というほどの工作ではないけど、端材を使ってアレコレしてたら意外と時間をくった。アクリル板を曲げるために以前に秋月電子のキットでトライアック万能調光器が作ってあったのでそれも使う。ニクロム線φ0.5mmを現在注文中だったけど、探したら0.26mmのがあった。トライアックのボリュームを最大でオンにしたらニクロム線が一瞬で真っ赤になり切れた。こわっ!
発泡スチロールの山ができた。
最後のをカットしたらニクロム線も切れた。もう少し細かくしたかったのだけれど本日は終了。
絶縁が心配なのでなんとかしよう。
というほどの工作ではないけど、端材を使ってアレコレしてたら意外と時間をくった。アクリル板を曲げるために以前に秋月電子のキットでトライアック万能調光器が作ってあったのでそれも使う。ニクロム線φ0.5mmを現在注文中だったけど、探したら0.26mmのがあった。トライアックのボリュームを最大でオンにしたらニクロム線が一瞬で真っ赤になり切れた。こわっ!
発泡スチロールの山ができた。
最後のをカットしたらニクロム線も切れた。もう少し細かくしたかったのだけれど本日は終了。
絶縁が心配なのでなんとかしよう。
充電池を入れ替えたとき電池の−側の配線を切ってしまって4,5年間そのままで充電池だけで使用していました。でもやはり不便でした。
断線したときに基板のハンダ付けしてあったところがわからなかったので、そのままだったのですけど、基板をながめること10分。
ここだろうとあたりをつけたところはハズレで、そのとなり赤い線が出ている所しかないと接触させると音が出てよし!と極性を間違えると壊れたかもしれないあらっぽい方法でなおしました。
この後継機種Sony非常用ラジオICF-B88も持っています、これは寝室専用で、なおしたのは木工部屋専用です。
修理うまくいってめでたしめでたしめでたし♪
やっと完成。
なんとかなりました。
薄板の方はちょっと使いこんだ感じで側板は鉋がけしていません。バンドソーで挽き割ったときの跡が残っています。もうひとつは普通に鉋がけしてありますが、自動カンナを通してないというかもってないので厚さが整ってなく、それが原因で隙間だらけでした。 小さな箱ものの側板は木目を横にするのが普通だけど、逆らってみました。こうするとあられの部分が折れやすくなりますし実際折れて接着してます。木目を縦にするのもこのくらいの大きさならありだとおもいます。
薄い方は耐久性が心配だけど、厚さが14mmくらいのほうは、頑丈で100年は軽くもつはず。豆まきの枡みたい。
とりあえずはできあがってよかったヨカッタ♪
「日本郵船は2018年11月14日(水)、「NYKグループ脱炭素化への挑戦」と題し、30年以上未来の船「NYK Super Eco Ship 2050」のコンセプトを発表」したという記事を読みました。
スクリューがなくなって、そこに二枚の尾びれを左右に振って推進力とするのだな。スクリューが登場したときだって、船底に穴をあけるなんてもってのほかだと散々にこき下ろされ、はては従来の水車みたいのを回す船と綱引きをして争ったくらいだったんだけど、この尾びれタイプはすんなり受け入れられるだろうね。もちろん用途によるだろうけど。模型の鯉なんかプラモデルみたいなのでとっくに池の中を泳ぎ回っている。そのうちオールで漕ぐタイプも出てくるんじゃなかろうか。
SF映画などでは旧来の古い時代のものと近未来的な最新の科学の製品の混在がひとつの特徴だけれど、あながち間違ってなさそうな気がする。風力発電・地熱発電・潮汐力発電・水力発電など考えなくてもそれらと同一にあるしな。原子力発電は水を沸かして水車を回し発電するというとても古典的な方法なんだけど、火力の原子力が人類にはまだ制御できなかった。いくら効率がよいといったって、人の生活を脅かし生きることができなくなってしまうなんて本末転倒。いろいろためして共存できる動力・熱源を使わなくっちゃな。
なんとなく武漢市を調べようと手っ取り早くWikipediaをのぞいた。なんという充実ぶり。けっこう驚いた。最終更新日も2021年1月22日 (金) 23:07となっていて最新です。
ざっと目を通して印象に残ったのは、市は内陸にあるのに海抜が約23mであること、市の花が梅で樹がメタセコイアということでありました。
