2016年7月21日木曜日

父とみかん

 ボクが高校生時分の頃、父は毎週土曜日に帰宅していた。
週一回の家族そろっての夕食はにぎやかで豪華だった。

 外食で行きつけの中華料理店にもよく行った。
そのお店に行くときはタクシーだったか歩いて行ったのかよく覚えていないが
帰りは、ほろ酔い気分の父と二人で歩いて帰ることがたびたびであった。
父が通った小学校脇の細い坂道を、父の背中を押しながら登ったものだ。

 馴染みの寿司屋から、食べきれないのではないかとおもえるぐらいの
握りや巻物やおいなりさんがでかい寿司桶に入って出前をとった。
一人前ずつの寿司桶が段々に重ねられていたこともあったが
父はでかい寿司桶で豪華に盛られている握り寿司などを見るのが好きだったようだ。

 その寿司屋に母はたまに、時期になると
家で取れた大葉を大量にあげていた、というよりも
出荷していたと言ったほうがよいくらいの量だった。
母はもともと農家の出身なので、シソを大規模に育てるなど朝飯前だったのだ。

 母は何の見返りも考えずにそんなことをしていたのだが
ある日、寿司を配達してくれているお兄さんが出前のカブの後ろに
荷が崩れるくらいの量の砂糖袋を積んで我が家に持ってきた。
母は一度は断っていたが、お兄さんがどんどん玄関廊下に袋を積み上げてしまい
結局、廊下のすみにそのままになってしまった。

 夕食後しばらくして、父は読書しながら就寝準備となる。
横になっている父のマッサージをボクは始める。
毎回、このマッサージは数時間続く。
数時間以上続くこともある。
翌日のボクの両肩両腕はパンパンになる。

 その時の父の読書は
全集物の「日本の歴史」や「世界の歴史」が多かった。
ボクは揉む手を休めずに
後ろからその本たちを読んだ。
父はボクが一緒にそれらの本を読んでいるなんてこれっぽちも、おもっていなかっただろう。
おかげで日本史や世界史のテストの点数は
さほど勉強しなかったのに良かった。

 父が亡くなる数年前に、父は自分の蔵書を整理したようだ。
所帯を構えたボクの住所にダンボールで結構な量の本が送られてきた。
その中に「日本の歴史」「世界の歴史」が、すべての巻がそろって入っていた。
ボクの本棚の一番上の段にそれらすべてを並べた。
その段に目をやるたびに、横になっている父の禿げている後頭部を思い出したものだ。

 みかんの季節になると
マッサージをはじめてしばらくすると、
みかんが食いたいと父は言う。
「アッ、きたー」とボクはおもい、ちょっとドキッとする。
少しではあるが気持ちの整理が必要になるのだ。

 初めてそれをおこなったときは
イヤをとおりこして不思議な感触にドキドキした。

 父はみかんの一房を
ボクがはじっこをつまんで
そのまま父の口の中に入れろというのだ。

 父はその一房をチュウチュウとすって実だけを食べ
ボクは抜け殻になった房を父の口の中から引き上げる。
要するにボクの指先は父の口の中でみかんの実と一緒に吸われ
ヌメヌメして生暖かい感触が指先に伝わるのだ。
あーなんとも言えないあの感触・・・

 いったいなん房食べたら
父はもうイイって言うんだろう。
父がそう言うまで何度も同じことを繰り返した。
食べ終わっても
その手のまま、父の体を揉み続けた。

 父が死んだとき
父の唇を、ボクの指先につけたお酒で湿らせてあげた。
その感触はみかんのときのそれと同じだった。
冷たかったがやわらかな唇だった。


0 件のコメント:

コメントを投稿