レンズが割れたのはこれで三度目か四度目。
ジジイの顔のデカさが原因かと(それもあるかもしれぬと)考えていたが、どうやらプラスティックのレンズの耐久性がよろしくなさそうと気づいた。
レンズに穴をあけてそこにネジ止めするようしていたが、構造的に強度不足で割れてしまうようだ。
なので、百均でつるがネジ止めしてあるものをえらんで、細工した。
欅です。
少し幅がゆるくなってしまった。顔幅が痩せたようだ。
レンズが割れたのはこれで三度目か四度目。
ジジイの顔のデカさが原因かと(それもあるかもしれぬと)考えていたが、どうやらプラスティックのレンズの耐久性がよろしくなさそうと気づいた。
レンズに穴をあけてそこにネジ止めするようしていたが、構造的に強度不足で割れてしまうようだ。
なので、百均でつるがネジ止めしてあるものをえらんで、細工した。
欅です。
少し幅がゆるくなってしまった。顔幅が痩せたようだ。
チビチビとだけど、咲き出した。朝日をうけてこれから花開く。
こっちの名前が不明だけど、これらも元気
ヤモリの赤ちゃんだ。弱ってそう。草陰に移動してやる。大きさは3cmくらい。
こっちは1cmくらいのカタツムリ。
いろいろいるもんだ。
米国のサスペンス小説作家です。新聞の書評で知って読みだしたらはまった。
スピード感がいいね。
日本語の翻訳で読んでいるのだけど、翻訳も上手で読みやすい。
米国の社会状況などがくまなく描かれていて米国文化をかじっている気分になるし、それぞれの街を旅している気分にもなる。
しばらくは読み続けそう。
以前からミキサーがほしかったのだけれど、なかなか気に入ったのがありませんでした。
新製品ではなく2017年発売で定番商品といったところも安心です。
昨日南京豆を砕いてピーナツバターを作りましたが、使いやすいし掃除も楽ちん。
いろいろ楽しめそう♪
岩谷産業IMF-S30Gサイレントミルサーを買った。
南京豆は市内の落花生専門店「高橋商店」。
画像の通り文字通りアッという間にできてしまいました。
南京豆を砕いただけなのでちょっと粉末状でペーストまでにはなってませんけど、
朝、トーストの上にのせて食べたらおいしかった。
220g(¥1080)でちょうど小さいジャムの瓶の量になりました。
修理しないつもりだったのだけど、手にしてながめていたらやはり愛着がある。
近くの商店街の時計屋さん(眼鏡屋さん、補聴器屋さん)に修理をお願いした。
メーカーに出すことなく、年配の社長さんが直してくれました。¥5000円也。
文字盤は元通り固定されクルクル回らなくなりました。
めでたしめでたし
なのだそうだ。農業生産額の割合では畜産業は約36%を占め、野菜や米より高いとあった。
調べてみた。
なるほど、どうやら事実のようだ。
グラフが全体にゆるやかに右下がりが気になって、日本の食料自給率を調べる。
ありゃ~、似たような右下がりだな。江戸時代のように自給率100%をめざさなきゃ。
政治家はどうして食料自給率100%を訴えないのだろう。
セメントの原料の石灰石は自給率100%なんだけど、食えないしな。
人間が宇宙に飛び立つことができるようになり、月に行ったのはもう何十年前のことだったか。
その月から地球をとったカラー写真がとても印象に残る。
地球はかけがいのないひとつの船とは誰の言葉だったか。
コロナというウイルスがあっというまに地球に蔓延してしまった。なんとも皮肉だが間違いなく地球はひとつの閉じた系であることを確認することができた。
ひとつのひとつしかない船に乗っているのがわかったのなら、みんなで仲良く譲り合い助け合って暮らすのが、暮らすしかないのがわかって、わからなければいけないはずなのに、何でこまごま争うのだ。愚かだな。
オイルVATONを塗ってから、自作オイルのキャンデリラワックスを塗り込んだ。
山桜は木目が不明瞭です。この材が特にそうなのかどうかはわかりませんが、いままでの広葉樹とは感じが異なります。いかにも材木然としている。まぁ良い仕上がりになりました。画像で見るとずんぐりむっくりですが、実物はもうすこしスッキリスマートです。
一本二千円です。
原発事故のとき90万人余りの人々をどのように避難させるのかその計画が不十分。明快な差し止め理由です。原発運営会社の人たちはいったいどのような人たちなのでしょうか。