メモ帳筆記具入れで立方体状のものを欅で5枚のアラレ組で作ったのだが、ひどい失敗で落ち込んでいる。薄板のものは緩やかに反っていて現物合わせでうまくいくとおもったが、ジジイの腕がともなっていなかった。それならばと14ミリ前後の板で同じことをしたが、電動かんなで適当に平らにしていたのが悪かったのか、結果は満足できるものではありませんでした。はては両方とも組んだりしている途中、アラレの一つが折れてしまうという体たらく・・・ボンドではりましたけど。
画像で見る限りはそれらしいく出来上がっていますが、手にすると下手くそ、よくもここまでひどくできたもんだという仕上がり。今までアラレ組は何度もやっていてそれなりに仕上がっていたのですが、この二つはひどいな。どうしてしまったのでしょう。
投げ出したくなるのをこらえて、なんとかする。
今までは寝ているときに不整脈は出なかったのだが、ここのところ出ることが多く目を覚ませてしまう。ついでにトイレへゆく。
発作性心房細動はカテアブで出ることはなくなっているようだが、期外収縮?がでる。
寝ているときは副交感神経系が交感神経系より優位になるというから、それが関係しているのか背中まわりで細かい痙攣のようなものがここ数年、夜中に生じている。頻脈にはならないのでそのまま寝てしまうが、だんだん頻繁になってきている。よくない傾向でやはり気になる。
朝刊やテレビで報道していた。猫(大型のライオンやひょうや虎)は茂みに隠れて獲物が近寄るのを待って、または自分から近づいて狩りをします。そのときに蚊がまとわりつくこともあるわけですが、マタタビの成分を体にこすりつけておくと蚊を寄せつけない効果があることがわかったということです。蚊は寄生虫や病気も運びますからそれらも防げるというわけです。
しかし、マタタビで猫がゴロニャンと陶酔状態になることはわかってないとも伝えています。狩りをするときに蚊を寄せ付けない効果があることはなるほどとおもうのですが、そのときに酔っ払ったような状態では狩りができないのではともおもえます。
なんかわかったようなわからないような・・・
で、ふとおもいいたりました。キーウイーはマタタビと同じように猫を恍惚とさせます。この果物はマタタビ科なのですね。ということはキーウイーの棚付近は蚊が少ないのでしょうか。キーウイーを家に置いておけば蚊よけになる?でもコバエや違う昆虫がよってきそう。
卓上バンドソーを置くのに制作した(というほどの作業ではなかったけど)。
新しいバンドソーを購入したので、これは廃棄するつもりだったのだけれど、替刃がまだ数本あるのでとりあえずはもう少し使うことに。それにこの卓上バンドソーは回転数がボリュームのように変化させることができる。それなりに便利で廃棄するにしてもモーターと電気回路は使いまわしたい。
この卓上バンドソー重量は約11kgでこの程度のクロスレグでも大丈夫、しかしゆらゆらしてしまう。補強をいれないとまずい。
内径が110mmの立方体という形で欅で注文です。板厚が14mmくらいで形にしてみた。5枚のアラレで組むつもりなんだけど、なんかなんかなんだな・・・。もっと薄くかor厚くすればよいのか?
立方体の形は悩むな。
抽斗をつけたら、やはりそれらしくなった。取手は欅でワンポイントのアクセント。
スライドレールにしてみました。抽斗の高さが70mmなので金具が目立ってしまったな。
いちおう中に入れるものはトースター付属のグリルパンや金網など想定してます。
底は中央部分を3mm削ってます。
ほんのちょっとしたことだけど、見た目が変化して大きな壁のような側板の圧迫感が少しやわらぎます。
本体はコーススレッドで側板側から締めています。6本✕2で計12本。抽斗も横から4本✕2で8本。接着剤は使ってません。トースターを中に入れるので無塗装です。
ばらして宅配して注文主に組み立ててもらう予定だったけど、このまま宅配しても、送料が数百円しか変わらないのでこのまま荷造りすることにしました。
マスコミがこぞって、新聞もテレビもラジオもネットでも「医療崩壊」と報じている。ただでさえ国民はコロナだけで不安なのに、なんでわざわざ不安感を刺激して増大するような「医療崩壊」という言葉で煽(あお)るのだ。医療態勢が逼迫しているで十分に伝わるではないか!医療態勢の危機感を伝えたいのだろうが、不安感をいや増すようにしている医療機関こそまずは冷静にならねばならぬ。日本医師会が率先して「医療崩壊」といっているのだから話にならぬ。落ち着け、落ち着け。あおるな、あおるな。
ブレードを取り替えたら、テンションがをかけることができず、ブレードが本体にぶつかってしまうくらいゆるゆるで、購入先に相談した。担当のS氏は大変に丁寧に誠意を尽くしてくれました。
