申し込んでから約半年かかって、読書できた。
そして、引き続き予約待ちがあるということで、貸出延長不可となっている。
一日半で読了し、次の人に申し訳ないのですぐに返却した。
表紙の写真に心打たれた。
戦地からの引き上げ兵だろうか、敬礼をして礼をしている。
命からがら引き上げてきたにしては、ずいぶんと沢山の荷物をしょっている。
誰に敬礼をしているのだろうか。
表紙を開くと、写真は折り込まれた部分に続く。
その折り込まれた部分の写真にグッときた。
しばらく、硬い表紙を開いたり閉じたりして、写真を見返した。
手で簡単に折り返して見るほどには、その折り目のところの時間の重みは超えられないだろう。
いたたまれない。
どの短編もグイグイ引き込まれる。
ひとつの短編を読み終わると、
ボーッと外を眺める。
青空を眺める。
その短編を読んでる時間よりも長く空を見ていたかもしれない。
傷痍軍人がでてくる。
わたしも子どものときに見ている。
横浜駅の東西地下通路によくいた。
その光景の記憶は、地下通路のちょっとすえた臭いも呼び出す。
母はひどく彼らを嫌っていた。
中国戦線で看護婦をしていた母は、グラマンの機銃掃射のなか、爆撃機の爆弾の下を
逃げ回っている。
戦場がどんなものか知っているだけでなく、からだが反応してしまう。
傷痍軍人の前をゆるい弧を描いて避けるように通り過ぎるとき、
必ずボクの手を握っている母の手は、力が入り速足になっていた。
この本で第43回大佛次郎賞を受賞したわけだが、オヤっとおもってしまった。
賞にふさわしくないとおもったのではない。
「帰郷」の中の短編は、浅田氏が書いてきているそれまでの短編と
それほど変わらないと感じたからだ。
この短編集で賞をとったのなら、それまでの短編集でもなんらかの賞をとってもおかしくない。
もちろん浅田氏は今までにたくさんの賞をとってきている。
戦争を扱った、または背景にした物語集だからだろうが、うーん。
浅田氏には失礼かもしれないが、
この本は今まで書いてこられた氏の短編の質をしっかりと保っている。
決して下がっていることなどない。
そうすると考えられるのは、まわりに「帰郷」をこえる作品がなかったということか。
まっ受賞自体はめでたいことなので、なんくせなどつけるつもりはこれっぽっちもありません。
年内に次の予約の人が読めるようにあわてて返却しついでに
「五郎治殿御始末」を借りてきた。
浅田氏の時代劇もおもしろい。
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