新潮社 木内昇 著
新潟県南魚沼市に鈴木牧之記念館があるという。
春になり雪がとけたら、といっても車でゆくには4月下旬ころになってしまうかもしれない。片道3時間弱のドライブでいけそうだ。
わたしの母方の祖父勇三郎は明治28年(1895)生まれ、その祖父の祖父である新三郎は天保2年(1831)年生まれ。
わたしが子どものころ、勇三郎じいさんから聞いた「爺さんが新三郎爺様の子どものころはなしをたくさん聞いたものだが・・・」というはなしは、1840年前後の天保年間頃のこととなります。
また、父方の祖父謙造は明治14年(1881)生まれ、その祖父の祖父である利助は文政4年(1821)生まれ。
やはりこの謙造じいさん(気難しく、帽子フロックコートそして下駄の外出姿が格好良かった)から聞いた「おれが利助爺様の子供のころのはなしをあれこれ聞いたものだが、その話の中には、地本問屋のものもたくさんあった。おれが紙工の店をかまえたのも(爺さんは伊勢佐木町でいろいろな箱の製造や、紙類をあつかっていた。しかし関東大震災で消失し、再興したものの、今度は横浜大空襲で灰燼ときした。それが原因だろうか、爺さんの笑顔を見たことはとうとうなかった)、利助爺様のはなしがきっかけかもしれない・・・」。やはりこの謙造じいさんのはなしも天保年間最初の頃のはなしとなるのであります。
この小説の内容はおよそ200年前頃が舞台となっていますが、読むうちにすっかり引き込まれ、つい手を伸ばせば届くくらいの気持ちになってしまいました。
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