2016年5月31日火曜日

MusicStand の首部分について考

 わたしの譜面台は大きく分けて次の4つの部分に分けられます。
譜面をのせる台、その台の上下左右動作と固定する首部分、首と脚をつなぐ胴部分、そして脚です。

 その首部分の動きと固定方法はいろいろな方法があります。
わたしのは4つの角度で固定できるようにしています。
ネジ式にして好きな角度で固定するようにもできましたが、自分で使った感じから3or4つの角度で固定できれば充分でしたし、シェーカー家具の本の中にあった Music Stand を参考にしたことにもよります。

 先日ふとしたことから、この首部分に自由雲台を使ったらどうだろうかと考えました。
とりあえず、手持ちの簡単な三脚に欅の端材を取り付けてみました。
グラグラしないし、しっかりと取り付けることができます。



 これなら譜面台ではなく、簡単なテーブルだって大丈夫そうです。
ネットで調べると、タブレットやスマホの台、プレゼンなどでよく使われるプロジェクターの台などいろいろ販売されています。
しかし、結構高額です。

 適当な板材にネジ穴を作って雲台にのせればいいだけですから自分で作ったほうが安上がりです。
雲台のネジは国際規格で大ねじと小ねじがあり、小ねじは 1/4W 20 のインチねじです。
堅木ならば大丈夫かとはおもいますが、ネジ一つで固定しますのでちょっと不安で、インチサイズの鬼目ナットがあるはずなので現在物色中です。
または、2ミリ厚のアルミ板を譜面台の取り付ける部分にはり、そこにネジを切るようにすれば丈夫そうです。

 しっかりと固定できることがわかったので、ハクバ自由雲台BH-1を注文しました。
他にも頑丈そうで見た目が良いのがたくさんありましたが、まずは価格が安いものから試してみます。



 首部分の候補としては、自由雲台以外に、フレキシブルな蛇腹のようなものもおもしろそうです。
これは実際にスマホスタンドとして販売されています。
というか、机で使う蛍光灯スタンドなどの明かりには数十年前からありました。

 既成品の金属やプラスティックで作られた家具などに、
部分的に木工で置き換えるようにすると和洋折衷ではありませんが、日常に使う中でどこか和む雰囲気になるような気がします。



2016年5月30日月曜日

アトムが泣いている

 力強く空に向かって飛んで行くアトムの足元のプレート写真が
日差しや風雪でかすれてしまっています。



アトムは泣いています。

 プレートの写真表面がかすれてしまっていて、手塚治虫さんの笑顔が見づらくなってます。
新品にするしかないと思いますが、それほどお金はかからないでしょう。
見えなくなる前に修理しなくてはとおもいます。

 世間にもてはやされようがもてはやされまいが、貴重な記念碑です。
手塚治虫さんも忙しい天国生活の切れ間に訪れているはずですが、これじゃぁ天国で
おちおちしてられません。

 プレートの修理ついでに、こんな企画どうでしょう。
アトム像の向かいは、能仁寺という地元の名刹です。
山門の前に、信号機があります。

 歩行者用信号機が青のときに流れる曲を
鉄腕アトムのアニメソングにするのです。
例の、チャンチャン、チャチャッ、チャ、チャァーンです。
JRがそれぞれの駅にちなんだ曲を発車するときに流していますが
あれはいい。
良いアイデアは真似させてもらいましょ。
でも、信号そばのお家から苦情がくるかもしれませんね。

 プレート修理ついでに、
プレートのバーコードにスマホをかざすと情報を得られるようにするのもあるといいな。
もちろん、曲も一緒に。
すでに多くの観光地でやってますよね。
これだって、プレートに刻むか、印刷するだけだから予算はたかがしれてます。

アトムは泣いてます。




2016年5月26日木曜日

MusicStand2

 普通の譜面台はこれです。



 で、こちらがレッスンバージョンとでも呼びましょうか、



 二重奏バージョン? でもいけるかな。
天秤竿の支柱部分は丸棒にはめてあるだけです。
また、譜面台部分の方の丸棒も、竿にはめてあるだけなので回転できます。
なのでレッスンのときなどは対面にして使うことができますし、
二人のプレイヤーの位置に応じて自由な角度で譜面を見るように調節できます。

