広島のお好み焼きが、『原爆投下後の廃墟。がれきの中から鉄板を拾い、屋台で作り、育まれた』ことも知らずに、ウマイウマイとほおばっていた。
いっときはブルドッグソースを使っていたが、ここのところはもっぱらオタフクである。
『私は6歳でした。爆心地から1.6キロの自宅前。真っ青な空にキラキラと銀色に光る飛行機を見上げていたら黒い物体が落ちてきた。』
なんと鮮烈な光景だろう。
ボク自身は空から降ってきたものの記憶は、セスナ機からばらまかれた宣伝のビラしかない。
夏休みの宿題の絵日記にこんなこと書けやしない。
書くどころではない。
先日、米国大統領がやっと、広島を訪れた。
とても良かったことだとおもう。
まず来なければ次は始まらない。
広島からの平和を願って、2つの組織があった。
平和はひとつだろうに、それをめざしていさかうなんて
高校生のときのボクは彼らをひどく軽蔑した。
ふたつの平和なんてあるもんか。
右も左もない
上も下もない
いましていることの
何が戦争につながるのか
平和をおびやかすのかを
見きわめ
それらを断ち切る行動をしてゆくことが
肝心なことだとおもうのに
オタフクソースのキャラクターをまじまじと見たことはなかったが
ジッと見てみた。
これはお面ではないだろうが、この表情の下に広島の悲しみと平和の願いが隠されているのだろうか。
しばらくながめていると、
右目は静かにねむり、左目は微笑んでいる。
静かな悲しみと平和の願いなのかもしれない。
昨夜のおかずは豚肉小間切れとキャベツの炒めもの、仕上げはオタフクソースだ。
食べ始めると、そのうまさに
広島の悲しみも、平和もどこかにすっとんでしまう自分が情けない。
うまいものは幸せにしてくれる。
佐々木社長は『ヒロシマ平和記念資料館を見学できるようになったのは、つい数年前のこと』
と記事の中で語っている。
ボクが被爆者だったら・・・
きっと資料館の中に入れないだろう・・・とおもう
毎日をがむしゃらに働き、生き、そうすることによって
なんとか今を生きていることができているというのに
自分の心の中の鮮烈な記憶が展示されている資料など、見ることは耐えられない
とてもじゃないけど、自分を支えられない。
そうおもう。
ずっとと願いたいんだけど、欲張っちゃいけないので
食べている間だけでも、幸せにしてくれるおいしいものを
これからもずっと作り続けてください。
来月の6日はコロッケにオタフクソースをたっぷりかけて食べます
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