるからといったら
父はエッと意外な顔をして、
もくもく立ち込める煙草の煙と大音響の軍艦マーチの中へ消えていった。
マーチのリズムに歩調を合わせてしまっている、父がおかしかった。

 お客さんが出入りするたびにタバコの強烈な刺激臭と耳につんざく音を
あびながら、ガラスドアーの外の脇につったっていた。
そのパチンコ屋の斜向かいに、今川焼きを店頭で焼いているお店があり
ボクは手先を器用に動かしながら今川焼きを焼いているお兄さんの作業を
遠目にボンヤリとながめながら待っていた。

 突然、ガラスドアーが開き、煙と音の中から
おいっ と父の声が聞こえた。
酒はまだ飲んでないだろうに、顔が紅潮している。
お前もやれっ
入ってきて一緒にやれっ と父が叫んでいる。
父の強引なその声に気圧されて、しかたなくボクは入った。
耳が痛く煙にむせ、すぐに頭がガンガンしてきた。

 父の台の前に、玉が山盛りになった箱が何箱もある。
台の棚の上に数箱、足元にはもっと沢山の箱があった。
あっ これは大当たりしたんだ と
中学生のボクにでもすぐにわかった。

 パチンコのことはすでに、2軒隣の親しいおばさんからよくきいていた。
おばさんはパチプロだった。
買い物に出掛けて、最初にパチンコ屋で稼ぎ
そのお金で買い物をするという、うわさであったが
ボクはそのおばさんからそのことを直接きいたことがある。
おばさんは眉毛をビシっとさせて
プロじゃあないけど夕飯の買い物はここで稼いでからじゃないとダメね。
◯◯ちゃん(ボクの名前)にも、教えてあげるから
今度一緒に来なさい。
ボクはまだ子どもだからと断ったのだが、
何いってんの、早くからやらないとダメに決まっているじゃないの と
すぐにでも、手を引いて連れて行かれそうな勢いであった。

 そんなおばさんも買い物帰りに
緑色のネギの葉だけが買い物カゴから見えていたことがあった。
ボクが目をあわさないように笑いをこらえて、
通りすぎようするとわざわざボクの方によってきた。

 鼻眼鏡の目玉をギロッと上目遣いにし
こんな日もあるのよ 
と、残念そうな低い調子の声で買い物カゴの中を見せてくれた。

 ネギだけだとおもっていたボクは驚いた。
商店街では有名ドコロの肉屋のロゴがはいった
牛肉だと思われる緑色の線が入った包装紙にくるまれた大きな物が
カゴの底に横たわっていた。


2016年8月26日金曜日

やっとテレビを買った

 この機種です。 
東芝 32V型地上・BS・110度CSデジタル
ハイビジョンLED液晶テレビ(別売USB HDD録画対応) LED REGZA 32V30

 32型を調べたら、それほど種類は多くなく、ネット情報だけで決定。
ついでに、録画用のハードディスクも購入。
これでようやく数年前に作ってあったテレビ台の出番となりました。
棚が必要そうなので、2時間位かかってダボ止めでつけた。
板は端材でちょうどいいのがあったので、パイン材の一枚板。
オイルを塗ったけど、板がよく乾いていたのかとてもオイルを吸う。





 転倒防止のために、取説には天板にネジで止めろとあるが
なんて乱暴な方法をするんだろう。
テレビ台の天板に穴を開けたくないのがたいていの人の感覚なんじゃないの。
取説を書いた方、それを点検した東芝社員の方、ご自分で何千円か何万円して買った
テレビ台の天板に穴開けますか?

