2024年5月13日月曜日

「ラジオと戦争」を読んだ

 頁数573ページの重い本です。内容はもっと重い。

 いつものならいであとがきから読む。このほうがジジイははなしの組み立てがしやすい。最終章8章はことさら重く、そして辛い。とても。そこから少し引用すると、

『本書では、戦時ラジオ放送を牽引した才能豊かな先輩たちが苦悩する姿を見てきた。ドキュメンタリーという新しいジャンルの可能性を切り拓きながら、結局は国策宣伝番組に回収されてしまった録音構成の作り方たち。組織人として生きるために、詩人の魂を封印するしかなかった多田不二(ふじ)。デューイやキルパトリックから学んだ民主的な教育を学校放送で実践しようとしながら、いつしか軍国教育の旗振り役になってしまた西本三十二(みとじ)。ラジオの指導性を追求し、挫折した奥屋熊郎。自分の心に背いて偽りの戦況ニュースを伝えるしかなかった柳沢恭雄・・・。戦時ラジオ放送の現場は、優れた才能の墓場でもあった。』

 どれもが、膨大な資料の検証と、また実際のインタビューにもとづかれて記されています。

 かってのようなことにならないためには、たえず権力を監視し批判するという報道機関の役割がはたせるよう一市民が気を配るとともに、それぞれが小さなうちにそれらの芽をつんでいかなければならないとはおもうものの、監視される側は国家という後ろ盾があり、そして、ここがとてもやっかいなのですが、批判されても一旦は引くように見せかけ黙るのですが、やがてまた小出しに批判された事柄を何度も何度も繰り返して出してくるのです。しばらくして、そのゴリ押しは通ってしまう。なんともはや・・・

 解決策は簡単で、公共放送という形態は、これらの事例をとおしてわかるとおり、ありえないということですから、廃止にすることであります。現在のNHKは放送法のしばりからはなれて民法になればよろしい。国は国で直営の公共放送(公共という言葉は市民を守るためにある)ではなく国家放送局を新設すればよろしい。

 そうしましょう♪

 それを言っちゃおしめぇよ、とつぶてのごとく矢の嵐がとんできそうですが、まぁご勘弁を。

 

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