原発のまわりに原発開発運営会社一族や親戚や関係者一同の都市住居をつくって生活圏として住んでみてはどうでしょう。そんな発想すらない人たちなのか。
ネットで調べただけだけど、こういう国もあるんだな。
全体の74%を再生可能エネルギー発電でまかなっていて、内訳は53%が水力発電、地熱発電で13%、そして5%が風力発電とありました。電気代は高額で標準家庭で月額4万円前後なのだそうです。なので国が音頭を取って節電節電です。
またつい最近日本の住友商事(富士電機)が200億円超でニュージーランドの地熱発電所を受注した記事もありました。日本に作って欲しい。
日本も国全体で節電して化石燃料を使わずに再生可能エネルギー、ジジイのイチオシは地熱発電、の世にしようではありませんか。
ネットでも新聞でもテレビやラジオでも報道していた。もうどうしようもない。あれだけのことがあり、現在でもその酷さは継続中だというのに、危機感なんて全くないのだから、強制的に専門機関が突入してやめさせなきゃ。
日本は地勢的に火山大国。地熱発電を全国でやればすべては一挙に解決。それでもって蓄電池にバンバン充電してさ、そうすれば石油輸入から開放される。
って刑事物のテレビ番組のなかで警察官が無線で連絡しあっていました。これって単に捜査員が追いかけていますじゃぁいけないんだろうか。性別に関係なく警察官ですむのに婦警さんって言ったり。医者ですむのに女医さんだし、俳優でも女優だし、そんなのっていっぱいあるな。
ひどいところでは、高校生が事件絡みで報道されるとき定時制の高校生というときがある。全日制の高校生って言わないのにな。
ヤフーで3.11で検索すると10円寄付されるというので入力してポチ。
まだ4.1万人の人が避難所暮らしと朝刊にありました。
津波だけだったらというのは大変に不謹慎で申し訳ないのですが、原発がいっそうひどくしてしまいました。こんなことがあったのにまだ再稼働しようとしているのですから、国政選挙で問うてほしい。生きる基盤を崩壊させる原発は廃炉しかありません。安全な基盤が確保されてこその経済活動です。
安全に廃炉にするための原子力研究は是非しなくてはなりませんし、将来的には核融合発電があるのだから研究開発は怠りなくすすめてください。
両方ともに値段も効能も似たりよったりです。
デザインまで似ている。
でも使ってみると2つの違いはすぐにわかります。システマは粘りが強くて数度うがいしても口の中がネバネバ感があって気になる。シュミテクトはサラッとしてうがいのあとは漢方の香りが残ります。なのでジジイはシュミテクトを使っています。
伊藤公雄氏との対談で伊藤氏が興味深いことをおっしゃられていた。
・1970年前後に欧州のフェミニズム運動が要求したことは、法制度上の家父長制の廃止、離婚ができる権利、レイプされた場合や病弱や経済的な理由での中絶の権利だった。しかし日本は敗戦後の段階でこれらはクリアされていた。
・フランスでは1965年まで結婚した女性は夫の許可なしに働いてはいけないと法律できめられていた。また、女性は65年まで自分の名前で預金通帳がもてなかった。
・欧州の多くの国で家父長制条項が法律から完全に排除されたのはたぶん80年代。
・米国では70年代までは女性は自分の名前でクレジットカードをもてなかった。州によってはもっと遅くて80年代になってからのところもあるとおもう。
やはりえっとおもってしまいます。
日本で婦人参政権が成立したのは戦後1945年10月10日に閣議決定されたとあります。最近のことなのです。ひとつの権利が認められ実施されるとはいっても、翌朝からすべてがガラッと変わることなどありません。それ以前、数百年数千年の蓄積が人の心には巣食っているのですから、それらを崩し廃棄しなければそれらの権利が日常で当たり前のこととはなりません。鑿(のみ)で硬い石を穿(うが)つようにコツコツ地味に崩し続けることが大切です。あせってはなりませぬ。
庭の雑草が元気になりだしました。今年は自分で雑草刈りができるだろうかどうか心配になります。今からシルバーさんに2,3回の草刈りの予約を入れておこうかと悩んでしまいます。
どうしようかな・・・
ラジコンの戦車みたいなのに草刈りの機械を取り付けてといった程度のもので良いから、お手頃値段でないものかとおもいます。
木村元[編]。東京大学出版。¥3600円
