2019年3月28日木曜日

菜食主義者

 先日、TVで過激な菜食主義者が精肉店に落書きしている報道を見た。
ベジタリアンは馴染みのある言葉だが、最近はビーガンというのもあるらしい。
要は菜食主義者にいろいろな流派があるということだ。

 別段、それぞれがおのれの主義主張信条に従って口に入れるものを選択して生きるということなので、なんら問題はない。
 先のTVの愚かな過激菜食主義者は、哺乳類を殺傷して口に入れるとはけしからんと、自分たちの主義と異なるお店を攻撃していたわけだ。標的なった精肉店主は、個人が選択して購入すれば良いだけのことだと、憤懣やるかたない様子であった。

 日本でも古くから精進料理があり、伝統として根付いている。一方で日本人は古くから獣類を食ってきた。ただおおっぴらに商売にしなかったということだけのことだ。いろいろなものを食って生きていた人たちは共存していた。

 自分の主義信条のため、生きるために口に入れるものを選択するときの基本は、そのようにするならばそれは自分個人でそのような食物を用意し料理しなければならぬ。
その行為があってこその主義信条ではないか。

 食べ物に個人の信条をからめるならば、やはりそれらのことはその個人が食材を調達し調理してほしい。

 2020年東京オリンピックではたくさんの異なった主義信条をもった人々がやって来る。
日本は彼らにあった食べ物を準備しこの商機を逃すまいとしているらしい。

 すでに日本だけではなくほとんどの都市には菜食主義者専用の食堂が当たり前のようでもある。
需要があるから、その機を逃さず供給して儲ける。
構わないが、やはり先に述べた理由で、間違っている。

 主義信条で食事に規制をもうけている人々はそのことが本人の行動を制限してしまうことも承知のはずだ。
 ジジイは偏見で言っているのではない。
そのようにするならば、そうしようとしている本人が調達準備調理をするべきではないかといっているだけである。


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