 で、こんな工夫をした。
見た目の大きさからはエッとおもうくらい軽かったので、
額のフレームみたいなスタンドと、天板をクランプした。
画像からわかるとおり、工夫でもなんでもありませんね。



 ただ、スタンドはプラスティック製なので、強くクランプすると割れる。
ほどほどで締める。


 興味は特にないんだけど、とりあえずネット接続もしてみた。
無線LANはいろいろやったけどダメ。
有線LANはあっさり接続して、どんなことができるか試験中。

 BSアンテナも購入して、試してみたけど
ちょうど電波の受信方向が山と木々にかかってしまっているためか、
接続できない。
ご近所さんのアンテナ方向を見ると、意外とアバウトなので受信できるとおもって
アンテナ買ってしまったんだけど、ダメでした。
残念。


(追記)
無線LANがつながった。
原因は
・SSID名にアルファベットの大文字小文字の区別がないとおもったらあった。
・ルーターにMACアドレスのフィルターがかけてあるのだけれど、先日登録したはずなのに、反映されてなかった。登録手順をきちんとしなかったためのようだ。

 どちらも、初歩的なミスで情けない。
込み入った手順でやっと解決するっていうこともあるけど
9割は今回のような初歩的な単純ミスが多いような気がする。
丁寧に思い込みはなくしてしなくちゃいけないね。

いちおう
めでたしめでたし
だ。




2016年8月25日木曜日

父が帰ってくるとき  その1


 父が帰っているかどうか、玄関のドアを開ける前から
ボクはわかるようになっていた。
匂いでわかるのだ。
その匂いは説明できない。
はずれたこともない。

 土曜日、父は横浜に帰ると、ふるさとの開放感からか
外人墓地から山の手を尾根沿いにずっと歩いて散歩したり
今日はイセブラだといって、伊勢佐木町までタクシーを使ったりした。

 野毛もずいぶんと歩いた。
薄暮をすぎると、吉田橋までの通りの両側には夜店のテントがびっしりと並び、
それらのお店のアセチレンバーナーの灯りのゆらめきと音と匂いは今でもおぼえている。
東京オリンピックのために整理されてしまい、今ではリバーサイドバーとなって
川沿いにゆるやかなカーブを描いて2階建ての店にまとめられてしまっている。

 また、日曜日の午前中に鎌倉や北鎌倉を楽しみ、昼食後はスカ線で
ボクは保土ヶ谷か横浜で下車し、父はそのまま仕事に戻っていった。
四季折々に訪れているはずなのだが、鎌倉・北鎌倉は茶色いというイメージしかない。
鶴岡八幡宮や円覚寺の印象なのだろうか。

 その日の土曜日の午後、ボクの帰りを待っていたかのように
近くの商店街をブラブラしにいこうと、誘われた。

 その商店街は規模が大きく、
東側のN商店街から進み、以前は市電が走っていた大きな交差点をとおり、
F商店街・NK商店街と3つの商店街が連なり、最後は国鉄の駅につながっていた。
人通りのたえることはなく、そろわない品物はなかった。
月に数度、縁日がたち、大変な賑わいであった。

 横浜の大桟橋に船が入ると、体のでかい金髪の船員さんたちが
靴箱をたくさん、蕎麦屋の出前のように肩に沢山積んで買っていた。

 その商店街にパチンコ屋があった。
ボクは商店街への途中、坂を下りながら、イヤな予感がしていた。
横浜では、気分も開放的になって羽根を伸ばしたかったのだろう。
父は一直線にパチンコ屋へ向かった。


2016年8月24日水曜日

ロワ・ジャパンのバッテリーを返品した

 MacBookPro_2.4_2.2GHz__Late_2007のバッテリーで
初回で購入したものは、充電回数29回で、交換修理の表示が出た。
保証期間3ヶ月は過ぎていたが、返品の郵送料金のみ負担で、新品と交換してくれた。

 今度はそのバッテリーが、バッテリー残量が少なくなったのメッセージなしに、
いきなり電源が落ちてしまい、交換をお願いした。
使用初回からいきなり電源は落ちていたのだが、慣らしていくうちに
治るのではと考えたが、甘かった。

 ロワ・ジャパン担当者から、品物の交換ではなく返金で処理する旨のメールがきた。
バッテリーは諦めることにしました。
9年前のPCですから、もうこれ以上お金をかけて整備することもないかと決めました。
AC電源でデスクトップ機のように使います。
それでも、Yosemite+Windows10で使えるんですから良しとします。


2016年8月23日火曜日

Bloggerにラベルを追加した

 TATSUO IKURAさんの「Bloggerの使い方」にお世話になりました。
ありがとうございます。

 ラベルは最初から用意はしなかった。
何ヶ月かしたら、雑文の傾向がわかってくるのではないかとおもい、
ある程度のまとまった量の文章から、分類の見出し言葉(ラベル)を考えた。
結局半年後になってしまったが、方法としては正解だったようだ。
大変かとおもったが、「Bloggerの使い方」のおかげで、簡単にすんだ。

