2020年1月17日金曜日

「歴史の主役はみな病人」を読んだ


主婦の友社 2013
久次米 義敬 著

 様々な病気の治療法や発見にまつわるお話。
へぇ〜、そうだったんだとおもうような話がてんこ盛りになっている。

 目を将来に転じると、現在不治の病といわれるたくさんの病気が、数百年後にはこの病気はこれが原因でこうすれば治療ができて寛解するというようなことになっているかどうか、ひとつでもふたつでも良い物語でできていることを願うばかりだな。

 最後は脚気の話。
これについてはジジイも一言ある。
若い頃から、なぜか脚気についてはあらゆる本を読破し研究熱心であった。

 森鴎外こと森林太郎の責任について、著者とは見解が異なる。
いまさら故人の責任を追求したところでどうなるものでもないし、どうしたくもない。

 ただ、日清日露戦争で脚気が原因で数万人が亡くなっているのだが、少しでも日本の礎を作った兵隊さんたちが報われるようにしたいだけである。なんでそんな病気になって無駄死にしなくちゃならなかったのか、あれから100年以上たったって、これじゃぁ、うかばれないではないか。

 森鴎外は著名な作家だった。ジジイもあれやこれや読み感銘を受けているひとりである。
どうも鴎外が作家であったことが、どこかでかれの軍医としての仕事に重なってしまって、かれの責務の判断に影響を与えているのではなかろうか。

 林太郎(はやしたろう)といういち陸軍軍医がいたとして、その職責上の責務を考えることが大切である。
あれこれ言ってもはじまらぬ。
簡潔に述べる。
かれは白米食を麦飯食に変えることができる立場にあった。
かれは実際その逆を命令している、つまり白米を麦飯にすることは禁じると。

 その立場にあった人間が、麦飯にしていれば数万人の兵隊さんたちの命は救われていた。
命令系統絶対の軍隊で、間違った判断を下した人間に責任がなかろう訳がない。
場合によっては軍法会議で極刑にされる。
ましてや海軍ではこの問題については麦飯で解決しているのだ。

 ことこの問題に関して、のし餅を切り分けるがごとく、一つの責任を同じように切り分けることなどできまい。

 林太郎に決定権がなかったら責任の重さというものが発生していたであろうが、かれはそうではなかった。この脚気問題について森林太郎に責任があったと述べておく。


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