2017年7月31日月曜日

ノックダウン家具のこと その2

 先日、新聞記事でひきつけられたのがこれです。



 「動的平衡」の著作者 福岡伸一さんの記事です。
小さいコラムですが、毎回想像力がかき立てられる内容のものが多く
興味深く読ませてもらっています。

 この回の要点は、
「作ることは壊すこと」です。
そして、「それは生命のあり方」であると締めくくっています。

 素晴らしいです。
どうしてボク自身がノックダウン的な製品や考え方が好きなのか、
不思議に思っていたところがあるのですが、
それが生命のあり方なのだと光をあてられると、
なるほどそうだったのかと強く肯いてしまうのです。

 

2017年7月30日日曜日

ノックダウン家具のこと その1

 絵日記帳はなぜか次のページが8月9日になっている。
なので、その日あたりまで絵日記帳は中休みとしましょう。
 
 さて表題の件、
和製英語ではないかと改めて気になって調べてみた。
knockdown furniture , knocked-down furniture などとあって
組立家具とある。
どうやら和製英語ではないようだ。

 ボクは子どもの頃より、このノックダウン製品が魅力的であり好きなのでありました。
小学生のころ楽しんだ「少年」などの雑誌の付録が
今で言うノックダウン付録でした。

 糊などはほとんど使わずに、ひたすらボール紙の突端をそれぞれ対応する箇所に
はめ込んで形にしてゆくのであります。
戦艦になったりゼロ戦ができたり戦車に仕上がったりする。
飽きると、今度はバラしてボール紙が平たくなるのです。

 ネットで調べるとこんなものもありました。




イイなぁ。

 こんなことを繰り返しているうちに、
ノックダウン方式が体に染み込んで、
今でも何かを作るときには、
同時に分解できることを並行して考えるようになったのかもしれません。

 家の建築でも、日本の伝統的な木造軸組構法が好きです。
今住んでいる家は、檜柱でその伝統工法で作りました。
まぁ、分解して再利用が可能というだけで、
そうしてしまったら、住むところがなくなってしまいます。


2017年7月29日土曜日

絵日記帳 その8




 7月と8月を間違えて、消しゴムを使ったあとが多い。
この日だけでなく、この絵日記帳全体にある。

 毎日書いたのではなく、何日か分をまとめて書いていたのだろうか。
しかし毎日でないとして、数日前のことを思い出せないとおもうだんけどな。

 少なくとも、夏休み終了間際に全部を仕上げたということはなさそうだ。




2017年7月28日金曜日

絵日記帳 その7




 すごいな。
母親とチャンバラをやっている。
こんな記憶は微塵もないんだけどなぁ。

 いくら、ひどくおこられたって
母親にチャンバラなんてしかけないぞ。

 中学生のとき、反抗期まっさかりのときに
母親につかみかかった記憶はあるけど・・・
齢とった今となっては、そのときのことは
とても反省しているし、消してしまいたい記憶なんだけど
そうおもうほどに、しっかり刻み込まれてしまい
一層悲しくなる。

2017年7月27日木曜日

絵日記帳 その6




 今日7月27日はボクの誕生日です。
この日記の年と今年の歴は同じで、日記の月曜日は間違い。
木曜日のはずです。

 何もかも貧しさのせいにしてはいけないことだけれども、
絵日記帳なのだから、
「今日はぼくのたんじょうびです。おかあさんがおせきはんをたいてくれました。」
とかなんとかの日記になってほしかった。

 子どもの頃を思い出しても、誕生日のお祝いをした記憶がない。
してくれたのかもしれないが、印象がないということは
たいしたことはしてくれなかったということだろう。
こんなこというと天罰がくだるか。
ゴメンナサイ。
そして、兄弟の誕生日も盛大にお祝いをしたということがなかった。

 でも、大晦日や正月の行事は必ずしてくれたな。
今でもハッキリ覚えている。
ありがたいことだ。

 今にしておもえば、
普段、口にすることのなかった、いやできなかった
ハムやウインナーなど高級な食材を見るだけで
心ときめいたものだ。

 貧乏をいくらか脱したのは
ボクが高校生になった以降くらいだろうか。

 母と何かの用事で横浜駅へ出かけた。
昼飯時になって、母は迷わず横浜駅の京急の立ち喰い蕎麦屋へ速足で急いだ。
家を出るときからそうときめいたのかもしれない。

 店は昼時で、当然混み合っていた。
母は自分の分にかけそばを注文して、
ボクには、いよ母ちゃん太っ腹ってな感じで
好きなもの好きなだけ食えという。
ごった返している店の中のみんながこちらを振り返った。
ボクは恥ずかしかったが、母はニコニコしながらドヤ顔であった。

