2018年8月18日土曜日

横浜大空襲

 国立国会図書館デジタルコレクションに
文書名:Records of the U.S. Strategic Bombing Survey = 米国戦略爆撃調査団文書
の実に膨大な資料があることを知らなかった。

 早速、No. 186, Yokohama, 29 May 1945. Report No. 2-b(41), USSBS Index; Section 7
に目を通した。

 気象状況を調べ




 爆撃航空路では復路に不時着したときのための潜水艦や船を配置させ




 爆弾や燃料の積載量を確認し



 爆撃時に敵から攻撃される上下左右の見込みを予想し



 横浜上空のからの明細な航空写真により爆弾投下地点を絞り込み







 爆撃後の機材損失をまとめている。



 これは横浜空襲に限ったことではなく、日本本土爆撃のたびに作成していた攻撃計画書だ。
非戦闘員である一般市民、老若男女、子ども幼児がたくさん死んだ。

 1931年の満州事変から戦いをふっかけ、1941年に真珠湾攻撃で米国に戦争をしかけた。
取り返しのつかぬことをしてくれたものだと、つくづくおもう。

 戦争という選択肢だけは決してとってはならぬ。
ヘタなりにも外交の力に頼るほかはないとおもう。

 米軍の本土爆撃は66の街を焼き、46万人が亡くなった。負傷者を加えればその数倍になる。
たったこの一つ、5月の横浜空襲レポートの一部概略にもならぬものを並べてみただけでも、
米国は米国人自身も死ぬことを承知して、
ビジネスとして空爆をしていたような気がしてならない。

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