メールや電話で何度かやり取りして、結局我が家とバンドソーの会社が近距離にあるということでその会社にあずけて修理となりました。その会社の技術者F氏もとても丁寧誠実な方で安心してまかせることができました。原因はブレードテンションのレバーでした。意外でした。その部品を取り替えて完了です。
保証期間中でもいい加減な対応の会社があるなか、まったくそのようなことなく迅速丁寧誠意をもって対処してくれました。修理や壊れないのが一番ではありますが、機械はすべてがそういうわけにはいきません。もしものときの状況にどれだけ対処できるか、それで企業は決まってしまうところがあります。
ここの会社とはもう20(25?)年以上のお付き合いになりますが、今後もよろしくお願いしたいところであります。
Sさん、Fさん今回は本当にありがとうございました。
天板はあられの3枚接ぎの予定だったのですが、中段の板を大入れ接ぎにしたら横揺れもまったくなく強度的に十分であることがわかったので、変更して上からかぶせるだけにしました。
なお分解組み立てができるように、接着剤は用いずコーススレッドのネジ止めです。側板にネジ頭が見えて気になるかもしれませんが、まぁアクセントだと考えましょう。
形にしてみて、なんかものたりないので下部に引き出しを作ることにしました。
東京ハートリズムクリニックHPで相談することができて心室性期外収縮とわかり、年末年始&コロナでどこの病院も繁忙の中、大変にありがたく感謝してもしきれないくらい助かりました。手持ちのビソプロロール2.5mgを服薬し、現在はなんとか落ち着きを取り戻しました。まだ朝1錠服薬しています。
ほぼ日常生活に戻ってますが、アルコールは自粛中。食後に不整脈が出ていたのもなくなりました。散歩も普通にしています。まぁもう少し様子をみなければとはおもっていますがひとまずはホッとしています。
これですが、これだけでは何なのかは不明です。
こうすれば、だれでもわかります。
アラジンの話題のトースター。画像では側面がくっついて見えますが、ちゃんと取説どおりにしてあります。
工作部屋は暖房がなく、4℃か5℃くらい。
着ぶくれ防寒してやるしかなさそう。
前々回でサバ缶のことをかきました。その中でサバ味噌煮のことにふれましたが、そうしたら食べたくなって昨晩調理しました。
サバ缶詰ひとつがちょうど一人前となります。小さいフライパンに味噌を適量とり同量の砂糖を入れます。ポン酢があれば入れます。柚子もあったら適量入れるとさわやかです。しょうがは入れません。適当な濃さになるようにお湯でといて煮立てる直前で弱火にします。サバを入れます。くずれないようにやさしくなじませます。火をとめてしばらくそのままにしておきます。
これで出来上がり。生の鯖とはことなった味わいでこれはこれでうまいし、安い。しょうが味が好きな方は、適量いれればよいだけです。
寝室のエアコンが屋外の気温を表示できるのでそれで朝の気温を見ているのですけど今朝は−5℃、記録を更新しました。ちなみに北東の木工部屋は4℃、寝室は夜つけっぱなしでエアコンを22℃に設定していて23℃、居間は25度の設定を朝5時にON予約で7時で15℃、これも通常より4℃前後低いです。灯油のストーブがほしくなってしまう。ちなみに我が家はすべて2重窓で断熱仕様5段階のうちのレベルは3です。
しかし、いつもなら車は真っ白に、近所の屋根も白くなるのですが、カラッカラに乾燥しているので、そうはならなく、車の屋根には雪の結晶のようなかたちのものが薄っすらと見ることができます。これはこれできれい。
寒冷地に住む方には全く問題のない気温だろうけど、この付近の水道屋さんは大忙しだろうな。
常備食としてずいぶん以前からきらさないように購入しています。
水煮の缶詰が一番気に入っていて、そのまま食べてもうまいし、簡単に調理してもおいしいので、なおさら欠かすことができません。それに価格もお買い得。
缶詰から出したものに、お酢を多めにかけたり、ラー油や山椒をふってもよし。まただし入りミソを砂糖を加えて甘くして湯でのばし柚子を加えてフライパンで少し煮込んでもうまい。
サラダに加えてもうまいのだけれど、魚臭さが気になる人はダメかもしれないな。トーストにサバを少し砕いてのせ塩コショウとオリーブオイルをかける、これもうまい。
飽きずに食ってます。
寒冷地からみれば大したことはないだろうし、むしろ今朝はあったかいねなのだろうな。
いつもなら車は真っ白、住宅の屋根も真っ白なのだが、カラッカラに乾燥しているので車は