 タイトル一覧から同じラベルのものを選んでチェックを入れて、
一度にラベル名をつけるという方法が便利だったが、
これは、ページ単位でしか行えない。
注意が必要です。
それでも、これが一番わかりやすくて早い。
ラベルをつけるとやはり、見通しがよくなります。
右下の方に表示されています。

2016年8月22日月曜日

Windows10のSnippingToolに遅延メニューができた

 Windowsの画面コピーはWindows2000前後の時には、
もっぱらプリントスクリーンでコピーして
必要なところを切り取ったりしていたが、量が多いときはこれが結構面倒くさい。

 そのうち、フリーソフトのWinShotを使うようになった。
こんなに優れたソフトが無料とは驚いたし、今でも重宝している。
この画像はWinShotのメニューをSnippingToolで画面コピーしたもの。



 XPやWin7の頃になって、システムに付属でついてくるSnippingToolを知った。
職場のまわりの人たちは、全く使ってなかったし、こんなのが付属していることも
知らない人がほとんどだった。
これを使い出してから、WinShotの出番が減った。
両方とも使い方は簡単なのだが、SnippingToolの操作感がわたしには馴染んだ。
また、コピーした画像に直接、矢印やコメントを記入できるのがよい。

 しかしSnippingToolはプルダウンメニューの操作がある画面のコピーをとろうとすると、
プルダウンメニューが元に戻ってしまってできなかった。
なので、フリーソフトとこのツールの両方を使い分けていた。

 その改良のためだろう、SnippingToolのメニューに遅延メニューが追加された。
なるほど、今までコピーできなかった状態の画面コピーがとれるようになった。
便利だ。

 ところが、SnippingToolの遅延メニューのプルダウン画面をコピーしようと操作するのだが
これが上手くいかない。
フリーソフトのWinShotなどやプリントスクリーンで編集すればよいのだろうが、
ここはSnippingToolにこだわりたい。

 こだわって試みた結論は、できなかった。
なので、WinShotで画面コピーした。



 それにしても、WinShotは優秀なアプリだ。
歴代のWindowsすべてをカバーしWindows10でも動く。
作者さんには、感謝してもしきれない。
ありがとうございます。

2016年8月21日日曜日

エンジュの汁の続き

 あれからほったらかしにして、様子を見ていたが
汁?はさらに表皮に近いところから、噴き出し続けている感じだ。
写真でもハッキリ映るくらいになってきた。

 


どうやら虫ではないと、自信はないが、そうおもう。
どなたか、同じような症状の方教えていただけませんか。


2016年8月20日土曜日

PC画面の文字が小さすぎて降参だ

 MacBookProEarly2011Win7(BootCamp5)をWin10にして、画面の文字が小さすぎて見づらい。
アイコンの大きさはこのくらいでOKだが、あちこちで使われるフォントの小ささに閉口した。
今までにもいろいろ設定してきたのを思い出しながら、いじくりまわした。


 画面の文字を大きくして見やすくする方法はいくつかある。

1)解像度を下げる

使っているPCの画面の比率にあわせないと、画面一杯に使えない。
アイコンやすべてが大きくなって、画面から一度に得られる情報量が減り、
スクロールの回数が増えてしまう。
解像度を下げたために、文字やアイコンがなんとなくボンヤリする。
  画面全体もしまらない。




2)「テキスト、アプリ、その他の項目のサイズを変更する」のスライダーで調整する

  スライダーで微調節できるわけでなく、スライダーを動かすとわかるが、
段階的にしか調節できない。
やはり、すべてが大きくなって、使いづらい。





3)システム>ディスプレイ>ディスプレイの詳細設定>テキストやその他の項目のサイズ調整>
 テキストサイズのみを変更する のプルダウンメニューで選択する

選択できるのは7項目あるが、全部の文字サイズを変更した。
9ポイントが既定だが、すべてを11ポイントに変更した。
解像度や、アイコンの大きさなどは変更されずに、文字サイズのみなので画面全体の
情報量も大きくは減らない。
解像度は下げてないので、画面全体のクッキリ感は失われていない。