 演奏発表会の時は、プレイヤーがぶつかってしまうかもしれないのでちょっと無理かもしれません。
まだ、実際に制作はしてないので使い勝手はわかりませんが、
こんな譜面台があっても、楽しそうです。

う〜〜〜ん、でもレッスモードで部屋で使うなら問題ないと思うけど
ステージの上では、ちと格好悪いかなぁ〜。
まっいいか。




2016年5月25日水曜日

シソの葉っぱがたくさん生えてきていた

 今朝気がつきました。
こんなにたくさんです。



 昨年、シソの小鉢を買ってきて、植木鉢で育てるということの程ではないですが
鉢植えにし、素麺や刺し身などツマとして活躍してくれました。
それまでは直植えでほったらかしにシソまかせにしていたのですが、半分以上虫に食われてしまい
管理のしやすい鉢植えで育てたというわけです。

 ところが昨年、この玄関脇のシソはそうではなくどこからか飛んできて、芽を出しグングン育って結局、鉢植えのシソより元気に大きく最後まで葉っぱを収穫することができました。
枯れてからも、春先までほったらかしにしてあったので、種がたくさん落ちたようです。

 庭のあちこちに、シソはでてくるのですが、やはり虫には勝てません。

 玄関脇のは手入れがしやすく、必要なときもすぐに葉をちぎることができて便利な位置なんです。
元気そうなのを残して他のは摘んでいったほうが良いのでしょうけど、このままで行きましょう。
スーパーで買っても意外と高いし、農薬も心配。
これで今夏もシソの心配はなさそう。
めでたしめでたし。



2016年5月22日日曜日

NHK女子アナウンサーはいつもスカートなのはどうしてなの?

 たとえばNHK夜7時の定時ニュースだけど、いままでNHK女子アナウンサーのスカート以外の姿を見たことがないなと気づいたのは今年になって。
日本放送協会規定に女子アナウンサーはスカートをはかなければならないという規定でもあるのだろうか。
別に男子アナウンサーがスカートや短パンで仕事したって、どうでもいいことなんだけど、女子アナがいつもスカートなのがどこか、かたくなで気になっているだけなのです。



 他局では女子アナはスカートだったりスラックスだったりいろいろで、それが普段の仕事姿なんだろうとおもうわけですが、年がら年中スカート姿というのはなんか奇妙だなぁ。

 ほとんどテレビを見ない人間なので、どこかわたしの知らない時間帯ではスラックス姿かもしれない。
ロケ番組では状況に合わせて、当たり前だけどジーンズであったりズボン姿でお仕事されてます。

 男女同権やその他諸々人権問題など多種にわたって報道する機関の立場として、女子はスカートに限るとしていたら、それ自体をニュースにしてほしいよね。

 ついでに、男女の左右の立ち位置は決まってないようで、これはこれで結構なことです。

 
 NHK夜7時の定時ニュースを見ないことも多いんだけど、その日の女子アナはもう配置転換になってしまた桑子アナでした。
アナウンサーは説明しながら、パネルなど貼ったり剥がしたりすることもたびたびありますが、桑子アナは
自分の身長より高いところのパネルを剥がすのに手を伸ばしながら背伸びして

「エイッ」って言ったんことがあったんですよね。

本人もちょっとしまったとおもったのか、(苦)笑いしてましたね。
夜7時の定時ニュースで掛け声もろともパネルを剥がしたアナウンサーは初めて見たな。
わたしはとてもとても好感を持ちました。
ブラタモリでもいい味出してたな。
頑張ってお仕事励んでください。

