2016年7月18日月曜日

母の悪い癖 その2

 ボクは中学生。
そこそこ、お勉強のできる中学生であった。

 2年生のとき、理科の先生が転任してきた。
噂では、前任校では名だたる進学校に成績の良い生徒を何人も合格させている
とのことだった。

 本人もそれを自慢して、彼等は東大とか他の有名大学にいったぞと言っていた。
3年生のとき、その先生が担任になった。
時は1960年台後半、日本はこれから右肩上がりにグングン伸びていく時代だ
良い高校に入り、良い大学に進学し、大企業に就職し、高い給料を稼いで良い暮らしをする
先生はそんなことは言葉に出して言わなかったが、
伸ばせる才能は伸ばすのが自分の役目だという使命感にあふれた担任だった。
そのことを今でも特に批判する気にはなれない。

 校外模試についても、その時期や回数を指導された。
模試のたびに結果を見せ、丁寧にいろいろと指導してくれた。

 あるとき、その模試でボクはひどく遅刻をした
ボクだけではなく、家族皆んなが寝坊したのだ
あわてて、走って受験会場まで行った。
最初の科目はすでに始まっていて、
25分遅刻すると受験できない決まりだったが、
20分遅刻で、なんとか受験はできた。

 科目は数学であった。
すべての問題を解くことができた。
終わって、5分ぐらいしたらチャイムが鳴った。
残り4科目は落ち着いて解けた。
終わったら腹がなった。
腹ペコだった。

 担任に模試で遅刻したことを話したら
ひどく叱られた。
今回の模試は事前に受けないようにと言われていたのに
そのことも含めて、叱られた。
結果を見せなさいと言われ、ためらいがちにボクは机の上に並べた。
5科目の結果は県内でトップグループに入っていた。
数学は同順位がいたがトップだった。
しかし、この結果にボクは満足ではなかった。
自分でもその理由はわからない。

 三者面談のときのことである
ボクはそのときも成績を維持していた。
ちょうどその頃学生運動が蔓延し、高校にもその影響が出始めている時期であった。
担任はS高校を勧めた。
理由は学園紛争が起こらなさそうという理由だったかとおもう。
ボクはためらわず拒否し、K高校を受検する意志を伝えた。
担任はボクの意志が固いことを確認すると、もう無理にS高校は勧めなかった。
母は終始無言であった。

 帰宅して、母は言った。
「おまえは普段、自分の意志なんてそんなにハッキリ言わないのに
あんなときにはずいぶんとしっかりしたことを言うんだねぇ」
夕飯はいつもより、なんとなく豪華だった。

 その後、ボクはその学校に合格した。
父が帰宅したとき、
その高校の制服を着て見せた。
父はしげしげと眺め、自分のときと何にも変わってない制服だなとポツリと言った。
父の卒業した旧制中学は、ボクが合格した高校だった。
うれしそうな父をみて、ボクはうれしかった。
生まれて初めて、父へ親孝行をしたとおもった。

 三者面談のとき、
担任はもう一つの高校を受験してみないかと勧められた。
受験日は異なるので問題はない。
東京の、ある大学の附属高校だ。
東大にたくさん合格者を出して有名な高校である。
 しかし、あまり受験に関心のなかったボクは
そんな学校は知らなかった。
自分の住んでいる周りの高校の名前も怪しいというのに、県外の学校なんて知るわけもない。

 結局受検することにはなったが、その学校の傾向と対策など何もしなかった。
担任の俺の言うとおりにしていれば大丈夫だというのが頼りだった。
英語は長文が出るというので、その対策にずいぶんと読んだ。
これはその後、とても役に立っている。
英語を原文で読むことに何の違和感も感じることがなくなっていたのだ。

 その高校の受験当日、ボクたちは寝坊した。
家をあわてて出て、ずっと小走りだった。
髪を乱し、はぁはぁと母は苦しそうだった。
子どもの頃の海水浴のことをボクは思い出していた。

 駅につき窓口で切符を買うとき
ボクは「男一枚女一枚、◯◯まで」と言ってしまった。
駅員さんはずらっと並んだ切符の棚から、グリっとこちらに首をまわし、ボクの方を見た。
後ろにいた母があわてて、「◯◯まで二枚」と言い直した。
馬鹿だねぇとボクの耳元で大きな声でひとりごとのように言った。
なんか恥ずかしかった。

 通勤時間帯で、受験校までの車内はひどく混んでいた。
蒸し暑く気分が悪くなってしまった。
降りるべき駅が近づいてきたとき、
ボクたちは車内の中ほどに押し込められてしまっていた。

 駅に着いた。
母が、降ります降ります、すいませんすいません、とお願いし
ボクも人を押しのけながら出口へ向かったが、
ドアは締り、結局次の駅で降りた。
冷たい空気が気持ちよかった。

 下りの電車を待ち、目的とする駅に向かった。
その駅に着いたものの、気がせいているためか道がよくわからない。
受験校に着いたときは、すでに最初の試験は始まってしまっていた。
遅刻である。

 不合格であった。
小中と同じ同級生3人も一緒に受験したのだが、落ちてしまった。
後で聞いた話だが、どうやらボクは本命視されていたらしい。
あいつが落ちたなら、自分たちが落ちても当然だとそれほど落ち込まなかったらしい。
ボクにはそんなことはちっとも、慰めなんかにならなかった。

 試験が始まるときにボクの席は空席だったから、
友達はどうかしたのかとおもったそうだが、
大事な試験で遅刻するなんてと笑われた。
担任にこの件を報告したら、顔色がさぁーっとかわり黙ってしまった。

 母はボクが不合格になったことについて、何も言わなかった。
K高校の入学式は何時に始まるんだいと
聞かれたっきりであった。


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