 ブラウザーはエディターや他のアプリと同じように文字のサイズの変更は簡単なので、問題はない。
これでいくらかましになり、見やすくなった。
「△ポイント以下の文字は、△のポイントを使う」みたいなチェック項目があれば便利なのにとおもうが
探せばあるかもね。




2016年8月19日金曜日

レンズキャップに木象嵌

 昨日の新聞で紹介されていた、木象嵌細工職人 望月貴文さんの記事、
早速、ブログ「フィレンツェノッポの職人修行」を拝見させていただいた。
フィレンツェからの小旅行の写真、乾いた空気の質感が感じれら、懐かしかった。

 2016年7月28日木製のレンズキャップのブログはうなりました。
レンズキャップを木製でなんて考えたこともなかった。
望月さんにお断りなく、この写真をアップさせていただいたが、すばらしい。



写真機自体も好きな方にはたまらない物になるはずです。
レンズキャップをつけたりはずしたり、
キャップの両端のバネがきいたところを、親指と人差指ではさみ、ぷにゅぷにゅしてみたり、
レンズキャップの象嵌部分の面を、ハーッと息を吹きかけて、セーム皮でみがいたり、
結局、家の中で使って、ひとり悦に入って棚などに飾っておくということに
なっちゃうのかなぁ。
イイなぁー これ。



2016年8月17日水曜日

MacBookProEarly2011Win7(BootCamp5)をWin10に戻した

 Win10にしてからWin7に戻してあったMacを、Win10の最新版にアップグレードした。
Win7のUpdateがおかしくなったので、
それを修復するならWin10にアップグレードしたほうが簡単なような気がしたまでです。



 結果はそのほうがよかった。
2時間ぐらいでアップグレードできて、以前のようにハングアップすることもない。
BootCamp5にしたのが効いているようだ。
クリーンインストールではなく、Win7で動いていたアプリを引き継ぐ形でしたが、
10にしてもすべて動いている。

 タッチパッドで行う上下の動きが、WinとMacでは逆なので、レジストリーをいじって修正。
日本語入力の切り換えで英数キーとかなキーが使えるように設定したのだが
機能しなかったのでデバイスを調べると、Apple Keyboard がインストールされてない。
BootCamp5の中の、AppleKeyboardInstaller64.exeを展開し、
KeyMagic64.infを右クリックしてインストールした。

あとはプライバシーの設定をしたくらいで、使っている。
こちらのPCはディスクの容量に余裕があり、メモリーも16GBあるので、安心。
まだ、復元ポイントが作成できるかどうか試していなかった。
やってみなくっちゃ。

 あれ、やったらこのとおりのエラーだ。



windowsの専用機を使っていた時は、普通に復元ポイント作成ができていたような気がするけど
BootCampdのWin7や10ではこのエラーが多いな。
ググったり、あれこれ調べて試したけど、ダメだった。
根が深そうな気がするので、止めた。

 まっ 他は問題なく動いている感じなので
ひとまず
めでたしめでたし
だな



2016年8月13日土曜日

エンジュの板から何か噴き出している

 なんだろう?
白い粉みたいのが、エンジュの白い部分から噴き出している。
放っておくと、床に粉みたいのが落ちてたまっている。


   

 皮は既に取り除いてあるのだけれど、虫かもしれないと
噴き出しているところを、虫眼鏡で確かめてもよくわからない。
生木に近い状態で買って、乾燥中で、何か汁みたいのに混じって粉が噴き出している?
いや、やはり虫の可能性が一番高そう。

 でも、ケヤキなんかで虫食いの処理はしたことがあるし、
虫食いだとちっちゃい穴があるはずだけど、それが見つからないんだよね。
もうちょっと様子見してもいいんだけど、そうすると虫に食われ続けるって言うことだし
困ったなぁ



 画像ではわかりにくいけど、一旦掃除機できれいにした数日後の状態です。
片面だけ噴き出し、耳側からも噴き出している。数カ所から。
虫じゃなくて、エンジュの汁のような気がしてきた。




