今から40数年前の7月、出発する時は未成年、帰国時は20歳でした。
欧州に約1ヶ月のホームステイを含む、移動だけ6人程度で後は自由な気楽な旅でした。
行きは羽田からJALジャンボでアンカレッジへ。
アンカレッジでは着陸をやり直し、まるでジェットコースター気分で、
無意識に歯を食いしばったのか、着陸してから少し歯が浮いた感じだったのを覚えています(飛行機も初めてでした)。
前脚の調子が悪かったらしく、整備点検でやや遅れて飛び立ちました。
朝霧立ち込める薄いカーテンに覆われた街ハンブルグに着陸して、乗り換えの時間があるので市内観光です。ガイドの若い女性の日本語が全く、日本人のしゃべる感じだったので尋ねてみたら、
東京生まれの東京育ち、江戸っ子でした。
お世辞で私のドイツ語を褒められました。
ハンブルグより今度は飛行機の後部が入り口になっているジェット機でコペンハーゲンへ。夏の入道雲があちこちに乱立し、ジェットはそれらを避けるように右に左に旋回して飛びます。
当時はのんびりしたもので、操縦席はドアも閉めなくカーテンもしないでまったくのオープンで自由にのぞくことが出来て、飛行機好きのわたしはずっと後ろからパイロット気分でした。
帰りはローマからJAL DC8で南回りという今になってはレアなコースです。
メモの記録を読むと
ローマエアポート20分遅れで3時半に出発(ヨーロッパ時間だと2時半、イタリアは夏時間)
2時間45分でカイロ着
夕方の日差しの中、砂漠の中にピラミッドの姿が今でも強く印象に残っています。
カイロよりカラチへ夜中着
カラチよりカルカッタへ
ずっと夜間飛行です。
そしてバンコックへ、ここで二度目の夕日or朝日?(時間の感覚がなくなっているのです)に迎えられます。
さらに香港へ 雨が降ったりやんだりで空港で移動するときに濡れてしまいました。
現地時間18時過ぎに出発して、夜10時頃羽田に到着
24時間のほとんどが夜間の飛行機旅でした。
兄夫婦と母が迎えに来てくれたとメモにはあるのですが
情けないことに覚えていないんですよねぇ うーーーーん。
ローマから羽田まで経由地は5箇所、約3〜4時間飛んでは1時間程度の休憩の繰り返しで
そのたびごとに、充実した食事が出たのも覚えています。
わたしはすべて完食 若かったね
乗務員は カラチかカルカッタで総取っ替えでした。
仲良くなったスチュワーデスさんと別れるのが寂しかったです。
あれから海外旅行は何十回も、何百回も・・・はしてないか、しましたが
あの南回りの、まったりして、なんとなく湿っぽくて、どことなくモヤっている感じ
とても懐かしいです。
もう一度できるならしてみたいですが、体力が心配でやはりしないだろうなぁ。
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