2021年1月7日木曜日

パリの日本料理レストランの様子

 昨夜FaceTimeで話した内容です。

 パリのシャンゼリゼ通りの脇道を入ったところでもう30年以上開業しているレストラン。もう地元にすっかりとけこんでいて、いつもなら新年で賑わっているのですが、コロナコロナコロナです。店はそうなってから電話注文のみの持ち帰り料理、ほとんどはお寿司です。

 日によっては普段のレストラン業務の日の売上より多いときがあるというのですから、それなりに繁盛しているとのことで、よかった。もちろんいろいろな工夫をして売り込む努力をしたわけですが、どこの店でも同じようなことをしてもある程度売上が保ているというわけではなく、それまでのお店の信用や知名度、地元への溶け込み具合などがあったからでしょう。

 電話予約も売り切れで断ることも多いというのですから、大したものです。従業員は持ち帰り料理に必要な最小限の人数だけで、今までの従業員は国から給料に見合う額がでていると聞きました。店の経営者が身銭を切って、従業員へということはなさそうです。

 ただこのような形態がこの先いつまで続くのかは不透明ですから、先を見ること怠りなく進むしかなさそうなのが、ちょっと不安です。まぁとりあえずは現状に沿って経営できている。続けるしかありません。

 

2021年1月6日水曜日

Blogが2月でまる5年になります

 はじめたのが2016年2月でしたので、この2月が来るとまる5年記し続けたことになります。

備忘録のつもりではじめたのですが、あれあんときはどうだったけなどと振り返ったときに、あぁそうだったと確認できてそれなりに便利です。なので続いているのかもしれない。

 気楽に書き続けられそうなので、日々のことなどツレヅレナルママニ、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ、にはならないのですが、のんきに記してまいりましょう。

 

2021年1月5日火曜日

「鴎外は何故袴をはいて死んだのか」を読んだ

志田信男 著

公人の友社 ¥2500円

副題『「非医」鴎外・森林太郎と脚気論争』


 ジジイはこの脚気の話が好きで、板倉聖宣「模倣の時代」上・下 仮説社1988年や吉村昭「白い航跡」上・下 講談社1991年、また高木兼寛の伝記など読みあさっております。

 森林太郎はこの脚気論争では誰がどう見ても敗北しているわけです。日清日露戦争で3万強の兵隊さんを脚気で失わせた責任は取り返しがつきません。その責任の重さは防げば防げたのにさらに彼は軍隊の衛生における最高責任者だったのですから、軍法会議にかけられたら間違いなく死刑でしょう。この本でもでてきますが、ごく簡単にいってしまえば、「論より証拠」なのか「証拠より論」なのかということで、医療ではこれも議論の余地なく「論より証拠」なのであります。どんな理屈かよくわからないけど病気が治ればよいのです。

 著者は百万遍繰り返してもいい足りないくらいに数々の具体的な書籍を証拠に上記のことを(軍法会議と死刑は除き)述べています。現代の医学でも同じことが繰り返されてはいけないと強く危惧するからです。

 森林太郎個人についてはもうこれ以上新しいことは出てきそうにもありません。ジジイは何故この問題がもっとおおっぴらに公然とマスコミも文学界も医学界も他分野でも話題にならないかのほうに興味がうつっています。もう少し述べたいことはあるのですが、Amazonにこの本のとてもすばらしいレビューがあります。是非ともそちらのほうを読んでください。

 

2021年1月4日月曜日

茎茶

 ジジイの住居は狭山茶の本場。いたるところに茶畑がある。大きなところは丘陵のようになってなかなかの景観、霜被害予防のための電柱のてっぺんに扇風機がついたものがいたるところにある。

 ここのところ茎茶を飲んでいる。サッパリ感がほしいときにはこれにしている。また湯切れもよく普通の煎茶のように茶がきれる最後の一滴まで待たなくてよい。時間はいくらでもあるし、せっかちでもない性格のつもりだが、ささっとおいしいお茶を飲みたいとき茎茶は便利です。

 

2021年1月3日日曜日

「フィッシュ・アンド・チップスの歴史」を読んだ

パニコス・パナイー著

栢木清吾(かやのきせいご)

創元社 ¥2400

 とても細かくひとつひとつ仔細にわたる語り口。そのようなところは斜め読みすればよいのだろうが、ついつい読み返してしまう。なので読みづらい。

 食について語っているといつしか移民の歴史に話がうつっている。日本の餃子やラーメンなどの食についてたどるとやはり中国からや台湾からの移民移住者の活躍、また日本人の満州地域への移住という侵略に関係してくるのと同様だろう。それにしても19世紀前後からの英国への移民流入者はなかなかにすさまじかった様子がわかる。今に始まったことではなかったのだな。

