表題の下には「幕末明治のテクノクラート」とある。
テクノクラートは『政治経済や科学技術について高度の専門的知識をもつ行政官・管理者。技術官僚。』と辞書にありました。
鳥羽伏見の戦いでは大阪城を将軍慶喜と数名が退散しますが、城の金蔵には莫大な小判がありました。それを間一髪、そのほとんどを運び出したのがこの人物とあり、感動!
勝海舟のこともでてきます。彼の海軍での無能ぶりは有名です。「だが、彼には、人一倍すぐれた才能が備わっていて、・・・、巧みな弁舌をもって周旋・調停をする能力」とあり、「当時は、『勝の本領は政治的調停人で、昔も今も海軍はただ籍をおいているにすぐない』ということは、消息筋は誰もが知っていた。彼の過去の事歴を知る人が、まだ幾人も存命していたからだ」と記されています。
書中、福沢諭吉の無能ぶりと書籍を購入するにあたっての公金横領の件もでてきますが、歴史小説で語られる人物を、そのままその人物の歴史認識としてしまうことの安直さはこころにいつも留め置かなければいけないこととおもいます。
本書とは離れてしまいますが、森林太郎(鴎外)の文学的業績と、医学分野での脚気の取り扱いの失敗のために日露戦争のときに戦う前の兵隊を死亡させているという責任の問題もおなじようなことであります。
彼の晩年は製塩業の開発に携わりました。鰊(にしん)・鰯(いわし)・鯖(さば)など日持ちしないために、どんなに豊漁であっても食べきれず、そのほとんどが肥料になってしまうのをうれえた友五郎は、これを塩漬けにして輸出し国力を富まそうと考えたのでした。彼は二度の渡米でかれらが塩漬けのそれら魚類を日常の食としていたのを見ていたからでした。
日本という土地を実直にコツコツと耕してきた人たちは、たくさんいたのだなと感じ入っております。