12月8日
ジョールダン大尉帰国に際し、曾我少将と士官学校士官主催の夕食を兼ねた正式昼食会が上野の精養軒で行われた。冷ややかな雰囲気で、食事もまずく、ワインはひどいものであった。
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我々の横では、近衛歩兵隊の士官たちが九州で戦死した仲間たちの追悼の食事をしていた。音楽、白緑黒の服装の僧侶による葬儀、庭にあつらえた即席の祭壇。軍隊の会合で行われた宗教儀式を始めて見た。
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12月9日
前日と同じ理由の夕食を兼ねた昼食会が、工兵士官たちと行われた。まず、上級士官たちが築地の精養軒で昼食をとったが、昨日よりずっとサービスが良く、誠意をもって迎えられた。そこから、一斉に、人力車で、両国橋の近くの大きな御茶屋中村屋に駆けつけた。そこでは、日本料理の大宴会が開かれていた。
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大広間に、小さなテーブルを二列に並べ、端に我々のため、小さな布団[座布団]が敷いてあった。全く東洋風である。中央には芸者の一団がいて、非常に踊りのうまい頭丸刈りの老婦人に指図されていた。我々は、出席者全員と次から次へと盃を交じわさなければならなかった。確かに五〇杯以上飲んだ。酒酔いにつられ、全員が踊りに加わった。小菅氏は兼松氏のオペラハットを被り、大塚大尉は年取った芸者のスカーフを被った。目隠し鬼ごっこをしたり、ある人は頭で、他の人は足で格闘した。夜になってから解散したが、笑いすぎて頭が少しおかしくなった。日本でこんなに楽しんだことはかつてない。仲間は午前零時まで居残った。
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「九州で戦死した」とあるのは西南戦争のこと。
上野の精養軒はいまでも営業してますが、ますいとあり、築地のほうはよかったとあります。
築地の方も現在営業中のようです。
ネットで錦絵や写真でお店を見ることができます。
芸者をあげての上品などんちゃん騒ぎ。謹厳な顔立ちのクレットマンですが大いに楽しんだようです。
当時の訓練の様子2。
(つづく)
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