万 延 二酉 年 二月 九 日、飛物 致 し、西 ノ方 より飛び出し、
まんえんにとりどしにがつここのか、ひぶついたし、にしのほうよりとびだし、
東 ノ方 江落 候 、其 音 大 筒 ・鉄 炮 打 如 し、朝 六ツ頃
ひがしのほうへおちそうろう、そのおとおおづつ・てっぽううつごとし、あさむつころ
文 久 元 年 と年 号 改 元 、酉 二月 晦日 御支配 様 より触 出し、
ぶんきゅうがんねんとねんごうかいげん、とりにがつみそかごしはいさまよりふれだし、
三 月 五 日拝 見 仕 候
さんがついつかはいけんつかまつりそうろう
文久元年は1860年。
この前年1859年5月横浜開港。異国の圧力に耐えかね開国したものの物価高騰の原因のひとつになる。
また江戸後期のこの頃は天災地変も頻発して幕府の疲弊をはやめたようだ。政治経済も混乱しまさに動乱の時代となった。しかし異国人のたちが残した当時の庶民の様子は違う。
渡辺京二氏の「逝きし世の面影」に詳しい。
二月晦日にお触れが出て、三月五日に拝見とあるから、一週間もしないうちに改元されちゃうわけだな。頻繁にやるんでお上も慣れてるってことだ。
なんせ、この「万延」年間は1年間。
つづく
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