 ウナギが17世紀の頃にはすでに養殖されていたというのがおもしろい。ウナギはフィッシュアンドチップスとともに貧困層の栄養源であったが、日本では昔より高級品の扱い。ウナギでもマグロでもなんでも輪切りにして食ってしまう国民と開いて捌いて平にする国との違いだろう。

 フィッシュアンドチップスがユダヤ民や貧困層のくいもんだったということからそれらの食べ物とかれら民族の一体感みたいなものが納得できるが、「英国らしさ」を示すものとしての食べ物がフィッシュアンドチップスであるというととても違和感がある。何も「らしさ」をあらわす食べ物がないのでやむなくそれにしたという感じ。後付だな。あれだけ百年以上も食べ物と一緒に労働者階級や貧民窟やそこに住む人たちを蔑んでバカにしてきたのに、よくもまぁ白々しくフィッシュアンドチップスが「英国らしさ」を表すものだといえるところが「英国らしさ」を示している。どうしようもない国だね。著者の庶民の語りを丁寧にひろう姿勢は好感をもった。

 

2021年1月2日土曜日

ロンドンの思い出2

 貧乏旅行なので安い店を探して腹を満たす。その晩は英国名物フィッシュアンドチップス。どうもまずくはないがうまくもない。食べたのはこの一度きりで、その後今まで一度も食ってはいない。中華やインドカレーはよく食った。

 2階建てバスに乗ると眺めがよい。走っていると石壁の向こうに芝地がありスポーツができそうな広がりがあるところがよくあった。あるとき野球みたいなことをしているのを目にした。あぁこれがクリケットかとしばらくして気づく。注意していると売店の新聞にそのクリケットの試合結果が写真入りの記事で載っているのをよく目にした。

 ロンドンからフランスへ戻るときは念願のホバークラフトを使った。小学生の高学年に自分で設計しバルサ材で模型を作るくらい大好きな乗物であった。それに乗る。興奮した。早めに乗船場へ行き、実物をみる。おもっていたよりかなりでかい。窓側のながめの良さそうな席をとった。さて出発。けたたましい音でホバークラフトが浮き上がりその音とは反対に滑らかに斜めになったコンクリートの滑走路?を滑り降りる。海上に出た。相変わらずエンジン音やプロペラ音やわけのわからない音がごっちゃになって凄まじい音。外の様子はどうだろう。顔を窓に近づける必要もなく、窓一面波しぶきで何も見えないではないか。ガッカリ。轟音ではあったが、揺れも少なくフランスの地を踏んでも揺れることはなかった。

 1974頃のおもいででありました。


 

2021年1月1日金曜日

ロンドンの思い出1

 ロンドン着一日目の晩飯は中華レストランに入った。床が揺れている。食欲はあまりないのだが腹は減っていた。フランスからドーバーを連絡船で渡った。大きい連絡船で港に停泊しているときは揺れなどなかったのだが外海に出たとたん大きな揺れと窓ガラスを飛沫が激しく打つ。船酔いはしないほうなのだが、テーブルの上の物が右に左にと動き回るほどの揺れが次第にこたえてくる。

 同室にいる小学生くらいの集団がどうやらスイスから来ている修学旅行生のようだ。彼らはハンカチやタオルなどで口を押さえながらトランプをしていた。この子どもたち誰かがフランス語を話すと全体がフランス語になり、なにかの拍子にドイツ語のような言葉を話すとその言葉を全員が話す。バイリンガルかトリリンガルか、そんな区別は不要で、要はいくつかの言語がごっちゃになったのがかれらの育った地域の言葉だということだろう。

 下船してからも足元は揺れ、チャイニーズレストランでも揺れ、宿泊したベッドの中でも揺れていた。


 朝、散歩に出た。しばらく歩くと墓地があった。誰もいない。墓標を読んで歩く。故人の名前があり亡くなった日付があって、そのあと ”Beloved” とつづく。次から次へと歩むにまかせ目にはいるまま見ていくと、日付の大半が第二次世界大戦の頃のものだった。戦時中ナチスのロケット攻撃の被害者か、それとも従軍して東南アジアで戦士したものか、あれこれ考えた。


 またある朝、今度はややにぎやかな方へと散歩する。朝は早いが車や歩行者もそれなりに出ていた。石畳の道路を牛乳配達だろう、ガチャガチャと音を立てながら軽トラックが走ってゆく。赤信号で止まると、そばを歩いていた絵から出てきたような細い傘に帽子とピシッと身なりを整えたイギリス紳士がそのトラックからひょいと何のためらいもなく牛乳ビンをぬきとった。青信号になって牛乳配達の軽トラックは走ってゆく。紳士は牛乳瓶をかくすでもなくブラブラさせながら悠然と歩き去った。

つづく