読了後、気になってAmazonで評判を調べた。あ〜私だけではなかったんだ と少しホッとした。
訳者の小竹由美子氏の日本語訳が私にとって読書を進める障害になっているのだ。
本一冊まるまるすべてがそのようになっており、短編の一つ一つ、3〜5行おきぐらいにその障害が延々と繰り返し、これでもかというぐらいに続く。
短編一つをなんとかイライラしながら読み終えるとため息ふぅ~がでる。
一冊を読み終えた時は安堵感を覚えた。これが目的かと勘ぐりもした。
普段これほど大きい障害物があったら、本を閉じる。
話が面白いから、グッとこらえ先を読み進める。読んでは少し休みの繰り返しだ。苦行だ。ここまでのおもいを読者にさせるのは訳者はもちろん、出版社の責任が大きい。
著者は自分の本の日本語訳がこんな形で出版されていることなんかご存じないだろうとおもう。
Alice Munroの世界が台無しでめちゃくちゃだ。
せっかく気分よくAlice Munroの世界を楽しもうと数冊借りてきたのに、
「林檎の木の下で」「小説のように」「ディア・ライフ」が同じ訳者ではないか!
同じ苦行をするつもりなはい。これらはまだ目を通していないが、異なる文体で訳してくれていることを祈るのみだ。
気を取り直し、異なる訳者を選んで
「愛の深まり 彩流社2014.11アリス・マンロー 著 栩木玲子 訳」を読み始めた。
作者の世界を楽しみつつ、日本語訳も素直に読み進めることができる。
高校生から大学生の頃、サマセット・モームにはまった。
最初は日本語訳で読んでいたが、そのうち英語が読めるようになると、廉価版のペンギンブックで読むようにもなった。何冊も読むうちに、逆に日本語訳のうまさにうなった。同じ作品で違う訳者のものを読んでも、訳者なりのモームの世界をもっていて、日本語訳自体の文章も楽しめた。
英語で読むと、作者が書いたそのままの活字を読んでいるという、そこには何も介在しないという感覚がある。
英語のリズムが楽しめる。
言葉の韻も楽しめる。
もう20年近く前のことになるが、カナダ西部、中部、東部をレンタカーを借り、B&Bに泊まりながら旅行をしたことがる。都市部はなるほどビルに囲まれているが、少し車を走らせるとすぐに西部開拓時代と言っては大げさだが、そんな風景になってしまう。私はそれが好きだ。
東部のB&Bの女将さんとは、彼女が子供の頃の話で盛り上がった。戦中戦後間もない頃の他愛もない話だったがおもしろかった。音楽の話になり、グールドがラジオの定期番組をもっていて、車でラジオをかけると大抵はグールドのちょっとつっかえるようなやや早口の声が懐かしいとも言っていたなぁ。
そんな、名前も思い出すことが出来ないような街々や風景がアリス・マンローの書く日常の風景と重なるのだ。
今度、ペンギンブックで読んでみよう。
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