妙にシャキッとして冷たそうなだけ、屋根に雪のような結晶が薄くあるだけでした。
冬来たりなば春遠からじ。
でも、本格的な寒さはこれからだ。
昨夜FaceTimeで話した内容です。
パリのシャンゼリゼ通りの脇道を入ったところでもう30年以上開業しているレストラン。もう地元にすっかりとけこんでいて、いつもなら新年で賑わっているのですが、コロナコロナコロナです。店はそうなってから電話注文のみの持ち帰り料理、ほとんどはお寿司です。
日によっては普段のレストラン業務の日の売上より多いときがあるというのですから、それなりに繁盛しているとのことで、よかった。もちろんいろいろな工夫をして売り込む努力をしたわけですが、どこの店でも同じようなことをしてもある程度売上が保ているというわけではなく、それまでのお店の信用や知名度、地元への溶け込み具合などがあったからでしょう。
電話予約も売り切れで断ることも多いというのですから、大したものです。従業員は持ち帰り料理に必要な最小限の人数だけで、今までの従業員は国から給料に見合う額がでていると聞きました。店の経営者が身銭を切って、従業員へということはなさそうです。
ただこのような形態がこの先いつまで続くのかは不透明ですから、先を見ること怠りなく進むしかなさそうなのが、ちょっと不安です。まぁとりあえずは現状に沿って経営できている。続けるしかありません。
はじめたのが2016年2月でしたので、この2月が来るとまる5年記し続けたことになります。
備忘録のつもりではじめたのですが、あれあんときはどうだったけなどと振り返ったときに、あぁそうだったと確認できてそれなりに便利です。なので続いているのかもしれない。
気楽に書き続けられそうなので、日々のことなどツレヅレナルママニ、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ、にはならないのですが、のんきに記してまいりましょう。
志田信男 著
公人の友社 ¥2500円
副題『「非医」鴎外・森林太郎と脚気論争』
ジジイはこの脚気の話が好きで、板倉聖宣「模倣の時代」上・下 仮説社1988年や吉村昭「白い航跡」上・下 講談社1991年、また高木兼寛の伝記など読みあさっております。
森林太郎はこの脚気論争では誰がどう見ても敗北しているわけです。日清日露戦争で3万強の兵隊さんを脚気で失わせた責任は取り返しがつきません。その責任の重さは防げば防げたのにさらに彼は軍隊の衛生における最高責任者だったのですから、軍法会議にかけられたら間違いなく死刑でしょう。この本でもでてきますが、ごく簡単にいってしまえば、「論より証拠」なのか「証拠より論」なのかということで、医療ではこれも議論の余地なく「論より証拠」なのであります。どんな理屈かよくわからないけど病気が治ればよいのです。
著者は百万遍繰り返してもいい足りないくらいに数々の具体的な書籍を証拠に上記のことを(軍法会議と死刑は除き)述べています。現代の医学でも同じことが繰り返されてはいけないと強く危惧するからです。
森林太郎個人についてはもうこれ以上新しいことは出てきそうにもありません。ジジイは何故この問題がもっとおおっぴらに公然とマスコミも文学界も医学界も他分野でも話題にならないかのほうに興味がうつっています。もう少し述べたいことはあるのですが、Amazonにこの本のとてもすばらしいレビューがあります。是非ともそちらのほうを読んでください。
ジジイの住居は狭山茶の本場。いたるところに茶畑がある。大きなところは丘陵のようになってなかなかの景観、霜被害予防のための電柱のてっぺんに扇風機がついたものがいたるところにある。
ここのところ茎茶を飲んでいる。サッパリ感がほしいときにはこれにしている。また湯切れもよく普通の煎茶のように茶がきれる最後の一滴まで待たなくてよい。時間はいくらでもあるし、せっかちでもない性格のつもりだが、ささっとおいしいお茶を飲みたいとき茎茶は便利です。
パニコス・パナイー著
栢木清吾(かやのきせいご)
創元社 ¥2400
とても細かくひとつひとつ仔細にわたる語り口。そのようなところは斜め読みすればよいのだろうが、ついつい読み返してしまう。なので読みづらい。
食について語っているといつしか移民の歴史に話がうつっている。日本の餃子やラーメンなどの食についてたどるとやはり中国からや台湾からの移民移住者の活躍、また日本人の満州地域への移住という侵略に関係してくるのと同様だろう。それにしても19世紀前後からの英国への移民流入者はなかなかにすさまじかった様子がわかる。今に始まったことではなかったのだな。