2016年8月12日金曜日

Windows Defenderを使ってみることにした

 Windows 10 Anniversary Updateして、いくつかの設定をしたついで
トレンドマイクロウイルスバスター クラウド をやめて、
Windows Defender を使ってみることにした。

 トレンドマイクロウイルスバスターは3年契約で3台フルに使っている。
MacBookPro_2.4_2.2GHz__Late_2007 は2GBしかなく、なるべく軽くしたかった。
この機械のWindows10では、ネット通販やネット銀行などはしないし、
メールの設定もしていない。

 PCを常時監視してウイルス遮断する「リアル保護」とファイルの「スキャン保護」の二つの機能しかないが、この機種の普段の使い方では、Windows Defender で十分そうな気がしたまでなんだけど、
やっぱ、ちと不安・・・
しばらくは、気にしながら使ってみることにしよう。


2016年8月11日木曜日

Windows 10 Anniversary Updateうまくいったみたい♪ 

 MacBookPro_2.4_2.2GHz__Late_2007でうまくいくか不安だったけど、
2時間半弱くらいでアップデート完了。
心配していたWiFiのデバイスが案の定、最新のものにインストールされてしまっていた。
なので、つながらない。
でもこれは、さんざん手こずったところなので、保存してあった古いドライバーに変更して、
再起動で、つながった。
デバイスが変更されないように設定してあったのだけれど、ダメでした。
今回も、すぐに変更されないよう設定しなおしたけど、どうなるかは未定だね。

 9年前の機種で、さらにBootCampという変則的な使い方でも、
最新のWindows10が動いているところがおもしろい。
アプリだって、Office2007です。
エクセルもワードもなんともない。
日本語入力との相性もまだ使い込んでないけど問題はなさそう。
エクセルで罫線入力のアドインを使っているのだけれど、そのマクロも動く。
プリンターだって古い。Canonの865Rです。
Windows7のときより、反応がよく快適に印刷できてます。

 その他、windows7で使っていた古いソフトもOK。
タッチ入力やペンが使えないけど、これらは別に今のところ不要なので問題はなし。
でも、タスクバー右クリックで「Windows Ink ワークスペースボタンを表示」にチェックして
タスクバー右側にあらわれるアイコンをクリックすると、
付箋やお絵かきソフトみたいなのが使える、定規も表示されて、何に使うんでしょう。

 既にインストールした人たちのブログなどを見ると、いろいろ問題はあるようだ。
システムの保護が無効に戻る。(アプデートしても復元ポイント作成でやはりエラーがでてダメ)
デバイスが書き換えられてしまい、機能しなくなった。(↑のWiFiがそう)
MS-IMEで最初からクラウド候補が有効になっている。(暗号化して送信されてもやはり不安)
他に、いくつもあるようだ。

 アップデートした人は、
最初に設定すべきことをよく調べて、対処していたほうがではなく、対処しておくべきです。
強くおすすめします。


 このコンピュータ、右のスピーカーが故障して音がでない以外は、普通に使えてます。
Yosemiteも動いているし、コンピュターはこうあってほしいね。
ネックはメモリーが2GBという少なさだけだな。
めでたしめでたし。


2016年8月10日水曜日

宝石店のおじちゃん

 炎暑のホアヒン、涼をとるのに街なかの古いビルを利用した。
その中に宝石店があった。

 何度かひやかしに店をのぞくのだが、
昼寝でもしているのか、商売ッケがないのか
誰も出てこないことがあった。

 やっと出てきたのは、
髪を七三に分け、こざっぱりした、紳士一歩手前のおっちゃん風のおじちゃん。
ボクよりもずっと年配である。
話好きらしく英語が話せるので、あれこれとおしゃべりをした。

 ショーウインドーにいろいろな色のきれいな石が並べられているのだが
その黒い石を見せてくれないかとお願いすると
おじちゃんはそれを出してボクに見せながら、
遠くを見るように店の天井のほうに目をやりながら、話しはじめた。

 第二次世界大戦のときだ。
日本軍はこの先の山の国境線あたりで英国軍と戦ったんだ。
激しい戦闘が繰り広げられたぞ。
両軍とも沢山死んでな。
砲弾があちこちでドッカーン、ドッカーン、ドッカーンだぞ。