 あらら、書こうとした題目と離れてしまいました。
まっ いいか。


2016年5月20日金曜日

アイロン・アルミホイル・濡れ布の曲げ木を試した

 あまりに簡単にきれいに曲がるのに驚きと感激。
栗の厚いところで6ミリ、薄いところで1ミリの薄い材ですが、型に押し当てて曲げる時の感じは



グニュウーっという感触で、バリッと割れるのが怖かったのですが、そんな感じもなく
ごらんのとおり、綺麗な曲面です。円柱の直径は70ミリ。



 15分位、アイロンをかけるというより、材が小さかったので、のせてる感じで
焦げないように注意するだけでしたが、布をみると焦げてました。
が、材の方は大丈夫。



固定したのは30分という短時間でしたが、ほとんど形状を維持してました。
スゴイ!
丸一日置いても見た感じ戻りはなし、測ってないけど。


 トイレットペーパーホルダーの蓋部分を作りました。
曲がっているカーブは現在使っている蓋を外して、鉛筆でなぞって写しとりました。



曲がった板の真ん中でカットして、ホルダーにあてがってみると良い感じです。
上手くいったみたい。
蓋が2つできてしまった。


 曲がりのきつい方を取り付けてみましたが
デザイン的には、圧倒的にダメです。



やはり、元のペーパーホルダーが完成されたデザインなので、
蓋だけ取り替えるというあんちょこな変更はダメだということがよくわかります。
まぁ、しばらく使っては見ますが・・・


 気を良くして、完成してオイルも塗ってある欅の靴べらの曲げを試して見ることにしました。
今度は太いので、20分〜25分蒸します。
型にはめて、今度は一晩置くことにしました。



 微妙なラインで曲がりました。
が、数カ所布の重なってしまったところが、跡になって表面が凹んでしまいました。
丁寧にくるまないといけません。
布とアルミホイルは乾かせばまた使えますので経済的なのも気に入りました。

 この方法を開発された方に、感謝です。

 それにしてもこのアイロン
昭和の薫りがプンプンです。
感電するんじゃないかとビクビクしながら使いましたが、大丈夫だったみたい。
50年前くらいの製品のようです。







2016年5月19日木曜日

TOTOペーパーホルダー YH50 の完成度の高さに敬服

 定価2430円。
ごくごくありふれた、普段じっと見ることのない製品です。
実用本位の飽きのこないデザイン(これが相当難しいはず)です。



 分解してみました。
ABS樹脂でメイド・イン・タイランドとあります。
2008年9月のマークがあります。
バリなど全く無く、どこをさわってもなめらか。



 部品数は6点で組み立ては手作業だと思いますが、
非常に簡単で慣れれば、きっと30秒以内に完成できそう。
バラすことは勿論考えてるはずはありませんが、これまた裏の爪を外せばすぐバラせます。
バネ部分は樹脂製でなおかつ、バネ両端にひげをつけて空回りを防いでいます。
ヒゲ部分が収まるところは、バネと蓋を抑える部品の、
画像で鍵穴のような形の見えているところに入ります。
このバネはねじれ方向にバネが働く仕組みになってます。

 一切無駄がなく、部品は必要最小限の構成で美しい。
ニューヨークの現代美術館に入るべき製品です。


 それにしても
現在のプラスティック製品の成形加工技術はここまできてるのかと
感服することしきりであります。


2016年5月18日水曜日

埼玉林材市場セリに遅刻した




 うっかりしてしまい、遅刻することはわかっていたのですが、到着したら
まさかセリは終了していて、昼食のカレーライスが始まっているところだったとは。
カレーライスをいただきに来たようなもので、恥ずかしい。
会社の方には申し訳ありませんでした。
そのうち、セリ勝ちして欅の大木を仕入れます。




 この会社のブログで知ったのですが
5月の連休中に、欅丸太約160本コンテナで6台分をベトナムへ輸送したそうです。
欅を輸出してるなんて知りませんでした。
日本は材木を輸入してばっかりだとおもっていた。



 おいしいカレーをいただいた後は、勉強のためにウロウロ、材木見学。
くるみがありました。いいなぁ~。



他にも桜、カヤ、クスノキ、白樫などいろいろ。




そして欅






この欅はおとされなかったのか、チップになるらしい、本当かな?
どこに欠点があるんだろう?









2016年5月12日木曜日

電気炊飯器の内蔵電池の心配

 我が家の炊飯器の内蔵電池は切れてからもう数年になる。
バラして内蔵電池の位置は確かめた。
基盤にサンドイッチ状にはさまれている位置にあるため、結構困難と判断し
今のところは諦め状態だ。



 使う時はコンセントに差し込み、スイッチオン。
保温は使わない。
で、プラグを抜いて炊飯器ご苦労さんで終了。
ちゃんとおいしく炊き上がるので、困っていることはない。
不自由に慣れてしまうと、これと言って不満はなくなるものだ。