P10注に周縁を法令上の境界線あるいは拡張された境界線の内側、周辺を外側として表記するとあります。この本の英文の題名はBoundaries of Japanese Public Education:A History of Schooling Society and Borders とあり周縁と周辺を区別していません。ひととおり通読するといわんとすることはなんとなくわかりますが、言葉の定義としては不明確で専門的な議論をする土台としては失敗していると考えます。
ここからはこの本の主題と離れます。P156(3)宮坂哲文の生活指導,(1)宮坂の特設道徳批判のなかでP157に『宮坂によれば道徳教育は、「子どもたちの日々の生活に根をおろした形で行われていかねばならない」。なぜならそもそも道徳は「日々の生活のなかで子どもたち自身によって学びとられ、獲地取られていくべき性質のもの」であって、「子どもに話してきかせるというような形で教えることのできるものではなく、子どもたちのなかに道徳を育てるという形でしか教えることのできないもの」だからである(宮坂1959:121)』とあります。
このあとこの考え方は政治経済や時代の潮流により批判されてゆくことになりますが、わたし自身は概ねこの考え方がどのような時代になっても不変であろうとおもうしそうあってほしい。小中高さらに大という教育の中で道徳についての教育は必ずしも必要と考えませんし、するのならば折にふれて行えば十分ではないでしょうか。それを現在は教科になっていて評価までするというのですから狂っています。それが正しいこととするならば、就職試験などで使用される履歴書の項目に道徳を付け加えてほしいものです。
この本を読みすすめるうちに、途中からアレッと感じてくることがありました、1950年代60年代の教育の動きが、そのまま現在と妙に重なる部分があり、この本はそのまま現在の教育の動きを表しているのではないかとおもいました。
ブルーベリーは蕾がふくらみ少し開きだしている
これは小さな白い花が満開。こんな時期に咲くんだっけ?。名前はえぇーっとサルココッカ。開花時期は4月5月と説明書にはあったけど。
次は、このくらいの若葉というか新芽くらいが柔らかくて食べごろ。ルッコラセルバティカ。家の周りあちこちにすっかり根付いた。
春だね
おもしろかった。読みながらしきりに学生の頃読んだ人類学者川田順造さんの「音・言葉・人間」をおもいだしていました。そのときに読んだ驚きと感動が大きかったのでこんなジジイになってもそのときのことはちっとも薄れていないのです。本の題名の通り言葉の前に音がありそれですべてを伝えることができていた。前々回のBlogでもふれましたが、ヒトは言葉を使いこなす以前に現在の人なみの脳の大きさになっていてそれはゴリラの約3倍もあるのは、コミュニケーション能力のためだろうというはなしと無関係ではなさそうな気がします。
読み終わって「蜜蜂」も「遠雷」も音なのだと気づきました。
2021年3月1日です。昨年は3月2日より小中学校全国休校になり高校もすぐに同様となりました。
コロナ騒動は今日までたった1年間のことなのですが、もっと長い期間そうしていたような気がします。
新聞記事の山極寿一さんの「科学季評」欄を楽しみにいつも読んでいるのですが先月の内容もとても興味深かった。人間の脳はゴリラの3倍ほどなのだそうだ。そしてそれは言葉が登場する以前にそうなっていたという。ではなぜそんなことがおこったのか。山極さんはひとつの具体的な例を示す。ゴリラなど類人猿はいったん自分の集団(群れ)を離れるとなかなか元のところへ戻れないし、一日のうちに複数の集団を渡り歩くことなどとてもできないそうだ。集団に参加するには仲間と心身を合わせる必要があり、類人猿にはそれができないからだと原因を述べている。
ここからはジジイの勝手な推論になる。ヒトが生き残りをかけたのは集団を渡り歩く能力が他の生き物より優れていたからか、というかそのようなことを繰り返すうちに獲得したためか。嫌な言葉でいうと征服欲。受け入れられやすい言葉にするとコミュニケーション能力。この能力は直接に接するという前提で獲得してきた。現在の状況で言えば三密が前提ということになる。
で、コロナに戻るとその三密回避は数年続くと思うけど、なんらかの影響が出そうな気がする。一番に現れるのは成長過程の赤ちゃんや子どもたち。なにかできることを手を差し伸べなければと考えるのだけれど・・・