そんな気持ちでもう一度気になった箇所を再読してみる。
「第6章バナナが食卓に届くまで 市橋秀夫」のまとめにあたる箇所を引用しよう。
『たとえばファーマインド社では、全国のどこの小売店にも同一品質の均一なバナナを毎日配送できることが理想とされ、産地のバナナ育成状況の詳細な把握にも余念がない。有機栽培バナナや高地栽培バナナなどの高級バナナになれば、そうした管理体制は第三者認証の導入も含めてさらに徹底されている。この姿勢と情熱、そこに賭けるエネルギーは、大手・中小、輸入業者・卸業者問わず変わらない。それぞれの業者の利益追求は、品質管理を前提として行われいるように見える。
したがって、一面では日本の業者のサプライチェーンの管理はきわめてよくなされていると言えるかもしれない。しかし、そこで決定的に後回しにされているのは、その徹底管理されたバナナを育て、収穫し、箱詰めし、運搬する労働者とその家族への人権面での配慮であり、正当で公平な利益還元である。大量の均質なバナナが化学肥料と農薬散布によって生産されることによって引き起こされる生産者や生産者コミュニティへの健康被害と周囲の自然破壊への負荷についても、事業者の視野にはほとんど入っていない。
そして、そうした事業者の姿勢を究極的に許しているのは、企業の喧伝する安心・安全やおいしさ基準を問い直すことなく満足してしまっている消費者だと言わざるをえないのではないだろうか。』
やや長い引用になってしまったが、ジジイのもやもやしていたものがここにまとめられていた。
このあと第7章「私たちはどう食べればよいのか」とつづき、何らかの対応なり対処方法・解決方法が示されるのかとおもいきや、明確な答えは示されない。
ジジイは考えた。水や米ならば生産者や関連企業は決してこんな対応はとらない。バナナ業者のようなことをしていては商売は成り立たないし、すぐにつぶれる。わかりきったことだ。バナナが必須の食い物でないということもあるが、それ以上にバナナ業者は消費者をなめきっているのが原因だろう。不買運動や告発など決して起きぬ、われわれはもうしっかり消費者の胃袋をつかんでいる。自信を通り越し信念である。そんな企業を打ち崩す。容易なことではない。
どうしてよいかわからぬが、一冊購入して息子に読んでもらうことにした。かわいい孫のためである。