 この件をネットで検索すると、たくさんヒットする。
電池切れだけでメーカーに修理で出すと5千円〜1万円近くかかるというのだから
たまったものではない。
電池をハンダ付け(or スポット溶接?)している基盤ごと取り替えるからだろう。
自分でやれば数百円。

 ほとんどのメーカーが、いかにおいしく炊き上げるかや、温めや保温などの付加価値をつけたり、内釜の性能アップをしたりと、とても熱心だ。
炊飯器だからお米をおいしく食べることができるようにすることに性能を絞るのは当然のこと。

 なのだが、ボタン電池一つ、簡単に交換できるようにしないのはどういうことなのだろう。
何がネックになっているのだろう。

 ボタン電池を組み込んだ電気製品は地球の人口より多いと思うが、大抵は裏蓋を外すなど簡単に交換できるようになっている。
炊飯器の内蔵リチウム電池の寿命は5年前後だろうか。
その位の期間使い続ければ電池がなくなるということだ。それも確実に。

 炊飯器の他の部分はなんでもないことが多いとおもう。
それを、電池がなくなったら修理に出せというのは、メーカーのエンジニアの方々は、恥ずかしくないのだろうか。わたしだったら、恥ずかしいを通り越しているので、商品にする段階で電池交換できるようにしておく。



 メーカーの方はどうか、約5年間使えるのだから充分ではありませんか、なんておもわないでください。
メーカーの方々がご自分たちの家庭で使用して、同じことが起きたら、修理で出しますか。
毎日炊飯器を使用している家庭は修理中、困ります。
5年に1回くらいとはいえ、電池交換ならその日に取り替えて簡単に終了です。
これが電気製品というものでしょう。

 電池交換が簡単にできる炊飯器にしてください。

 爆買いで中国にはどれくらいの日本製炊飯器がでまわっているのでしょう。
そろそろ電池切れの時期ではないでしょうか。
一斉に日本製炊飯器不買運動か、電池交換安くしろの暴動が起きるかも。
メーカーさん、今から対応しっかり立てておくのが賢明というものです。



2016年5月11日水曜日

元サッカー全日本監督ジーコさんの思い出ともうひとつ

 もう20年以上も前のこと、姉が帰国するとき成田までよく迎えに行った。
最初の頃は到着ロビー出口で待っていたのだが、そのうちわたしは決まった椅子に座っていて、姉とはそこで待ち合わせるようになった。本を読んでるときもあれば、うとうとしているときもあった。
大好きな人間観察もよくした。

 そのときの僕は椅子に座って眠りこけていた。
なんか目の前が
ざわざわして賑やか。

 慌てて反射的に立ち上がったら
目の前にいたのは、ジーコさんでした。



 偶然ですが、ボクはジーコのすぐ脇に立っていて
ジーコと一緒に報道陣に囲まれる羽目になってしまいました
Cameraはジーコだけでなく何故かわたしの方もしっかりレンズを向けている
付き人か、中年のサッカー選手と間違えたのでしょうか?!

 ボクもマイクを向けられましたが、
普段からインタビューに慣れているボクはそんなの無視ですし
まぶしいライトやフラッシュに顔をしかめることもなく表情もくずれません

 ゴメンナサイ、ウソです
寝起きでただびっくりしてポカーンとしていただけのこと

 ジーコさんはわたしをやはり協会関係者と勘違いしていたらしく
チラチラわたしの方をみながら報道マイクに受け答えをしてました
別れるときわたしが手を差し出したら
ごく自然に握手となりました
分厚い手のひらでわたしの手のひらより
二回りくらい小さかったなぁ

 姉と一緒の飛行機で
姉もジーコが乗っているのに気づいていたと言ってました
アンダー20の監督でヨーロッパ遠征の帰りだったのでした。

 そんなこともありました
のお話でした。



 もう一つ
成田空港の話を思い出していたら
羽田空港の出来事も思い出しました。

 仕事のリフレッシュで夜の羽田空港へでかけていたときがありました
首都高で1時間もかかりません。
そんなことをしていることを家族も誰も知りません。
また、誰にも話していませんでした。

 屋上のデッキで
離陸しながら遠ざかる光
着陸しながら近づいてくる光
同じ光跡を残して次々に発着を繰り返す飛行機
見てるだけで気分がすっきりしたものです。

 夜ですから、飛行機のライトや、空港のいろいろな目的で設置されている光がきれいなのです。
深い青色や緑、橙色や赤、黄色っぽいのもあります。
誘導でくるくるまわしているライト
整備や運搬で決まったラインを車高の低い滑るように走る車両のライト
どこを見ても飽きません

