中央公論社 1994.1
B・M・ボダルト=ベイリー 著
ケンペルの日本誌を18、19世紀に日本を訪れる異国人たちが事前に読む本であることは知っていた。また部分的な引用をされることも多く、知っているような気になっていた。
ところが読み始めたら、ケンペルの伝記で、これがおもしろい。
ガッシリとした文章と飽きのこない文体、幅広くケンペルの周辺を探り拡げるが、
あくまでも主人公に集約する。
ところで、まえがき一行目にケンペルの横文字が Kaempfer とでてくる。
ドイツ語読みすれば、ケンプファー あるいは ケンファー だろう。
訳者のあとがきにそのことついてふれられていた。
日本で定着してしまった、現地では通じないまたは使われていないこういった読み方は
どうにかならないものかといつもおもう。
綱吉に謁見する場面がやはりワクワクする。
ウイリアムス・アダムスが家康に謁見してる場面と同じく、実際の映像を観ているようだ。
綱吉がケンペルたちに用意した食事は何だったんだろう。
どうでもよいことだが気になる。
日本に来るまでの行程も驚きの連続だな。
日本に滞在後、よくもまぁ無事に帰国できたものだとおもう。
ライプニッツやカントの名前がでてくるが、この時代のバッハやニュートンなど科学文芸音楽などの有名大家たちは日本の話題で雑談することなどあっったのだろうか。
ケンペルのこの時代の歩みは300数十年前のできごとなのだが、
ひとつひとつの事柄が、つい100年前くらいのことというか、
身近な出来事のように感じてしょうがなかった。
それくらい現代でもケンペルの足跡や悩みが共感できるものだったからに違いない。
ドイツ人であるベイリーさん、日本史を専門とするすばらしい学者だな。
訳者の 中 直一さんの訳文も手堅くすばらしい。
訳者ではなく共著としてもなんら不自然ではないとおもう。
ありがとうございました。
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