2016年7月23日土曜日

母とチャイナ・ドレス

 写真館で撮ったのだろうか、白黒の写真がある。
キャビネサイズだ。
母がチャイナ・ドレスを着て、切れ味を感じる。
表情は自身にあふれ、目線はブレずにこちらを見ている。

 その写真を初めて見たとき、
母はスパイだったのではないかとおもった。
実は今でも心の片隅にそうおもっている部分がある。

 母は大東亜戦争以前から
中国は瀋陽で、日本軍の軍属が運営する病院で看護婦として働いていた。
中国語とは無縁の農家の長女が当時、外地で働くことに両親は心配したことだろう。
満州国で勤務しなかったのは何か訳があったのだろうか。

 母は家では、戦争の時のことを普段と変わることなく、何でも話していた。
ところがボクがやや細かいことなどを聞くと、
いいの、いいの、と言ったりしてごまかすことがよくあった。
子ども心に
アヤシイと感じた。

 全く中国語を解しなかった母は、病院で勤務しながら
診察に来る患者や、病院で勤務している中国人に教わった。
そこの病院で働いていた父が言うには、
母はあっという間に中国語をものにしてしまったという。
病院内だけでなく、中国語で困ったときには母に声がかかることが多かったそうだ。
日本の将校もやってきたが、そのときも通訳をした。

 以前実家に帰っているときに、新聞の集金人がやってきた。
母が中国語を話し、玄関がにぎやかなので
ボクもいってみた。
集金人は若い中国人だった。
顔を真赤にして嬉々としていた。
母の両手を握り、上下に揺さぶりながら
大きな声で中国語をしゃべっていた。
「まるで中国にいるおばあちゃんとしゃべっているみたいです。
懐かしいです。おばあちゃんのしゃべっている中国語は少し古くって
ぼくのおばあちゃんやおじいちゃんがしゃべっている中国語なんですよ。
ほんとにお上手ですね、中国に帰りたくなってしまいます・・・」
きっと翻訳するとこんなことをしゃべっていたのだとおもう。

 しかし、将校の中には中国語が堪能であっても、全くわからないふりをする者もいた。
通訳が違ったことを言っているのではないかどうか、チェックしたのだろう。
また、中国語がわからないとおもっている中国人のうわさ話などに聞き耳を立て、
情報収集をしていたかもしれない。
母はそのような将校から、秘密の指令を・・・
アヤシイ

 父が軍歌を歌っているところを見たことも聞いたこともない。
しかし、ハーモニカはうまかった。
もしもし亀よ・・を伴奏入りで聞かせてくれたことがあった。
それまでに、そんな上手な演奏を聞いたことのなかったボクは
体が棒のようになったまま固まってしまった。
父がハーモニカを両手でくるむようにし、頭部をやや左側に傾けて演奏する姿は
格好良かった。


 そんな父は
軍歌は、兵隊さん達の青春歌でもあるんだと言っていた。
内容がどうであれ、若い時に仲間と歌った歌はいくつになっても歌いたいもんだ
酔うとそんなことを父からよくきいた。
でも、父は軍歌を決して口にしなかった。
父は軍医として働くこともできたはずだが、しなかった。

 母は、李香蘭の支那の夜をよく口ずさんでいた。
ボクも歌える。
母の歌ったように歌える。
他の軍歌も、何番までも続く歌詞をよどみなく歌っていた。

 森村誠一が731部隊のことを、小説で発表したときのことだ。
恐ろしい狂気の蛮行をした日本軍のことが書かれていた。
新聞やマスコミなどいっときはずいぶんと放送された。

 母はテレビやラジオの、やや眉唾ものの話題を
意外と信じてしまい、さらに自分で試さなくては気がすまないたちであった。
 紅茶キノコの時は、台所だけでなく狭い廊下にも薄茶色のクラゲみたいなものが
梅酒用の広口な瓶の口を塞ぐぐらい大きく育っていた。
そんな瓶がゴロゴロしていた。
味見をさせられたボクは、酸っぱくって爽やかで気に入ったのだが、
こんなものがゴロゴロされたのではかなわないので、
できるだけ不味い表情を作って、
全部捨ててくれとお願いしたものだ。

「そうかい」と残念そうな母は
しばらくして、すべてを台所の流しにぶちまけて捨てた。
流しは詰まった。
あたりまえだ。
あんなものが流れるわけがない。

 チョコレートを包んでいる銀紙にも凝ったことがある。
膝の関節にあてると、関節痛がよくなるというのである。
どの銀紙でも同じだろうとボクが茶々を入れると
ムッとした母は
「明治の板チョコの銀紙じゃなくちゃだめなのよ」
と返した。
なんともその先の言葉に詰まったボクは
中身のチョコレートをずっと食べるはめになってしまった。

 そんな母は、731部隊の話題には反応しなかった。
無視しているというより、かたくなに強い意志で拒絶しているように見えた。
テレビでその話題が出るたびにチャンネルを変えていたのでは
鈍いボクにでも、感づかれてしまう。
当時の母の仲間であった看護婦の中には
敗戦時の場所が、ウランバートルにいた者もいたのだ。
好奇心の強い母が、それらの蛮行を知らなかったはずがない。
この頃には単に
あやしい 
とおもうだけではすまなくなっていた。

しかし、時間にだらしがなく、数々の遅刻常習遍歴を持つ母が
スパイなど務まるわけがない、とも考えた。
本物のスパイは様々なカモフラージュを施す。
本物の凄さを知らないだけかもしれない。
いくら凄腕であっても、
ボクの結婚式にまで遅刻したのは、凄腕仲間トップ3に入ってこそ
できることなのだろうか。
中野のスパイ学校卒の将校に鍛えられると
そこまでできるのだろうか。

 やがてマスコミもテレビでもそれらの話題はされなくなっていった。
母は内心、ホッとしていたかもしれない。

 母が自分から話すのなら聞いてみたい気もしたが
わざわざボクから母の心を乱すような事柄を
つっこむこともあるまいと
今はおもっている。


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