 当時デッキのある階のお店には余り観光客や一般の人は来ませんでした。
空港の従業員や職員の方が多かったような記憶があります。
それが理由だったのか、お店に華やかさはなく、簡単な休憩所的な雰囲気でした。

 何度か通っているある日、4階の廊下越しに、ある喫茶店の中のペアーに目が止まりました。
ひとめでどなたかわかりました。

 黒柳徹子さんです

テレビで見るそのマンマ、気づかれないような工夫など、これっぽっちもしていませんでした。



黒柳さんの向かいに座っている方は、同年輩ぐらいの金髪の外国人男性でした。
歩く速さを遅くし、お店前の廊下を行ったり来たり、にわか探偵になりました。
黒柳さんは背筋をしっかり伸ばした姿勢で、相手の目をじっと見ながら楽しそうにお話されてました。

 周りの目を避けて、なおかつゆっくり過ごせ、都心から至近
なかなかよい場所だったのでしょうか
その日も気分すっきりで羽田を後にしました。


2016年5月10日火曜日

フロアースタンド2の台部分を作った

 以前、台部分が壊れてしまったので、ケヤキの端材で作りました
もう1台の同じフロアースタンドの同じ部分が同じように壊れてしまったので、今度はどんなふうに作ろうかと思案。(写真では底が割れているのがちょっとわかりずらいです)



 お世話になっている、臼・杵やこね鉢を作っているお店から頂いた、ケヤキの輪切りで台の作成に挑戦しました。こんなに太い輪切りを使って工作するのは初めてです。
太さは50センチ弱ですが、目が比較的よく詰まっていて、年輪を大雑把に数えたら約80年でした。でももっと年輪はありそう。100年近くかもしれない。
臼にする材木の端材の輪切りなのですが、よいケヤキです。



2枚のうち、厚い方(厚さは約70mm)を八角形に切ります。
輪切りの年輪の面の片方は、製材所で切ったのでそこそこ平面なのですが、もう一面はチェーンソーで切断しているので凸凹だし、チェーンソーのノコ目がしっかりついています。



 最初の計画は、ディスグラインダーでほどほどにならしてから、ルーターで平面を出す予定でした。
しかし、ディスグラインダーで作業しながら大きな凸凹が取れてくると、なんとも言えない曲面ができてきました。こんなのもありかなとおもい、こちらの面はこのままにしました。
使ってみて、見た目が悪かったら、平らにならせばよいだけですし。

 中心部分にスタンドの中空のパイプをネジ止めする細工をするだけなので、作業自体は大変ではありません。ただ、輪切りの上下面はすべて木口ですので、硬い。
大きい径のフォスナービットでは危険だし歯が立たないので、変更してルーターで穴掘りです。



ビットの刃が30ミリで掘った深さが35ミリ、これ以上は無理。
困った。



 基本に立ち返って、のみでコツコツ必要な深さまで掘りました。




 割れが一箇所気になり、ちぎりを入れました。
金太郎飴みたいな長いちぎりを各サイズ何本か作ってあって、その都度カットして使います。
輪切りの材は、ほとんどは割れが入りますが、使いながらどうなるかも興味のあるところではあります。





 コードを出すための横穴は約10センチあり、ドリルスタンドでエイッと一気に、うまくいきました。



塗装は、今回はアトムペイントの自然塗料クリアーオイルの2度塗りです。

 支柱を仮止めしてみると、中央穴の部分が平らでなく、ストッパーの部分が傾いてしまうことがわかって、
これまた困った困った。

 ボール盤やフライス盤があれば、簡単にその部分をならせるのところですが、こんな風にしてディッシュビットで数ミリなめてあげて見た目は平らになり、まぁこんなもんでしょうか。



ポールを固定するネジ止め部分が、のみで掘り下げた時、ついつい深めに掘ってしまったみたいで、6,7ミリ掘りすぎたので、上面の厚さが予定より薄くなってしまった。ちとしくじりました。