 山肌の形が変わってしまうくらい、両軍ぶっ放した。
両軍の兵士が退去してしまうと、
間髪入れず、地元の人間がどこに潜んでいたのかとおもうぐらい
あちこちから現れてくるんだ。

 砲撃で崩れた岩ゴロゴロのところに
何をしに来るのだとおもう・・・

 この店にある、並べてある石を求めて集まってくるのさ。
岩の中にある、宝石を探しに集まってくるのさ。
戦闘の行われた山は、原石がたくさん見つかるところだったという訳さ。

 うちは親父がこの商売を始めたのだけれど、
戦闘地で荒れ果てた山をまわっては、
コツコツ原石を集めて生きてきたと言っていたよ。
ダイナマイトなんか使わなくたって、原石が眠っている山を
ドッカーンってやってくれるんだから、
助かったねぇ、ってさ。

 タイの人はさ、日本にそんなに悪い感情はないんだよ。
日本は負けたけどさ、見事に復興して頑張ってるじゃないか。
バンコクや他のタイのところにも、たくさん援助してくれている。
たいしたもんだよ。



 ひとしきり、そんな話を聞いた後
その砲弾のドッカーンで、思い出したことがあるんですよと
今度はボクが話しだした。

  やはり戦争の時の話なんです。
戦争中ではなく戦争が終わってすぐの話なんですけど。
それも山の話じゃなくて、海の話なんです。

 おじちゃんは海の話と聞いて、体を乗り出してきた。
東京は知ってますよね、

 おじちゃん大きくうんうんとうなずく。
東京は東京湾というこんな風な湾があるんです
といって、ボクは両手の人差し指と親指で縦長の輪を作ってみせた。
両手の親指のところを少しはなして、
ここのところが東京湾の出入り口になります。

 ここのところは敵の侵入を防ぐために、と言いながら
ボクは両方の親指をピクピクと動かした。
陸にはあちこちに砲台を作り、
海の中には機雷をたくさん設置したんです。

 おじちゃんは、ホォーっと言いながら
ボクの親指あたりを伸ばした手で指差しながらフムフムときいている。

 米軍がこの後東京湾に入れないと困りますから
米軍の指示で、機雷解除を日本の海軍に命じたわけです。
手っ取り早く解除するには、設置してある機雷を爆破させるのが一番なんです。
爆破と聞いたとたんに、おじちゃん、目が輝きだした。

 機雷爆破当日、爆破予定の海域は船一艘なく静まり返ってました。
遠くに停泊している船から、爆破合図の
ウーーーッという甲高いサイレン音がなり、ほどなく
ドッカーン、ドッカーン、ドッカーンっと海柱が連続して立ち上がったんです。

 おじちゃんは、さっき自分で話したドッカーンがでてきたので、
今度はどうなったのか早く聞きたくて、続けろ続けろとせかす。

 海柱がなくなり、海面が穏やかになりかけたと同時に、
地元の漁師たちの船が一斉にその場所めがけて漕ぎだしんですよ。

 何しに行ったとおもいます、おじちゃん?

 魚ですよ、さっかっなっ!
機雷の爆破の水圧で、魚が気を失って、大量に海面に浮かんだんです。


 おじちゃんは英語で何かブツブツ言っている。
よく聞いてみると、
ということは、ホアヒンの沖でもダイナマイト投げ込めば、魚がたくさん採れるっていうことかぁ
ダメですよ、おじさん、そんなことしたら・・・
おじさんは大声で笑いながら、じょ、冗談だよ・・・
顔は笑っていたが、目は真剣だった。

 そのあと、ボクは黒い綺麗な石を求めた。
おじちゃんは、今日は楽しい日だと言いながら、おもいっきりまけてくれた。

 ホアヒンのあのビルは、今ではガラス張りのモダンな建物に建て替えられたようだ。
でも、ビルの中は、あの時と同じように
ちょっと寒むすぎるくらいの冷房がきいていることだろう。


