2016年8月25日木曜日

父が帰ってくるとき  その1


 父が帰っているかどうか、玄関のドアを開ける前から
ボクはわかるようになっていた。
匂いでわかるのだ。
その匂いは説明できない。
はずれたこともない。

 土曜日、父は横浜に帰ると、ふるさとの開放感からか
外人墓地から山の手を尾根沿いにずっと歩いて散歩したり
今日はイセブラだといって、伊勢佐木町までタクシーを使ったりした。

 野毛もずいぶんと歩いた。
薄暮をすぎると、吉田橋までの通りの両側には夜店のテントがびっしりと並び、
それらのお店のアセチレンバーナーの灯りのゆらめきと音と匂いは今でもおぼえている。
東京オリンピックのために整理されてしまい、今ではリバーサイドバーとなって
川沿いにゆるやかなカーブを描いて2階建ての店にまとめられてしまっている。

 また、日曜日の午前中に鎌倉や北鎌倉を楽しみ、昼食後はスカ線で
ボクは保土ヶ谷か横浜で下車し、父はそのまま仕事に戻っていった。
四季折々に訪れているはずなのだが、鎌倉・北鎌倉は茶色いというイメージしかない。
鶴岡八幡宮や円覚寺の印象なのだろうか。

 その日の土曜日の午後、ボクの帰りを待っていたかのように
近くの商店街をブラブラしにいこうと、誘われた。

 その商店街は規模が大きく、
東側のN商店街から進み、以前は市電が走っていた大きな交差点をとおり、
F商店街・NK商店街と3つの商店街が連なり、最後は国鉄の駅につながっていた。
人通りのたえることはなく、そろわない品物はなかった。
月に数度、縁日がたち、大変な賑わいであった。

 横浜の大桟橋に船が入ると、体のでかい金髪の船員さんたちが
靴箱をたくさん、蕎麦屋の出前のように肩に沢山積んで買っていた。

 その商店街にパチンコ屋があった。
ボクは商店街への途中、坂を下りながら、イヤな予感がしていた。
横浜では、気分も開放的になって羽根を伸ばしたかったのだろう。
父は一直線にパチンコ屋へ向かった。


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