 このフロアースタンドは瑞穂のジョイフル本田で同じものを2台購入したのですが、7年もしないうちに台部分の重しのために詰めた砂利混じりのセメントが膨張して破裂するという欠陥がありました。
破裂して細かい砂利などがボロボロ出てきてしまうし、台もセメントを入れているプラスチックケースが割れて傾くしで、使用不可となっている方もたくさんいるのではないでしょうか。



 台の素材は適当に選んで、ポールを固定するネジ止め部分さえしっかり作れば、気に入ったフロアースタンドに作り変えられるはずです。ポール部分やネジ止め部分はしっかりできているので、捨ててしまうのはもったいないです。

 さて、これで完成です。
木と金属の組み合わせもなかなかよいです。



上面の凸凹は写真では余りわかりませんね。
居間に戻してみると、もう何年も使っている古びた感じがかもし出されていました。
いいかげんに作ったのが、プラスに働いたようです。
めでたしめでたし。


2016年5月9日月曜日

マキタさん、リョービさん 2電源タイプの電源コードパックを販売してください

 ねぇねぇ、Makitaさん、Ryobiさん、他の工具メーカーさんも、わたしの使っているのはマキタの14.4Vリチウムイオンシリーズなので、バッテリーの部分にカパッとはめて使うAC100V電源コードパックを販売してください。お願いです。

 こんなにたくさんのシリーズの工具仲間があるではありませんか。



数えてないけど一体いくつあるんだろう。
わたしが使っているのは、インパクトドライバー、蛍光灯、掃除機かな。他にも買いたいなとおもう工具は数種類あります。

 リチウムイオンシリーズではありませんが、マキタ工具ではルーターが2台、トリマーが2台など使ってます。これらの工具、コードがなかったら使いやすいだろうなぁと思うことしきりです。
リチウムイオンシリーズの丸のこやカンナも欲しい。そうするとますます、バッテリーの個数が増えるな。
コードがないのは、なんてったって便利です。一度味わってしまったらおしまいだ。

 でもですよ、コードがあっても構わないときだってあるんです。
今はやりのハイブリッド仕様ではないけど、両方の方式が使えればずっと便利だとおもうんです。
蛍光灯やラジオなんか、キャンプや停電のとき、家庭でもコンセントから電源を取れないときなどはバッテリーで、そうでないときは電源コードパックがあればそれをつないで使う場面だって多いと思います。

 チップソーの刈払い機とポールバリカンを昨年購入したのですが、バッテリー式orAC電源にするかで悩みました。
バッテリーにするならマキタにするつもりでした。今持っているバッテリーが使えるからです。同じバッテリーが使い回しができるというのが、ひとつの利点でしょう。

 しかし、同じシリーズを買い足していくと、バッテリーが最初は2個、それでは足らなくなって、3個、4個と増えるのは目に見えています。
わたしは今は2個で使いまわしていますが、掃除機が意外と便利なのでひとつのバッテリーはそれにつけっぱなしです。もうひとつはインパクトドライバーにつけっぱなし。3個目(4個目)のバッテリーを購入する気持ち8割で悩み中であります。

 もし、AC電源コードパックがマキタより販売されていれば、マキタの(少々高いですが)2分割にできる刈払い機を買っていました。コードが届くところは電源コードパックを使って、コードが届かなったり、じゃまになりそうなところはバッテリーに付け替えて使用するというように使い分けができるのはとても便利です。

 今は販売終了となってしまったそうですが、わたしが切に願っているタイプの電動工具がPanasonicから販売されていたのですね。



Panasonicさんはどうして、同じタイプのバッテリーシリーズにあうAC電源コードパックを定番として販売しなかったのでしょうか。
それなのに、こんなアダプターを結構な値段で販売しているのですね。



どうしても、なにがなんでもバッテリーを使わせたいの?
まさか、プリンターとインクの関係と同じにしたいなんて考えているのではないでしょうね

 バッテリーの充電器は当然持っていますが、これが壊れたらこのリチウムイオンシリーズの工具すべてが使えなくなってしまうではないですか。なんか心配だなぁ。
こんなときのためにもAC電源コードパックは是非必要です。

 インパクトドライバーとバッテリー2個+充電器のセットで買ったのですが、このときにAC電源コードパックが販売されていれば、ためらわず買っていました。
いろいろな使う場面を想定すると、電源コードパックを使うこともあるからです。