2016年8月9日火曜日

8月4日は箸の日でした


 8月4日ラジオで
今日は箸の日ですとアナウンサーが報じていた。
単純明快そのまんまの日にち設定なのがいいね。

 箸かぁとぼんやりしながら
そう言えばタイ語でなんて言ったけと
これまた、ボンヤリとその言葉が出てくるのを待ったが、不発であった。

 ネットで調べると、すぐに思い出し
その言葉の響きもよみがえった。
タキアップ。
日本語のカタカナをそのまま発音した響きがそのままタイ語の発音になる。

 この言葉を教わったのは
ホアヒンという港町、もうかれこれ十数年前になる。
レストランとは呼べないような、安くておいしくて人気のあるお店のおばさんに教わった。

 この店の人気メニューに火鍋がある。
豚肉などの肉系や港町から仕入れた海鮮系があるが、
高温多湿のなか、テーブルに乗るような素焼きの簡易火鉢に真っ赤っかな炭火で
グツグツと鍋を楽しむ。
ほとんどの人がこれを注文するので、店の中はサウナの一歩手前という感じだ。



 店の場所は四ツ筋の一角にあり、店は開け放たれているので、空気はかろうじて流れるし、
カタカタと音を立てて首を振るヨレヨレの扇風機は、
熱い空気を店中にふりまいているだけだ。

 昼時は屋台みたいな店が数軒ここで営業し、
夕方以降は、昼間とは異なる料理人が入るようだ。
その夕方には、ボスと思われるおじさんが、店の奥で目を光らせ、
テキパキと従業員に指示を出している。
このボスは、昼間にも店の奥にいることがあり、
どうやら、昼は屋台に店を貸し出しているようだ。
このボスは、従業員に指示をだすだけで、自分では配膳のサービスはしない。

 あまりに混んでいて、ビールを注文しにくいとき、
ボスに合図してビールを直接お願いすると、すぐに持ってきてくれる。
ワインクーラーが用意できる時は、それと一緒にサービスしてくれたこともあった。

 通い続けて顔なじみになると、店の人達の対応も変化してくる。
日本でもそうだが、要するに融通をきかしてくれるのだ。
混んで行列ができているときなど、それとなく目配せして
店の隅の方に、椅子を無理に用意してくれたこともあった。

 現地の人が怪訝な目を投げかけるのだが、
予約の人だとも言っているのだろう、
文句はでなかった。

 ある時、道路側のところで食事していると、
日本の焼き芋売りよろしく、
マンゴスティンを山のように積んだ行商の軽トラがきた。
スピーカーから
1キロ幾ら、2キロなら幾ら、3キロでは幾らと聞こえてくる。
これくらいのタイ語なら大丈夫だ。

 混んでる店の従業員たちの目が一斉に軽トラに注がれるのがわかった。
安いのだ。
従業員がお客さんをほっぽり出して、みんなレジ袋一杯買っている。
ボクも2キロ買った。
ボスが笑っていた。
いつの間に買ったのだろう、いつものボスのところの机の下から
マンゴスティンいっぱいのレジ袋を見せてくれた。

 その店は、フォークとスプーンが通常だされるのだが
その日のボクは箸をお願いした。
そうしたら、顔をクシャクシャにしたおばちゃんが、
親しみのこもったとびっきりの笑顔で持ってきてくれた。

 タキアップ、タキアップと
数度その言葉を繰り返し、教えてくれた。
さらに、
この浜の先にお寺があるだろう、カーオ タキアップ、
この言葉も数度繰り返し、
箸のお寺だよ と教えてくれた。

 ボクが覚えたばかりの
タキアップを何度か発音すると
おばちゃんはさっきよりも、もっと顔をグシャグシャにして
喜んでくれた。

 翌日、自転車で白砂の浜辺を走り、カーオ タキアップへ向かった。
浜辺に沿って国道もはしっているが、
走りにくい砂地をこいだ。
目視できるとんがったところにあるのだが
炎天下、なかなか距離が縮まらない。
浅瀬を渡り、タイヤが砂にもぐってしまうところはかつぎ、途中日陰で休み
汗だくになりなんとか、着いたときはへばっていた。

