2017年7月8日土曜日

人工知能と人口知性

 人口知性って、あまり聞かないな。
喜怒哀楽の感情や、私はこれをなんとしてやりとげますっていう意志と並ぶ言葉が知性か。

 「あいつは知性がないんだよな」とは言っても
「あいつは知能がないんだよな」となると、「あいつはお馬鹿さん」と言っているのと同じだ。
知性がなくとも、秘書をとことん愚弄するような頭が良さそうで弁のたつ知能に秀でた政治家はいるしな。

 人工知能は、人並み以上にものごとを処理することのできる能力をもち
なおかつ、人が考えているようなことをまねて判断ができるコンピュータ(プログラム)
のことなのかもしれない。

 でも、人間が思考しているとの同じことをコンピュータがしているとは限らないんじゃないかなぁ。
人間の思考にしたって、どんなふうに考えているかは解明されてないでしょう。
ひらめきなんて、ニューロン神経細胞がバチバチってスパークするみたいに
火花飛ばしてできてんのかなぁ。

 Deep Learning だって、プログラムを開発人たちが勝手に「考えている」って
命名しているだけだし、頭から鵜呑みにしてはいけないな。
囲碁のプログラムなんて、画像処理の究極っていう感じが最初にもつ印象だよ。
石の置き方のパターン認識で、どのような石の配置になったら優勢になり勝利できるのか。
そのためには、どんなパターンの配置に石を置けばよいのか。
そんなことを、現実離れした回数を延々と繰り返しパターンを決めていく。

 昔いっときはやった、「電脳」という言葉のほうが、
人口知能より、ぴったしのような気がする。



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