2018年4月10日火曜日

司馬「江漢西遊日記」の旅 その15

 天明9年2月4日殿様と鹿狩へ出かけたときのこと、日も暮れて遅くなってしまった。

「・・・日も暮れければ、田夫田畑の間へタイ松を持ち数々出し路を照らし、田夫の家にはあんどんを門口に出し、またタイ松を持たせ、城下迄で連行は尚々ありがたく思うよし。老人は数珠を以て拝むなり。誠に愚直なる者にて、上に居る者之を憐れむべし。」

 松明や行灯の明かりが鹿狩の一行を照らす、農村風景。
江漢先生、あの独特な暗がりの色調の画で残してほしかった情景だぞ。

 其の通りすぎる殿様の一行を神様のように老人が手に数珠をまき、ひざまずいて拝んでいる。
江漢はこのことを「誠に愚直なる者にて、上に居る者之を憐れむべし」という。



 春波櫻筆記の中、阿部侯への進言の項でこんなことを記している。(現代語訳)
「領内巡見の際にどうやって小百姓たちを安撫するかということである。それには年をとった者を駕籠のそばによんで、領主みずから扇のようなものか、菓子のようなものを下されるのがよい。百姓というものはほんとうに愚直なもので、自分の国の領主を人間ではなく神様だと思いこんでおり、いちどおすがたを拝めば一生涯安穏でわざわいはなくなるものと信じている。だから老婆や老爺たちはみな出てきて数珠をもって拝むのである。・・・上にある者としては下の百姓たちをあわれむにこしたことはないのである。君主は民の父母なりということをよく心得て、あわれみをかけてやらなければならない。」

 西遊日記中にあらわれる、「愚直」「あわれむ」がここでも使われている。


 現代では「愚直」という言葉は「お馬鹿さん」の意で使われるだろうが、
当時というか、江漢はそうではなく、
愚直に仕事を成し遂げる、愚直に一心に念じ続けた、などのように、
いろいろな困難に立ち向かってただひたすらに物事をやり遂げようとする様を
表現していることに他ならない。

 江漢は、老婆や老爺、市井の人々、子どもたち、揚屋のおんなたちには
いつも暖かいまなざしを失わない人だった。


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