2017年7月27日木曜日

絵日記帳 その6




 今日7月27日はボクの誕生日です。
この日記の年と今年の歴は同じで、日記の月曜日は間違い。
木曜日のはずです。

 何もかも貧しさのせいにしてはいけないことだけれども、
絵日記帳なのだから、
「今日はぼくのたんじょうびです。おかあさんがおせきはんをたいてくれました。」
とかなんとかの日記になってほしかった。

 子どもの頃を思い出しても、誕生日のお祝いをした記憶がない。
してくれたのかもしれないが、印象がないということは
たいしたことはしてくれなかったということだろう。
こんなこというと天罰がくだるか。
ゴメンナサイ。
そして、兄弟の誕生日も盛大にお祝いをしたということがなかった。

 でも、大晦日や正月の行事は必ずしてくれたな。
今でもハッキリ覚えている。
ありがたいことだ。

 今にしておもえば、
普段、口にすることのなかった、いやできなかった
ハムやウインナーなど高級な食材を見るだけで
心ときめいたものだ。

 貧乏をいくらか脱したのは
ボクが高校生になった以降くらいだろうか。

 母と何かの用事で横浜駅へ出かけた。
昼飯時になって、母は迷わず横浜駅の京急の立ち喰い蕎麦屋へ速足で急いだ。
家を出るときからそうときめいたのかもしれない。

 店は昼時で、当然混み合っていた。
母は自分の分にかけそばを注文して、
ボクには、いよ母ちゃん太っ腹ってな感じで
好きなもの好きなだけ食えという。
ごった返している店の中のみんながこちらを振り返った。
ボクは恥ずかしかったが、母はニコニコしながらドヤ顔であった。

 母と同じ、かけそばを注文した。
母より速く食べ終えてしまい、
それを見た母は、もう一杯
もっと上等なものを注文しろという。

 ボクは恥ずかしくてはやく店を出たかったのだが、
母はしつこくボクにせまる。
しょうがないので、天ぷらそばを頼んだのだが、
母はそれを見て、もっと栄養をつけろとボクをせっつく。

 ボクはもうやぶれかぶれになり、決死の覚悟で
天ぷらそばに、玉子をひとつおとしてくれるようお願いした。
母はそれで良いというふうに、これまたしたり顔であった。

 はやく店を出たい一心で、がっついて天ぷら玉子蕎麦をかっこんだ。
ところが母はまだ食い終わってない。
しまった、とおもったのと同時に、ジロリとボクを見上げ
もう一杯食えとひじでつつく。

 ボクはもうたまらなくなって、
外で待ってるからと言って、店をでた。

 しばらくして、店を出てきた母の顔は
子どもに腹いっぱい好きなものを好きなだけ食わせてあげた満足感と
湯気立ち込める店の中にいたせいか、
頬が赤く上気して、にこやかな表情であった。


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