文藝春秋 2015.5
堀川 惠子 著
わたしはじきに70歳となるジジイであります。ジジイがこの本を読んでもその後に何か戦争に反対し平和を望む活動をするにはそれほどの時間が残されていないのであります。ですからこれからの世代を支える若い人たちが読むべき本であるとも言えます。
原爆と言うとどうしても子どもの頃に母に連れらていったデパートの催事場で行われていた原爆展と直結してしまいます。原爆の投下された8月にあわせて開催されていたのでしょう。その日も暑い日でしたが催事場は冷房がきいていました。
子ども心にも、目がはなせぬショックな写真が一枚ありました。無脳児という赤ちゃんの写真でした。原爆の影響で生まれたという説明があったのか、母が説明してくれたのかはよく覚えていませんが、白黒写真のそれはとにかく衝撃的で今でも頭に焼き付いています。母にねだってその原爆展の冊子を買ってもらいました。無脳児の写真ものっていたからです。その冊子はずっと本棚にありました。
母は戦争中、中国で看護婦として負傷した兵隊さんたちを看護していましたので、戦争や平和や原爆のことには人一倍関心があるとかないとかではなく、母自身のからだにしみ込んでいることで言葉でどうこうするより先にからだが動いてしまうということであると、わたしが大きくなるにつれてわかってきたことでした。グラマンに機銃掃射されて逃げまどった話など何度も聞かされたものです。
どうもいけません。本にはなしを戻しましょう。読み終わって、この本を英訳してネットで誰もが読めるように連載するかたちで公開したらよいのではと考えました。米国民の高校生などに原爆のことを直接問うよりも遠回りではありますが、原爆の被害者がその後どのような生活をしたのかひとりひとりがどのような具体的な歩みをしたのかということに接したほうがより一層戦争や原爆を考えるのではないかとおもうからです。
米国の大多数の高校生はこういったひとりひとりの原爆被害者の生活を知るすべがないのです。知ることができなければ政府や大人たちや教科書のはなしをなるほどとおもうしかありません。そうそう誰もが批判的に物事を見ることなんてできないのです。
堀川様出版社の方、英語に翻訳してネットで公開してください。わたしに莫大な資産があれば喜んでお手伝いしたいところです。
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