「真珠湾攻撃総隊長の回想」講談社P375_376より。
淵田美津雄は米国伝道の途中、ニューヨークでマッカーサーに夕食を招待される。
そのときにマッカーサーが語った内容が記されている。
[以下は食事中、彼が私に語ったところを継ぎ合わせたのである。
彼は言った。
「占領軍最高司令官としてやったことは、すべてがよかったとは思っていない。恨まれていることもあろう。が、自分は日本を良くしたい気持をいつも念頭において、ワシントンをふりかえりつつ占領政策の遂行に当たってきたつもりである。
昨年(一九五二年)のメーデー事件は、共産主義者の煽動が背景をなしていた以外に、青年たちの反米感情も働いていたとされている。占領政策の反動として、反米的な流れが起こったとすれば、自分は非常に不本意である。日本へ行ってなんとかしたい衝動に駆られる。
日本憲法に戦争放棄条項を付加させたことは、今にして考えれば、時期尚早であった。当時自分は原子爆弾の出現によって、将来の戦争は勝敗がつかないだろうと考えた。敵も味方もともに滅亡する。まったく人類の破滅でしかない。そのような見地から、世界は戦争放棄の段階に近づきつつあるとの感を抱いていた。
日本を軍事的に無力化する連合国の方針もあったし、また日本をして率先、世界に戦争放棄の範を垂れさせようとの意図もあった。
ところがその後の世界の客観情勢は戦争放棄どころか、力に対するには力のバランスで、やっと平和を保っている。かくて日本も自衛力が必要だというふうに、自分は再考を余儀なくせしめられたのであった」
以上が、日本占領の最高司令官を解職せしめられて、丸腰となった往年のマッカーサー元帥の述懐であった。]
マッカーサーにどんな思惑があったかは知る由もないが、こう語ったことは事実だろうとおもう。特に何か発見があるという会話内容ではないが、打ち解けた素直な意見のような気がする。
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