あまり敗戦記念日ときくこともすくなったような気がします。勝敗の結果があってゲームは終わるのだと思うのですけど、気分的なものがあるからなのでしょうか。
わたしが小学校に入学したのは1960年でした。敗戦が1945年ですから15年後となります。
小学校の先生方はあたりまえですけど、全員が戦争を経験していましたし、兵隊さんで戦地で戦っていた先生もたくさんいたわけです。
しかし、不思議と戦中のことを、または男の先生なら軍隊のことを、話される先生はほとんどいませんでした。むしろ学校というところでは号令をかけることが大変に多いわけですが、そういうときの先生たちの姿勢が、いまおもえば背筋に鋼鉄でも入っているのではないかおもうほどピンとしていたことをおぼえています。
もう20年くらい前のことでしょうか、終戦記念日の日に、その日も敗戦の日と同じようにきれいな青空で暑い日でした、東京観光のついでに靖国神社へお参りしました。幅広い参道の途中でなにか集会でもしているのか、そこの場所だけ異様な雰囲気がありました。そばを通ってみると、どなかたが急ごしらえの演壇で演説をされていました。話をされている方からなんとも表現のできない空気感が溢れ出していることにすぐに気づいたというかつよく感じたのです。話されている方は直立して不動の姿勢です。小野田少尉だとすぐにわかりました。からだの芯の心まで軍人なのだと夏の暑さが消しとんでいました。すさまじい気魂。
このような方が、当時はぞろぞろとあたりまえのようにあふれていたのかとおもうと、それはそれで肌寒くなるものがありました。まったく時代の空気感がことなる。今もそのときの空気感をしっかりとまとい揺るぐことはこれっぽっちもない。
小学校のとき、先生方はふだんは号令のときくらいしか戦中の片鱗を見せることはなかったのですが、運動会や入学式卒業式などいろいろな行事のときに、隠しようもなくその動きに軍隊で叩き上げられた振る舞いがあらわれていたようにおもいます。
まだたくさんの兵隊さんの骨がそのままになっています。国はどうしてかれら兵隊さんの骨を故郷にかえす事業を大体的に行わないのでしょうか。他国の支援だといって巨額の金をそれも借金で行っているのなら、こちらの方がもっとしなければいけないことでしょう。
何度も繰り返す国政選挙でそのことにふれる候補者がほとんどいないことにうなだれてしまいます。
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