 母と同じ、かけそばを注文した。
母より速く食べ終えてしまい、
それを見た母は、もう一杯
もっと上等なものを注文しろという。

 ボクは恥ずかしくてはやく店を出たかったのだが、
母はしつこくボクにせまる。
しょうがないので、天ぷらそばを頼んだのだが、
母はそれを見て、もっと栄養をつけろとボクをせっつく。

 ボクはもうやぶれかぶれになり、決死の覚悟で
天ぷらそばに、玉子をひとつおとしてくれるようお願いした。
母はそれで良いというふうに、これまたしたり顔であった。

 はやく店を出たい一心で、がっついて天ぷら玉子蕎麦をかっこんだ。
ところが母はまだ食い終わってない。
しまった、とおもったのと同時に、ジロリとボクを見上げ
もう一杯食えとひじでつつく。

 ボクはもうたまらなくなって、
外で待ってるからと言って、店をでた。

 しばらくして、店を出てきた母の顔は
子どもに腹いっぱい好きなものを好きなだけ食わせてあげた満足感と
湯気立ち込める店の中にいたせいか、
頬が赤く上気して、にこやかな表情であった。


2017年7月26日水曜日

絵日記帳 その5




 この日は、絵日記帳の絵だけの日だったようだ。
この絵日記帳はそんな日が何日かある。

 生まれた家には風呂はなかった。
僕自身、自宅のたらいの中で生まれた。
そのたらいはボクが成人してからもあったのだが、
アパートを建て替えるときの引っ越しで処分してしまった。

 夏暑いときに、母は産気づいた。
お産婆さんを呼ぶために、そんな体で脳天から陽が射す昼日中、
電話をするために近くの赤電話まで歩いた。

 たらいの中で生まれたかどうかはわからないが
とりあげられてすぐにそのたらいで産湯をつかったのは確かなようだった。
へその緒を見せられた記憶があるのだが、あれはどこにいってしまったんだろう。

 そのたらいをのことは、母から何度か聞いたことがあった。
戦後しばらく父の母とそのアパートで同居していた時期があった。

 家は貧乏だった。
銭湯のお金も惜しんだ。
お婆さんは不平不満は一切言わずに、そのたらいを風呂代わりにしていた。
母は農家の出で、貧乏とはどのようなものであるか、そしてそれら苦労は体にしみている。
その母が、お婆さんは我慢強い人だったとため息混じりに言っていた。

 明治18年生まれのその祖母は、彦根藩は福島家の武家の出である。
よく時代小説を読んでると、武家の妻や娘の話が出てくる。
このお婆ちゃんの印象は、一本筋のとおったブレのない品のある人、だったなぁ。
武家の躾で育てられると、あんな感じの人になるのかと今もおもっている。

 この絵は銭湯なのだが、
家に風呂はなくても、赤ん坊のときからずっと入ってきたので
自分ちの風呂とかわらない。

 同級生がこの風呂の息子だったので、良い遊び場でもあった。
この銭湯のおもいではたくさんありすぎて、書ききれない。
もう亡くなってしまった風呂屋のおじさんやおばさんにはたくさん迷惑をかけた。

 長い旅行から帰ってきたときや、
所帯をもってから実家に帰ったときなど、 
この銭湯の煙突をみると、自分ちに帰ってきたぞとホッとさせてくれる
シンボルチムニーなんだと、いつもおもう。


2017年7月25日火曜日

絵日記帳 その4




 おいしいおれんじじゅーすか。
当時は、オレンジとは名ばかりで、ほとんどみかんジュースだったな。

 おれんじゅーすの記憶はないが、
強烈なのは、「渡辺ジュースの素」です。
粉末で色粉とサッカリン100%って言う感じの品物。

 家ではその手のものはまず購入してくれないのだが、
なぜかあったな。
粉末を溶かして飲むより、粉をなめて甘さを楽しんでいたほうが多かった。
まだ、販売しているのかな。