ロンドン着一日目の晩飯は中華レストランに入った。床が揺れている。食欲はあまりないのだが腹は減っていた。フランスからドーバーを連絡船で渡った。大きい連絡船で港に停泊しているときは揺れなどなかったのだが外海に出たとたん大きな揺れと窓ガラスを飛沫が激しく打つ。船酔いはしないほうなのだが、テーブルの上の物が右に左にと動き回るほどの揺れが次第にこたえてくる。
同室にいる小学生くらいの集団がどうやらスイスから来ている修学旅行生のようだ。彼らはハンカチやタオルなどで口を押さえながらトランプをしていた。この子どもたち誰かがフランス語を話すと全体がフランス語になり、なにかの拍子にドイツ語のような言葉を話すとその言葉を全員が話す。バイリンガルかトリリンガルか、そんな区別は不要で、要はいくつかの言語がごっちゃになったのがかれらの育った地域の言葉だということだろう。
下船してからも足元は揺れ、チャイニーズレストランでも揺れ、宿泊したベッドの中でも揺れていた。
朝、散歩に出た。しばらく歩くと墓地があった。誰もいない。墓標を読んで歩く。故人の名前があり亡くなった日付があって、そのあと ”Beloved” とつづく。次から次へと歩むにまかせ目にはいるまま見ていくと、日付の大半が第二次世界大戦の頃のものだった。戦時中ナチスのロケット攻撃の被害者か、それとも従軍して東南アジアで戦士したものか、あれこれ考えた。
またある朝、今度はややにぎやかな方へと散歩する。朝は早いが車や歩行者もそれなりに出ていた。石畳の道路を牛乳配達だろう、ガチャガチャと音を立てながら軽トラックが走ってゆく。赤信号で止まると、そばを歩いていた絵から出てきたような細い傘に帽子とピシッと身なりを整えたイギリス紳士がそのトラックからひょいと何のためらいもなく牛乳ビンをぬきとった。青信号になって牛乳配達の軽トラックは走ってゆく。紳士は牛乳瓶をかくすでもなくブラブラさせながら悠然と歩き去った。
つづく
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