 カーオ タキアップの高台に登り
いま来た、ホアヒンの浜を振り返った。
吹きあげてくる浜の風は心地よく、
目にうつる景色は優しく心穏やかにしてくれた。

 猿が、犬を押さえつけて毛づくろいをしていた。
犬はされるがまま、気持ちようさそうな表情をしている。
その脇で、金ピカでデカイ仏像が沖に向かってたっている。
道中の安全を祈った。




2016年8月8日月曜日

ここ二日間の高温

 台風の影響か、小雨が降った。



 日本のあちこちで40℃近くの気温は、もうじき亜熱帯日本となり、
台湾と変わらなくなってしまいそうだ。
北海道は米が酪農製品を上回り、今までの米生産分布が大きく変わるだろう。

 この二日間、確かに気温は高かったが、
体にまとわりつくような、ねとねとベッタリな湿気は感じなかった。
病気をして、現在も以前の体調の6割程度しか回復していないが
体質が変わってしまったのかもしれない。
まぁ、27〜28度に設定したエアコンの部屋でほとんど一日を過ごしているので
外の状況にうとくなってしまっているのだろう。

 体の調子が幾分良い時に、刈払い機で8分刈りの虎刈り状態にした庭が
このお湿りで元気を回復し、スクスク伸びそう。
夏は雑草との戦いだな。


2016年8月5日金曜日

飛行機の国際線の乗り継ぎ案内みたいのがあるか調べてみた

 あった。
http://www.skyscanner.net/



 海外旅行は以前ずいぶん楽しんだけど、こんな便利なサイトがあるなんてちっとも知らなかった。
今までは、目的地の近くの空港から、
成田か羽田まで飛んでる乗り継ぎ空港を調べてという方法だったけど
このサイトなら、出発・到着時刻、飛行時間、運賃が一度にわかる。

 とりあえず、メキシコシティを調べた。
太平洋を越えて、飛行路線が結ばれると、もう気持ちはメキシコシティだ。
やはりずいぶんかかるなぁ。
まっ、こんなもんか。



 なんで、調べたかというと
20代の頃に、貧乏海外旅行を何度かしたことがあり、
そのときに、たとえば
羽田を8月5日の朝10時に出発したら
地球上のどこかに
出発日と同日の同時刻に着く場所がどこかにあるはずだ
と考えたのがずっと、頭のなかにこびりついていた。



 飛行機にのるたびに、座席に備え付けの航空会社の路線図であたりをつけると、
どうやら、メキシコシティあたりがこの条件を満たしていそうだと推理した。
しかし、これは何十年も前の条件で考えたことで、
現在ではあてはまらないかもしれない。

 しかし
その後は何十年とこの問題はほったらかしにしてしまっていた。
このサイトの結果を見ると、全然満たしていないことになるが
同日は無理?として、同時刻はどこかにあるはずだ。
朝10時に出発して、到着したら同じ朝の10時
なんとなくおもしろじゃないか

 さて、2016年現在、この条件の空港はどこだろう?




2016年8月4日木曜日

シンワ15cm直定規を衝動買いした


 15cmのありふれたステンレス製の直定規、
特売期間だったんで洗剤を買いに行ったついでに
衝動買いしました。
270円。



 すでに15cmは2本あるのですが、それらは片方が0.5ミリに目盛ってあって
細かすぎて見にくいんです。
これって目盛っているとき、結構うっとうしい。

これは目盛りが両側共に1ミリきざみなんです。
あと、定規の丸穴が開いている方の端が少しまくれていて、
取りやすい工夫がしてあるのだけれど
これよりも、両側が同じ目盛りのほうがありがたい。

2016年8月3日水曜日

シソがたくさんで元気、でもバジルは・・・


 シソが元気に育っています。
食べても食べても次々と葉をつけてくれてます。



虫達も玄関先までは遠征しないみたいで、虫食いはほとんどなし。
去年のたった一本のシソから、その種が散ってこんなになって、
間引かないといけないかなとおもったまま、放っておいたらこんなになりました。
ここまでは、めでたしめでたし。

 しかーし、
バジルが元気がない。



先日この大きさになってからはじめて、ハイポネックスをあげた。
1週間に1回くらい肥料やって様子を見てみましょう。
トマトのサラダやトマトソース系のパスタには
このスイートバジルかかせないからなぁ。