 こんな風にして使う人の気持ちとてもわかるなぁ。






2016年5月3日火曜日

長男が赤ん坊だった頃のこと

 長男が生まれたとき、仕事は夜だった。
昼間はあいている。
子どもの世話をして、こんなに楽しいことはないとおもい、
とことん子育てにかかわっていこうとおもった。

 夜中に、何かの拍子にふっと目を覚まし、子どもの寝息を確かめに顔をのぞいてみると
目をぱっちり開けて、とてもごきげんにしていることがよくあった。
ところが、こどもの視線はわたしにではなく、わたしの周りに、まるで何人かの人が囲んでいるような感じで目線を動かしている。
それにつられて、わたしは左後ろや右の方へと確かめてみるのだが、もちろん、誰もいない。

 子どもが、目を上の方にあげ天井を見る。
また、わたしもそちらに目をやるが、暗闇があるだけだ。

 どうやらわたしには見えないが、私たちのまわりにいる人たちは、子どもをあやし、ごきげんにしてくれる名人揃いのようである。
子どもはいくつもの表情をみせ、声も発している。
グーにした手を、大きく振ってパタパタさせている。

 良かったねぇ 遊んでもらっているんだぁ

とおもった一瞬、子どもと目が合うのだが、すぐにまた外れてきょろきょろまわりを見始める。

こんなことが、何度あったことだろう。





 子どもが小学生高学年になったとき、この本を手にした。
「短編集モザイクⅠ みちづれ 三浦哲郎」の「おさなご その二」を読んだ時の衝撃はいまだに忘れられない。

少し長いが、引用したい。

 もう何十年も前のことになるが、彼がまだ若々しい父親だった時分に、自分の子供たちが、生
まれて半年ばかりしたころの一時期、彼の目にはなにも見えないけれども子供たちだけには明瞭
に存在するらしい何者かと、いかにも楽しげに談笑したり戯れあったりするのをしばしば目撃し
て、そのたびにしばらく神秘的な幻想に囚われたものであった。
 たとえば、真夜中に、夜ふかしを切り上げて寝室へ入ってみると、母親の方はぐっすり寝入っ
ているのに、隣の赤ん坊はなぜかぱっちりと目醒めていて、けれども、泣くでもなく、ぐずるで
もなく、むしろ上機嫌で、口元に微笑みさえ浮かべていたりする。
 おい、どうしたい、まだ夜中ですよ、と指で頬っぺたを突っついてやったりするが、相手にし
ない、ほかにいい相手がいるからだが、その相手が何物なのかは、わからない。彼にも、子供の
母親にも、全く姿が見えないからである。おそらく、彼等ばかりではなく、大人たちには誰にも
見えなかっただろう。
 けれども、赤ん坊には多分はっきりと見えていて、それはひっそり目醒めているときの目の動
きを見ているとわかる。赤ん坊は、澄んだ黒い目をきらきらさせながら天井の一角をじっと見詰
めていることもあれば、相手の動きに合わせるようにあちらこちらと視線をゆっくり迷わせるこ
ともある。そうかと思えば、まるで流れ星でも追うかのように、ちいさな枕が音を立てるほどの
勢いで頭をくるりと回すこともある。
 そんな目の動きから判断すると、赤ん坊が人知れず交歓していた相手は、羽根でも持っていて
常に宙を浮遊し、飛翔しているものであるらしかった。赤ん坊は、その宙の相手をただ眺めてい
るだけではなく、誰にも通じない、アウ、アウ、という言葉で、ひとしきり何事かについて語り
合うこともあった。もとより相手の声などきこえはしないが、赤ん坊は時としてけらけら笑い出
したりした。なんの合図なのか、唇を尖らせて、ホー、ホー、という優しい声を繰り返すことも
あった。横にひろげた両手を、雛鳥の羽撃のように、じれったそうにぱたぱたと動かしているこ
ともあった。
 いったい、赤ん坊はなにを見ていたのだろう。成長した子供たちに尋ねても、なんの記憶もな
いという。けれども、人は誰でも、なんの汚れもない赤ん坊のころの一時期に、この世とは次元
の違う世界をひそかに経験しているのではないかと彼は思っている。ただ、惜しいかな、誰もが
成長するにつれてその異次元の世界の記憶をきれいに失ってしまうのだ。
 』