ウナギが17世紀の頃にはすでに養殖されていたというのがおもしろい。ウナギはフィッシュアンドチップスとともに貧困層の栄養源であったが、日本では昔より高級品の扱い。ウナギでもマグロでもなんでも輪切りにして食ってしまう国民と開いて捌いて平にする国との違いだろう。
フィッシュアンドチップスがユダヤ民や貧困層のくいもんだったということからそれらの食べ物とかれら民族の一体感みたいなものが納得できるが、「英国らしさ」を示すものとしての食べ物がフィッシュアンドチップスであるというととても違和感がある。何も「らしさ」をあらわす食べ物がないのでやむなくそれにしたという感じ。後付だな。あれだけ百年以上も食べ物と一緒に労働者階級や貧民窟やそこに住む人たちを蔑んでバカにしてきたのに、よくもまぁ白々しくフィッシュアンドチップスが「英国らしさ」を表すものだといえるところが「英国らしさ」を示している。どうしようもない国だね。著者の庶民の語りを丁寧にひろう姿勢は好感をもった。
貧乏旅行なので安い店を探して腹を満たす。その晩は英国名物フィッシュアンドチップス。どうもまずくはないがうまくもない。食べたのはこの一度きりで、その後今まで一度も食ってはいない。中華やインドカレーはよく食った。
2階建てバスに乗ると眺めがよい。走っていると石壁の向こうに芝地がありスポーツができそうな広がりがあるところがよくあった。あるとき野球みたいなことをしているのを目にした。あぁこれがクリケットかとしばらくして気づく。注意していると売店の新聞にそのクリケットの試合結果が写真入りの記事で載っているのをよく目にした。
ロンドンからフランスへ戻るときは念願のホバークラフトを使った。小学生の高学年に自分で設計しバルサ材で模型を作るくらい大好きな乗物であった。それに乗る。興奮した。早めに乗船場へ行き、実物をみる。おもっていたよりかなりでかい。窓側のながめの良さそうな席をとった。さて出発。けたたましい音でホバークラフトが浮き上がりその音とは反対に滑らかに斜めになったコンクリートの滑走路?を滑り降りる。海上に出た。相変わらずエンジン音やプロペラ音やわけのわからない音がごっちゃになって凄まじい音。外の様子はどうだろう。顔を窓に近づける必要もなく、窓一面波しぶきで何も見えないではないか。ガッカリ。轟音ではあったが、揺れも少なくフランスの地を踏んでも揺れることはなかった。
1974頃のおもいででありました。
ロンドン着一日目の晩飯は中華レストランに入った。床が揺れている。食欲はあまりないのだが腹は減っていた。フランスからドーバーを連絡船で渡った。大きい連絡船で港に停泊しているときは揺れなどなかったのだが外海に出たとたん大きな揺れと窓ガラスを飛沫が激しく打つ。船酔いはしないほうなのだが、テーブルの上の物が右に左にと動き回るほどの揺れが次第にこたえてくる。
同室にいる小学生くらいの集団がどうやらスイスから来ている修学旅行生のようだ。彼らはハンカチやタオルなどで口を押さえながらトランプをしていた。この子どもたち誰かがフランス語を話すと全体がフランス語になり、なにかの拍子にドイツ語のような言葉を話すとその言葉を全員が話す。バイリンガルかトリリンガルか、そんな区別は不要で、要はいくつかの言語がごっちゃになったのがかれらの育った地域の言葉だということだろう。
下船してからも足元は揺れ、チャイニーズレストランでも揺れ、宿泊したベッドの中でも揺れていた。
朝、散歩に出た。しばらく歩くと墓地があった。誰もいない。墓標を読んで歩く。故人の名前があり亡くなった日付があって、そのあと ”Beloved” とつづく。次から次へと歩むにまかせ目にはいるまま見ていくと、日付の大半が第二次世界大戦の頃のものだった。戦時中ナチスのロケット攻撃の被害者か、それとも従軍して東南アジアで戦士したものか、あれこれ考えた。
またある朝、今度はややにぎやかな方へと散歩する。朝は早いが車や歩行者もそれなりに出ていた。石畳の道路を牛乳配達だろう、ガチャガチャと音を立てながら軽トラックが走ってゆく。赤信号で止まると、そばを歩いていた絵から出てきたような細い傘に帽子とピシッと身なりを整えたイギリス紳士がそのトラックからひょいと何のためらいもなく牛乳ビンをぬきとった。青信号になって牛乳配達の軽トラックは走ってゆく。紳士は牛乳瓶をかくすでもなくブラブラさせながら悠然と歩き去った。
つづく