2021年3月7日日曜日

「さよなら!」ハラスメント 小島慶子編 を読んでいる

 伊藤公雄氏との対談で伊藤氏が興味深いことをおっしゃられていた。

・1970年前後に欧州のフェミニズム運動が要求したことは、法制度上の家父長制の廃止、離婚ができる権利、レイプされた場合や病弱や経済的な理由での中絶の権利だった。しかし日本は敗戦後の段階でこれらはクリアされていた。

・フランスでは1965年まで結婚した女性は夫の許可なしに働いてはいけないと法律できめられていた。また、女性は65年まで自分の名前で預金通帳がもてなかった。

・欧州の多くの国で家父長制条項が法律から完全に排除されたのはたぶん80年代。

・米国では70年代までは女性は自分の名前でクレジットカードをもてなかった。州によってはもっと遅くて80年代になってからのところもあるとおもう。

やはりえっとおもってしまいます。

 日本で婦人参政権が成立したのは戦後1945年10月10日に閣議決定されたとあります。最近のことなのです。ひとつの権利が認められ実施されるとはいっても、翌朝からすべてがガラッと変わることなどありません。それ以前、数百年数千年の蓄積が人の心には巣食っているのですから、それらを崩し廃棄しなければそれらの権利が日常で当たり前のこととはなりません。鑿(のみ)で硬い石を穿(うが)つようにコツコツ地味に崩し続けることが大切です。あせってはなりませぬ。


 

2021年3月6日土曜日

Spring has come

 庭の雑草が元気になりだしました。今年は自分で雑草刈りができるだろうかどうか心配になります。今からシルバーさんに2,3回の草刈りの予約を入れておこうかと悩んでしまいます。

どうしようかな・・・

 ラジコンの戦車みたいなのに草刈りの機械を取り付けてといった程度のもので良いから、お手頃値段でないものかとおもいます。

 

2021年3月5日金曜日

「境界線の学校史」戦後日本の学校化社会の周縁と周辺 を読んだ

木村元[編]。東京大学出版。¥3600円

 P10注に周縁を法令上の境界線あるいは拡張された境界線の内側、周辺を外側として表記するとあります。この本の英文の題名はBoundaries of Japanese Public Education:A History of Schooling Society and Borders とあり周縁と周辺を区別していません。ひととおり通読するといわんとすることはなんとなくわかりますが、言葉の定義としては不明確で専門的な議論をする土台としては失敗していると考えます。

 ここからはこの本の主題と離れます。P156(3)宮坂哲文の生活指導,(1)宮坂の特設道徳批判のなかでP157に『宮坂によれば道徳教育は、「子どもたちの日々の生活に根をおろした形で行われていかねばならない」。なぜならそもそも道徳は「日々の生活のなかで子どもたち自身によって学びとられ、獲地取られていくべき性質のもの」であって、「子どもに話してきかせるというような形で教えることのできるものではなく、子どもたちのなかに道徳を育てるという形でしか教えることのできないもの」だからである(宮坂1959:121)』とあります。

 このあとこの考え方は政治経済や時代の潮流により批判されてゆくことになりますが、わたし自身は概ねこの考え方がどのような時代になっても不変であろうとおもうしそうあってほしい。小中高さらに大という教育の中で道徳についての教育は必ずしも必要と考えませんし、するのならば折にふれて行えば十分ではないでしょうか。それを現在は教科になっていて評価までするというのですから狂っています。それが正しいこととするならば、就職試験などで使用される履歴書の項目に道徳を付け加えてほしいものです。

 この本を読みすすめるうちに、途中からアレッと感じてくることがありました、1950年代60年代の教育の動きが、そのまま現在と妙に重なる部分があり、この本はそのまま現在の教育の動きを表しているのではないかとおもいました。

 

2021年3月4日木曜日

20210304庭散歩

 ブルーベリーは蕾がふくらみ少し開きだしている

 これは小さな白い花が満開。こんな時期に咲くんだっけ?。名前はえぇーっとサルココッカ。開花時期は4月5月と説明書にはあったけど。

 次は、このくらいの若葉というか新芽くらいが柔らかくて食べごろ。ルッコラセルバティカ。家の周りあちこちにすっかり根付いた。

春だね

 

2021年3月3日水曜日

「蜜蜂と遠雷」恩田陸 著 を読んだ

 おもしろかった。読みながらしきりに学生の頃読んだ人類学者川田順造さんの「音・言葉・人間」をおもいだしていました。そのときに読んだ驚きと感動が大きかったのでこんなジジイになってもそのときのことはちっとも薄れていないのです。本の題名の通り言葉の前に音がありそれですべてを伝えることができていた。前々回のBlogでもふれましたが、ヒトは言葉を使いこなす以前に現在の人なみの脳の大きさになっていてそれはゴリラの約3倍もあるのは、コミュニケーション能力のためだろうというはなしと無関係ではなさそうな気がします。

 読み終わって「蜜蜂」も「遠雷」も音なのだと気づきました。


 

2021年3月2日火曜日

今日はこれから雨降り予報

 ありがたいお湿りになります。この乾燥しきった空気が鼻周りや呼吸がグッと楽になるはずなのでうれしい。湿った空気の匂いも久しぶりになる。

降ってくれ降ってくれ、助かるよ♪

 

2021年3月1日月曜日

昨年の今頃

2021年3月1日です。昨年は3月2日より小中学校全国休校になり高校もすぐに同様となりました。

 コロナ騒動は今日までたった1年間のことなのですが、もっと長い期間そうしていたような気がします。

 新聞記事の山極寿一さんの「科学季評」欄を楽しみにいつも読んでいるのですが先月の内容もとても興味深かった。人間の脳はゴリラの3倍ほどなのだそうだ。そしてそれは言葉が登場する以前にそうなっていたという。ではなぜそんなことがおこったのか。山極さんはひとつの具体的な例を示す。ゴリラなど類人猿はいったん自分の集団(群れ)を離れるとなかなか元のところへ戻れないし、一日のうちに複数の集団を渡り歩くことなどとてもできないそうだ。集団に参加するには仲間と心身を合わせる必要があり、類人猿にはそれができないからだと原因を述べている。

 ここからはジジイの勝手な推論になる。ヒトが生き残りをかけたのは集団を渡り歩く能力が他の生き物より優れていたからか、というかそのようなことを繰り返すうちに獲得したためか。嫌な言葉でいうと征服欲。受け入れられやすい言葉にするとコミュニケーション能力。この能力は直接に接するという前提で獲得してきた。現在の状況で言えば三密が前提ということになる。

 で、コロナに戻るとその三密回避は数年続くと思うけど、なんらかの影響が出そうな気がする。一番に現れるのは成長過程の赤ちゃんや子どもたち。なにかできることを手を差し伸べなければと考えるのだけれど・・・