 わたしが子どもの表情から感じたことが、なんと精細に繊細に正確に表現されていることか。
この部分を読むと、子どもが赤ん坊の頃のあの不思議な対話が思い出されてしょうがない。



2016年5月2日月曜日

「木馬の騎手」三浦哲郎 を十数年ぶりに読んだ

 アリス・マンローの短編・中編を読んでいたら、どうしてだろう、今まで読んだいろいろな短編が思い出され、三浦哲郎の「木馬の騎手」が浮かんだ。
残念ながら今、手元にはない。
図書館にでかけたら、見つけた。
そして借りた。

 次男が小学校に入学する前後の頃だったろうか。
近所のスーパーに一緒に出かけた。スーパーの斜向かいに常備薬や洗剤など日用品を扱っている薬局があるのだが、その店頭に硬貨を入れて遊ぶダンボの乗り物があった。
息子はもうそんな齢ではないだろうに、乗りたいと言う。
硬貨を一枚入れて、遊ばせてあげた。



 前後に揺られながら、表情はうっとりしている。
近くに焦点が合ってないと思ったら遠くを見つめ、こんどは視線を落として地面を見つめている。
と、今度は遊具の動きにあわせ、頭をゆっくり前後に動かしなが、目線はまっすぐに前を見つめている。
空をひゅぅひゅぅと飛んでいるのだろうか。
草原を並みいるライオンやシマウマをもろともせず、のっしのっし進んでいるのだろうか。
とうとうと流れる川を渡っているのだろうか。

 遊具の動きが止まり、顔を上気させた息子はうれしそうに
あぁーおもしろかったとだけいい
手をつないで帰った。


 木馬の騎手を読んだ当時、その題名を深く考えることもなかった。
今回再読してみて、著者はなるほどうまい題名をつけたものだとおもった。
この1ダースの短編はすべて、子どもが主人公である。
木馬の騎手である乗りては、子どもであろう。
様々な子どもが乗る。
そしてその様々な子どもから、さらに様々に展開伸張される世界が拡がる。



 子どもの性別は男女ほぼ同数だ。
物語は、死んでしまったり、またはそれを匂わせたり、川や沼に沈んでゆく不気味さであったりと、わたしたちの未来は明るくひらけているというのとはほど遠い。

 病室の壁に手をあてる圧力、父親に体を押し当てて眠る、また強い力でした指きりげんまんのあとの痛さ、口の中の飴を舌で押し出す、それらは読むものの身体に圧力と擬感触として迫ってくる。
また、電池切れで川に・・・、姉妹の投げた絵の具のチューブが池に沈んでゆく、仕掛けに引っかかって・・・、鳥の血が滴っている・・・では、肉体は平衡感覚が怪しくなり、浮遊し沈殿してゆく。
「おら」だけで語りをすすめる鳥寄せでは、主人公はきっと女の子だろう、ひとなきは聴覚を揺さぶり、かすれてゆく残響は悲しい。

しかしである。
子どもたちの心象は、すべてあっけらかんとしているのだ。

 子どもはずっと
木馬の騎手であり続けるのだろう。


2016年5月1日日曜日

映画を見たかったのに・・・

 一昨日4月29日、日テレ金曜ロードショーのアメイジング・スパイダーマン2(19:56〜22:54)を見た。
正確には途中までしか見なかった。



 1時間ぐらい見てると、途中のコマーシャルがかったるくなってきた。
2時間近く立って、見るのを止めた。
10分〜15分ごとにコマーシャルが入るのだ。
映画を楽しむどころではない。
まさに、アメイジングだよ。

 映画をズタズタに細かくちぎって、つなぎめにはたっぷりとコマーシャルが接着剤で貼り付けられている。
見てる方はたまったものではない。

 きっと、日テレのこの番組を編集した人は、コマーシャル入りのこの映画を通しで見てないとおもう。
映画自体もずたずたにされて被害者かも知れないが、高額なコマーシャル料を支払ったスポンサーも、これではたまらんとおもう。
なんせ、イライラした気持ちでコマーシャルを見れば、その製品などに好印象を持つわけはない。

 コマーシャルの入るテレビで映画を見ようとしたわたしが馬鹿だった
それが結論かもしれない。
ふぅ〜。