ヒンディー語には英語のhaveにあたる動詞がないそうだ。
特派員氏は「所有」という概念が薄いのではないかと、記されている。
「本を持っている」というときに「私の近くに本がある」という。
なんか、新鮮だなぁ。
富むものが貧しきものへ、施しをするとき
するほうも、されるほうも
当然のこととして、善行や感謝など特別な感情を持つことなく行われると
きいたことがあるが、そのことに通じているのだろうか。
また、「明日」と「昨日」が同じ単語だという。
ホントだ!
これは、驚くな。
今日も、昨日も、明日も、お日様とは関係なく
「1日」という時間軸でひとくくりにしているのかもしれない。
「今日」を調べてみた。
なんだ、ちゃんとあるし、明日と昨日と異なっているじゃないか。
それならと、「明後日」と「一昨日」を調べた。
えっ、同じっ!?
どうなってんだ。
いや、恐れ入りました。
言語って、そんなにたくさん勉強したわけじゃないけど、
生活に密着していたり、良く使われる状況にある言葉って、
音節が短いんだよね。
ためしにヒンディー語で「水」を調べると、
ほらね、パニって二音節に聞こえるでしょ。
日本語も二音節だよ。
昨日も明日もそんなにかわりばえがしないし、
一昨日や明後日も昨日と明日とは違うけど、
そんなに気にしない気にしないってことかな。
でもね、「過去」は
そんで、「未来」は
っていうふうに、ちゃんと単語があるんだな。
なんか、安心したよ。
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