2017年7月24日月曜日

絵日記帳 その3




 この頃になると、毎週ではなかったが
土曜日の夕方前ころに帰宅することが多かったようにおもう。

 家には電話もテレビもなかった。
冷蔵庫はあったとおもうが、どうだったろう。

 父の帰宅が近づくと、母は耳が痒くなるからわかるといい、
子どものボクは、ニオイでわかった。
家の中に父が帰宅していれば、そのニオイはとても強いので
すぐに分かるのだが、
家に帰宅するにはまだ距離があるときでも、ましてや車の中にいるのに
どうして、ニオイでわかったのだろう。
はずれたことはなかった。

 帰宅すると、財布ごとボクにわたして、
アイスクリームのお使いをさせられたり、
商店街へシュークリームを買いに行ったりした。

 父は横浜は伊勢佐木町で生まれ育った。
横浜の家に帰宅すると、開放感があったのだろう。
ボクを連れて、近所に散歩によく行った。

 近くの商店街散歩もした。
野毛や桜木町、伊勢佐木町のいわゆるイセブラもなつかしい。
少し足を伸ばして、
まだカマボコ兵舎があった生麦周辺、アメリカへのあこがれみたいなのが芽生えた。
山の手の外人墓地から山元町へ尾根伝いを歩くこともあった。
天気が良ければスカ線にのって、鎌倉・北鎌倉へ、これはずっとあとのことだったが。

 父のニオイは今でも、鼻のおくでくすぶっているような気がする。
今は、父の墓のそばに住んでいるのだが、
父のニオイが感じられないのはどうしたわけなんだろう。
少し寂しい。

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