幼稚園に行かなかった。
いや、行かせてもらえなかった。
いやいや、家には僕を幼稚園に通わせる余裕がなかった。
これが一番正確な表現だろう。
兄は、幼稚園に通った。
通園カバンは、なんとランドセルであった。
ランドセルを背中にしょった、兄の笑顔の写真がまぶしい。
その兄が通った、幼稚園は日曜教会を開いていた。
母は僕のことをかわいそうだとおもったのだろう。
試しに一度行ってみて
イヤじゃなかったらいってごらん
という。
最初の日は
兄か母に連れられていったはずだが
覚えていない。
やや薄暗がりの広い部屋に椅子がずらっと並んでいて
真ん中に人が通れるくらいの通路がつくってあり
その前方は演壇みたいのがあった。
毎回、園長先生か牧師さんのお話があり
それが終わると、
長い柄の先に虫取り網を小さくしたような
黒いベルベットのような生地でできている袋が
中央の通路から、柄を伸ばして
一人ひとりの前にまわってくる。
参列者は少しのお金をその袋に入れるわけだ。
母はそうすることを知っていたのだろうか。
小銭など持たせてもらえなかった。
家に帰って、そんなことを兄に話すと
こうすればいいのだと教えてくれた。
袋の中に手を入れて
小銭を取り
その取った小銭を袋の中で落として
チャリンと音をさせれば
入れたことになると。
その儀式が終わると
幼稚園の先生なのだろうか
若い女の先生たちが、いくつかのグループに分かれて
一人ひとりに参加した印に
かわいらしい天使の銀色のシールを貼ってくれた。
それが夏休みのラジオ体操の出席印より多かったということは
ずいぶんとまじめに通ったことになる。
兄のお古の賛美歌の歌集を持って通い
楽しく歌ったことはよくおぼえている。
だから、いまでもいくつかは
歌える。
そしてその歌集は今でも手元にある。
そんなにまじめに通ったのには訳がある。
寄付を促す例のベルベットの黒い袋。
毎回チャリンと音をさせていたのだが
神様許してくださいと、子ども心に祈りながら
10円玉をかすめとっていた。
ギュッと握り、汗でヌルンぬるんになった10円玉で
帰りに駄菓子屋により
真っ赤な苺の飴を買っていた。
飴玉には長めの糸がついていて、
口の中でなめては、その糸で飴玉を空中でクルクル回し
家に着くまで
そんなことを何度も繰り返した。
ある時、家について
母がエーってしてごらんという
舌を出してエーってやった
お前、買食いしたねといわれ
しらばっくれたが、バレてしまった。
神様は許してくれていたようにおもえたが
母は許してくれなかった。
お灸をすえられた。
言葉でお灸をすえられたのではなく
本物のお灸を
親指と人差し指の間にてんこ盛りのお灸を盛って
すえられた。
その後もお灸をすえられたためか
この歳になっても
そのときのお灸の跡が残っている。
日曜教会は行かなくなった。
0 件のコメント:
コメントを投稿