2019年11月3日日曜日

「刀狩り-武器を封印した民衆-」を読んだ

刀狩り 武器を封印した民衆 岩波新書 新赤版
岩波書店 2005.8
藤木 久志 著

 三つの刀狩りを語る。
1つ目。
秀吉の刀狩りである。
刀狩りであるが、所持することは頓着しなかった。武士は武士らしく百姓は百姓らしくしろと見た目で身分がわかるようにしたとも言う。当時は武士以外でも脇差は普通に所持しさして出歩いていたようだ。

2つ目。
明治初年の廃刀令。
これも帯刀(2本さし)を禁止しただけで、袋に入れたりしていれば問題なかった。
ほとんど秀吉のころの刀狩りと実質的にはかわっていなかった。

3つ目。
第二次大戦敗戦後、進駐軍マッカーサーが命じ、日本の警察などが実施した。
これは前の2つに比べて、日本国民が武装解除されたといってもよかった。
敗戦直後だったので、戦争に使用された銃、武器などが目的で、前の2つとはちょっと意味合いが異なった。飛行機類も一箇所に集められ1万機以上あったという。

 小学校以来、日本に鉄砲や刀などがないのは秀吉の刀狩りがあったからだという神話が嘘であったことがよ〜く理解できた。しかしなぜ世の学者たちはこんな事実をほったらかしにしていたのだろう、そのことのほうが問題である。
この歳になっても歴史上の嘘がひとつ減ったということはうれしいものである。



 刀のことばかりを述べたが、銃についてもこれまた新鮮な歴史的変遷を知ることができた。
歴史的に見ると、銃の所持は禁じられることなく免許性になりその扱いが厳しくなったものの、時代が下るに従いむしろ増加し、あるときは武士や軍隊がもつよりも農民が所持しているもののほうがおおかったくらいであったというのだ。

 また、明治以前の百姓一揆などは、作法があって農民は農業の道具を武器にはしたが、所持していたはずの銃や刀はしようしなかった。領主も銃を農民に向けることはなかったという。

 著者はその他にも重要な指摘をしているが、それらは本書を読んでくださるのがよい。

 わたしの関心は、秀吉の刀狩り以来日本国民は武装解除されたという神話が何故はびこり続けたかのほうにある。
 だってそもそも秀吉の刀狩りですべての武器がとりあげられたのなら、明治になって廃刀令などだす必要なんてなかったではないか、そしてさらに敗戦後、銃以外にもおびただしい数の刀剣類が集まった。廃刀令のあとでも刀剣類はまだまだたくさん世の中には出回っていたのだ。

 小中学校の歴史の時間で、刀狩りも廃刀令も学ぶとおもう。
ジジイ自身振り返ると、振り返る時期や時間はいくらでもあったのに、刀狩りが完璧であったのなら廃刀令はなぜ必要だったのかという疑問を持つといことはなかったようにおもう。そこがとても情けなく、恥じ入る。年号を覚えることにキュウキュウとしてばかりだったのだろう。

 いろいろ考えることはあるが、長くなった。
もうこのへんでおしまい。


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