反りのある板は、厚さをかせぐために、反りの中央あたりで真っ二つにしてからまた接着するというやり方もあります。この方法はよく使いますが、今回はベルトサンダーで削ります。
最初に山なりになっている面をほどほど平らにしてから、凹んでいる面にとりかかります。
木口の墨線を残すようにしながら、削っていきます。
このくらいになれば、OKでしょう。
木の目の向きが短辺に平行になってしまいますが、これでお盆を作ります。
反りのある板は、厚さをかせぐために、反りの中央あたりで真っ二つにしてからまた接着するというやり方もあります。この方法はよく使いますが、今回はベルトサンダーで削ります。
最初に山なりになっている面をほどほど平らにしてから、凹んでいる面にとりかかります。
木口の墨線を残すようにしながら、削っていきます。
このくらいになれば、OKでしょう。
木の目の向きが短辺に平行になってしまいますが、これでお盆を作ります。
日本の木版画は絵師・彫師・摺師がそろわないと完成しません。
絵師は木版で何百枚も摺ってもらうこともできますが、木版でなくても和紙にじかに描いてそのまま一枚物で完成させることもできます。
彫師はわたされた絵を板に貼り、絵師からの指示も聞きながら彫ります。
摺師も同様に絵師の色やぼかし具合などの指示にしたがいながらも、摺師の感性もくわえて木版画が完成します。
つまり木版画は三者がもしくは出板人をくわえて四者がそろって完成し、後年名前が残るのは出板人と絵師であることが多いのです。錦絵や浮世絵では絵師を「◯△□筆」と大きめの字がのり、「出板人☆▽◎」「画工□▽」(版下絵師、浮世絵師)が小さく枠書きであったりし、この画像のように彫師の名前「彫栄」(渡辺栄蔵)などと入ることもあります。
しかしながら、やはり絵師は木版画にしなくてもやっていけますし、絵師の下絵があって彫師・摺師となるので、悪く言えば主従のようになり、絵師の名前の存在は大きいのです。
江戸後期より明治になって、欧米よりあらたな印刷活版技術が入ってきてみるみるうちに木版による印刷方法はすたれていってしまいました。これだけのすばらしい技法が完全になくなってしまう前に、わたしにありあまる資産があるならば、先頭に立って支援するのですが、う~ん、悲しいかな、こんな文章を書くのが精一杯なのであります。
現在では人物像を寸分もたがわず制作することが可能で、それも何体もつくることができます。しかし彫刻家などがつくった人物像を並べてみれば、どちらが人が作ったものかをあてることは簡単です。彫刻家がつくったものの複製を並べてしまうとわからなくなるとおもいますけど。
木版画も同様です。木版画の世界を残したい。
昨年2022年12月23日の再掲です。
国立国会図書館蔵
The Night Market at the
Asakusa Temple late in the Year.
不許複製
著作権所有
新井芳宗画
明治三十二年十二月一日印刷
同月十日発行
東京市京橋區日吉町十番地
著作者兼発行者
長谷川武次郎
同市芝區神明町二十一番地
印刷者 浅妻徳次郎
一年の最後を飾るにふさわしい絵となっており、他の月とは力の入れようがちがっているのがあきらかにわかります。右側の阿形(あぎょう)の仁王像の柵の前に、わらじ札に絵師の名前がひっそりと(といいたいところですが、いやでも目立って)ぶら下げられています。そして柱には御札が2枚貼られ、奥付が直書きされています。
大提灯も見事。Calendarは提灯の底の曲面にそうように配置され、中からの灯りでうきでるような感じがうまく表現されています。2023年12月の日にちに並び替えるのはとてもとても大変でしたが、見た感じそれほど違和感なくできあがっているとおもいます。浅草寺の提灯は火事で消失し、戦後松下さんが寄贈したはずですが、もうこの明治32年にはなかったとおもうのですけど、どうなっているのでしょうか。
その大提灯の下で手をつなぐ母娘。母親のなんというシックないでたちでしょう。御高祖頭巾も素敵ですし、袖口からのぞく裏生地の渋朱色。娘は正反対に派手さをおさえて紫の振り袖で裾へむかっての濃淡のぼかしにうっとりです。髪飾りも細かく描いています。
夜店の人混みも暗がりの中とはいえ、寒さの中ここだけが熱気に満ちているようです。夜店からの提灯の明るさが人混みの足元にむかってさしています。お寺の階上の舞台にも人が密集していてそれら人混みをながめています。
お寺の庇、阿形(あぎょう)仁王像の力強い右腕などなど、どこをみてもみても、飽きることなくながめつづけてしまいます。
ここから、本日のブログになります。
これはちりめん本の海外向けお土産であったり、輸出したものです。ちりめん本についてはわたしのもう一つのBlogで手持ちのちりめん本を何本かアップしています。ちりめん本は「crepe paper book」と英訳されていて、これで検索するとたくさんのちりめん本がヒットします。
今年最後の月、この画像をそのままプリントアウトして壁に鋲止めして楽しんでください。
欅だけでは薄く、木口どうしの接着の補強のためもあって、チーク薄板5.5mmをはりました。この薄板ゆるく反っていたので、中央で切って再び接ぎ合わせながら全面接着です。
画像をみても、中央で接着しているのですけど、まったくわかりません。
もう一方は欅そのまま、両面ともに凹凸なくきれいに仕上がりました。
The Last Day
Wrath, Ruin, and Reason in the Great Lisbon Earthquake of 1755
Nicholas Shrady
山田 和子訳
白水社
リスボン西南200kmあたりが震源で、大きな海溝もなくほどほど平らな海底で、なぜあのような巨大地震のとなったのかは、今も不明であるそうだ。最近の研究ではどうやら大陸移動の割れ目ができつつあるのではないかといわれている。
以上はこの本には何にも記されてなく、わたしがネットで得た知識です。
この本は、この大地震の復興にあたってとてつもなく大きな役割を果たした、カルヴァーリョの伝記といってもさしつかえなさそうです。
『彼が行った変革の数々は、恐るべきものだった。奴隷制の廃止、新キリスト教徒と従来のキリスト教徒の間の差別の撤廃、すべてのポルトガル人が国家の職務に就けるようにし、法のもとでの全国民の平等を確立したこと』
とあり、さらに『産業と教育の場で彼がなしとげたことは驚異的としか言いようがない』
とあります。
ポルトガルは20数年前に観光で訪れたことがあり、そのときはカルヴァーリョのカの字も知らなく、宮殿やお城を散策しました。街の中をくまなく、また河畔や海辺をあるき回りましたが大地震の記念碑や何らかの大地震にまつわる説明パネルは見なかったようにおもいます。
イエズス会の宣教活動を隠れ蓑にした日本侵略はあやういところ、なんとか日本は切り抜けましたが、本国のポルトガルではイエズス会に国家を乗っ取られるてしまったという話は、なんとも皮肉な話でありました。
4つ目は根気よくベルトサンダーで平らにしながら平面を出します。それから木口どうしの接着補強のためネジで締め、
丸棒で穴埋めをしました。
5つ目は薄いのでクランプすると浮き上がってしまい、そのためにまたクランプと汗。
こちらはネジで補強ができないので、チークの薄板を貼ります。